中国どうなる!?6 ~鄧小平が市場開放を目論んだ本当の目的とは?~
前回までのエントリーでは、中国の現状をまずはおさえようと、基礎情報を中心に書いて来ました。
今回 から数回は中国の近現代、毛沢東による文化大革命以降の情勢を、時の総書記ごとに分けて年表と共に観ていきたいと思います。
文化大革命によって中国国内は大きく混乱、その建て直しを推進していく中で、急速に金貸し勢力の介入を受けます。
鄧小平の時代から現在の習近平に至るまで、金貸しの動向と中国共産党と人民を追いかけてみたいと思います。 まずは鄧小平の時代を追いかけます。
鄧小平の時代は以下の年表のように、アメリカとの距離を急速に縮めていく。
(★は、市場化への具体的な出来事を示す)1978年12月中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議で改革開放路線を決定。脱文革路線、鄧小平が最高実力者に。経済体制の改革を決定すると同時に対外開放政策も計画1979年★1月米中国交樹立、アメリカでは台湾関係法が成立。2月中越戦争。ベトナムがカンボジアに侵攻したことに対し、人民解放軍がベトナムに侵攻。ただし、これ以降は平和路線を取る。3月四つの基本原則。★4月中ソ同盟条約破棄通告7月経済特区設置。12月「民主の壁」(壁新聞による民主化運動)封鎖。1980年順次、広東省の深圳、珠海、汕頭、福建省のアモイ及び海南省に5箇所の経済特区を設置。外国資本や合併企業を誘致するために、インフラ整備と税制の優遇措置がとられる。★4月国際通貨基金正式加盟7月毛沢東批判11月~翌年1月四人組裁判。1981年4月白樺(はっか)の「苦恋」批判。6月第11期6中全会で「歴史決議」採択。胡耀邦が党主席に就任★11月女子バレーボール、ワールドカップ初優勝12月中印国境交渉。19年ぶりに再開。1982年2月胡北省に農民組合「農会」成立。9月第12党大会で主席制度廃止。胡耀邦が総書記に。鄧小平体制固まる。11月人民公社解体決定(一部の農村で始まっていた生産請負制を全国に拡大し生産が向上したため)★12月新憲法制定。国家主席制復活。文化大革命色を一掃。★ 趙紫陽首相、アフリカ11カ国歴訪。1983年5月モンゴル、在住中国人を大量追放。★9月中国人民銀行を中央銀行と明文、規定。10月ブルジョア自由化反対。★ 国際原子力機関に加盟。1984年大連、秦皇島、天津、煙台、青島、連雲港、南通、上海、寧波、温州、福州、広州、湛江、北海の14沿海都市を開放★1月アメリカと技術協力二協定調印。★4月レーガン大統領、訪中。★7月中国、オリンピック初参加。(ロサンゼルスオリンピック)
12月香港に関する中英共同声明。1985年★5月米中原子力協定調印。1985年以降長江デルタ、珠江デルタ、閩南トライアングル(アモイ・泉州・漳州)、山東半島、遼東半島、河北省、広西チワン族自治区を経済開放区として沿海経済開放地帯を形成1986年★3月アジア開発銀行正式加盟。★7月通貨の元を対米レート15.8%に切り下げ。8月モンゴルと領事条約調印★12月学生の民主化運動。1987年★1月胡耀邦総書記解任(言論統制に反撃し上記学生の民主化運動を起こしたため)10月第13回党大会「社会主義初級段階」論★チベット独立要求の反乱。1988年★1月チベット自治区、独立運動騒乱。5月以降インフレ加速(拝金主義が蔓延し官僚ブローカーが暗躍し腐敗広がる)11月モンゴルと国境条約調印。1989年★3月 チベット人と武装警察隊、人民解放軍が衝突。★4月胡耀邦死去、追悼デモ→民主化運動起こる。★5月北京に厳戒令。★6月天安門事件、趙紫陽総書記が失脚、江沢民総書記に。
10月ダライ・ラマ14世、ノーベル平和賞。
11月鄧小平、軍事委員主席辞任、江沢民が後任。
ところで、鄧小平はフランス留学の経験がある。そこでキッシンジャーをはじめ、金貸しのエージェント達とのパイプをつくり、共産党の掌握を実現した。これは、金貸し側から見れば「鄧小平をエージェントに仕立て上げた」つもりだったに違いないが、本人は、おそらくそうではなかったのかも知れない。
おそらく、鄧小平は金貸しの勢力を借りつつも、共産党一党による国家統合を考えていたのではないだろうか。決して金貸しの軍門には下らないと、そんな強い意志があったのではないか。
その事例として、1987年には言論統制を行うが、これは西側諸国の情報遮断を目的としたとも考えることが出来る。市場経済のノウハウを知り、国の財政基盤が回復に向かえば、あとは金貸し勢力や、金貸しが流し続ける文化面での洗脳情報など排除しようとしていたのではないか。
しかし、それは裏目に出た。民衆の民主化デモは加熱し、収集がつかなくなった。だがそれは、金貸しが自分達の言いなりにならない鄧小平を失脚させるために企てた工作であったろう。
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