2008年10月24日

『近代国家成立の歴史』5 国家と新しい商人の台頭 ~宗教改革~大航海時代~

『近代国家成立の歴史』4 教会と結託した金貸し支配の拡大~宗教改革~ の続き
シリーズ第5弾!
今回は前回紹介した宗教改革を契機として、ローマカトリック教会が分裂し、そこからうまれた新たな商人達が大航海時代を通して勢力を拡大していく様子を扱います。
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宗教改革の結果、ローマカトリック教会は権威失墜し、内部分裂を引き起こします。そして免罪符反対派が生み出したのがプロテスタントという新しい宗派です。
このプロテスタントの一派カルバン派は職業は神から与えられたものであるとし、カトリックでは元来表向き禁止されていた富の蓄財を認めたので、当時の弱小商工業者を中心に広がっていく事になります。彼らはイングランドではピューリタン、オランダではゴイセンと呼ばれました。
他方、イングランドでは、国王ヘンリ8世自ら首長となり、ローマ教会とは独立したイギリス国教会を成立させています。
ヘンリ8世は元々熱心なカトリック信者でしたが、王妃との婚姻無効をローマ教皇が認めなかった事が引き金となりました。これは王妃キャサリンの甥がローマ教皇の強い影響力下にあった神聖ローマ皇帝カール5世であった事がからんでしました。単なる離婚問題に留まらない政治的勢力争いによってローマ教会は分裂していきます。
免罪符(教会と大商人の金儲け)反対から始まったにも係わらず富の蓄財を認めたカルバン派が登場し、かつ中小商工業者に支持されたというのは興味深い点です。フッガー家やハプスブルグ家などの大商人はすでにローマ教会と結託し、免罪符の販売で教会ともども金儲けしていました。宗教改革は表向きこのような、教会(大商人)の金儲けを批判したものでしたが、実態はローマカトリックの枠組みの中で私権拡大の可能性が乏しかった弱小商人が、自らの私権拡大を正当化する観念に可能性収束し、教会と結託した大商人支配の影響力を排除していったのです。
そしてこの事が新たな商人を生み出していく事になります。
大航海時代初期、神の代理人としてローマカトリック教会による観念支配が大きかった時代、国家(商人)が大航海に出るには、 教皇の許可が必要でした。教皇の後ろ盾の元、イスラム支配が残っていたイベリア半島(スペイン、ポルトガル)の奪還、キリスト教圏拡大によって私権拡大を実現したのがスペイン、ポルトガルです。両国はその後いち早く、教皇の許可を得て大航海に出かけます。しかし既に大航海による貿易で私権拡大の可能性が開かれた状況の元、国王や商人にとっていちいち教皇の許可を得なければならないのでは、思うように私権拡大ができません。
ローマカトリック教会の分裂によって登場した利益追求を認めたあらたな宗派を支持した新興の弱小商人は、ローマ教会支配から解放され、教会の許可など無視する事が可能になります。
このような時代背景の元、大航海時代はローマ教会の影響力が大きかったスペイン、ポルトガルの時代から、教会から開放された新たな商人国家オランダイギリスの時代へと移り変わっていきます。
  
るいネット

大航海時代初期は、大航海に乗り出すためには、ローマ教皇からの許可が大義名分となっていた。しかも、教皇は航海の許可を与えていたばかりでなく、先住民の奴隷化を認めたほか、キリスト教徒に対して征服戦争への参加を呼びかけ、参加したものには贖宥(免罪)を与えていた。
大航海時代の幕開けを切り開いたスペインとポルトガルは、ローマ帝国による支配体制が崩れた後はイスラム教徒の領有地となっていた。キリスト教圏の拡大を目指した教会の後ろ盾を得てイスラム教徒を追い出し建国されたスペインとポルトガルは、ローマ教皇から「大航海」の許可を得ていた。
ローマ教会との繋がりが深かったスペインとポルトガルは、ローマ教皇の発布する教皇文書を得て大航海事業にいち早く乗り出した。
オランダ、イギリスは、このスペイン、ポルトガルに大きく遅れをとっていた。商人国家としての地位を確立していた自治国家ネーデルランド共和国(オランダ)の商人たちは、プロテスタントであったがゆえに教皇からの許可無く大航海事業に乗り出した。
議会の力が強かったイギリスは、折からの宗教改革を受けローマ=カトリック教会から分離→イギリス国教会を設立。「議会の許可」を大義名分に大航海事業に乗り出す。

「大航海事業への許可書」を発布することによって、国家及び商人たちへの強い影響力を維持し続けようとしたローマ=カトリック教会であったが、(宗教改革を経て)教会を無視して大航海事業に乗り出す国家と商人が増大するにつれ、その影響力を衰弱させていった。
<参考>コロンブスは英雄か、それとも犯罪者か─カトリックの世界布教戦略が招いた悲劇

結局、新たな金貸し(商人)が作り上げた市場に乗っかって国家が拡大していったのが、大航海時代であり、この大航海時代を通じて大きくのし上がったのが、オランダとイギリスだったのです。
つづく

List    投稿者 kichom | 2008-10-24 | Posted in 08.近現代史と金貸し2 Comments » 

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コメント2件

 のだおじさん | 2009.01.27 21:31

世界の金の75%がアメリカに集中し、金の裏づけがあるのはドルだけだった時代に、ドルが国際通貨になってしまうと、世界中でドルが流通するようになり、唯一ドルだけが世界中で使える特殊な通貨となった。世界中で使える基準通貨は、やはり必要なんだろうか。

 kirin | 2009.01.31 23:18

のだおじさん、コメントありがとうございます。
>世界中で使える基準通貨は、やはり必要なんだろうか>
「貨幣」としてみた場合は必要とは考えません。
しかし、国際間の諸取引が今後も必要であれば、各国の貨幣間レートを決める基準となる「通貨」は必要と考えます。
ただ、その通貨自体が、世界のどの国でも貨幣として使えるという機能は必要ないと考えます。
ですので、基準通貨は、別に「金の裏づけ」が無くとも、各国が共認できる「単位をもった交換レートの数値」機能をもってさえいればいいと考えます。

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