2011年12月02日

共同体社会の実現に向けて-11 ~実現論序3.市民運動という騙し。民主主義という騙し。(その4)~










みなさん、こんにちは。
これまで3回にわたって、「市民運動、民主主義が騙し」であることを見てきました。
今回は、もう一歩踏み込んで民主主義とは騙しであるだけでなく、自我を暴走させ、人類社会を破滅に導くような思想でありシステムである、ことを見ていきます。
旧い身分制度を打破し、近代市民社会を切り拓いてきたかのように、「民主主義」は人々に受け入れられ、尊重されてきました。
一方、グローバル経済の破綻、地球環境の破壊、世界中で頻発する異常気象・大災害、原発災害等々…、現代社会は人類の生存を脅かすような危機に直面しています。
そして、このような危機状況に対してどこの国でも政財界の指導者・官僚・学者などのエリートたちはいっこうに有効な対策を出せないままでいます。
これらの閉塞状況は、民主主義を掲げる先進国から発生しているのではないのか。
なぜそうなるのか…? 
民主主義がその元凶となっているのではないのか?
私たちはこれからどうしていけばよいのか、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
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【民主主義は、自我の暴走装置である】
何も知らずとも、主張し判断できる主体は、一つしかない。それは、自我・私権の主体である。自我・私権の主体なら、ほとんど学ばず、ほとんど知らなくても、己に都合のいい理屈を並べたてることは出来る。子どもの言い訳や屁理屈と同じである。
また、民主主義は、自我・私権に立脚しているので全員合意は望めない。だから、多数決で決着をつけるしかなくなるが、この多数決もまた、民主主義が自我・私権に立脚したものであることの証拠である。
事実、民主主義は、何よりも「発言権」や「評価権(議決権)」を優先させ、『まず学ぶ』という人類の根本規範を見事に捨象している。だから、「民主主義は正しい」と信じ込まされた人々は、『まず学ぶ』という根本規範を踏みにじり、身勝手な要求を掲げて恥じない人間と化す。
その先鋒となったのが、金貸しが生み出した共認支配の専門家たち=学者や評論家やジャーナリストである。彼らは現実と直対することから逃げて、もっぱら書物から学んで専門家となった連中である。逆に言えば、彼らは現実から何も学ばず、従って、現実を改善してゆけるような実現の論理を持ち合わせていないので、何事も批判し要求することしかできない。
だから、彼らは一様に、民主主義を根拠にして人々にも同じように批判し要求するようにそそのかしてきた。その結果が、自我ばかり肥大させ、何も実現できない(=批判と要求しかできない)無能化された人々である。

■民主主義が普遍化した歴史やその背景をおさらいしてみましょう。

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1.フランス革命で新興市民が台頭
民主主義は1789年フランス革命を皮切りとする市民革命によって、ヨーロッパを中心に急速に広まりました。
フランス革命では「絶対王政」から「国民主権」への転換が標榜され、専制君主を中心に貴族・僧侶らが享受していた特権を、第三身分、すなわち新興市民階級が奪い取ったとされています。(実態は新たな支配・序列体制が出来ただけ)
ここに至った経緯を遡るとまず、ルネサンス期(1300年代~)に行きつきます。
2.ルネサンスで市場が隆盛
その当時(中世期)は、社会が徐々に安定化していった時代で、武力勢力(王侯貴族)は快美欠乏を強め、その需要を当て込んだのが商業国家の金融勢力でした。
金貸しや商人階級にとっては王侯貴族の快美欠乏が大きくなるほど儲かるという思惑があったので、芸術家のパトロンとなり、芸術の質を高度化させ、王侯貴族たちの快美欠乏に火をつけ、市場を加速させていったのです。
そして、大学という場(これも金貸しが誘導)で近代思想が練り上げられ、その後、下流の大衆個々人が市場に参加し、市場はより拡大していきます。
(参考:『10/9なんでや劇場2 始めから金貸しの意を受けたプロだった近代思想家
3.近代思想で「個人が原点」が固定化
個人の市場参加を後押しした近代思想家たちが登場したのは1600年代でした。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」とする「個人が原点」という個人主義がその代表で、これをベースに近代の人権思想などが強化され、民主主義の最大特徴である『万人の○○権』を正当化していきます。
快美欠乏の裾野が市民にまで拡がり、民主主義を後ろ盾とした権利意識や要求運動が市場拡大を牽引していきます。
4.古代ギリシアの民主制
上記本文には、>民主主義は、自我・私権に立脚しているとありますので、さらにその起源を遡ってみます。
それは、ホッブスやモンテスキュー、ルソーなどの近代思想家たちが下敷きにしたとされる、古代ギリシア(BC2600年~)で生まれた「民主主義・民主制・民主政」という概念であり、その時代の意識潮流だと思われます。
古代ギリシアでは都市国家ポリスが成立し「市民」と呼ばれる自由民男子とその家族数10万人と、奴隷など数10万人の人口を抱えていました。
地域や風土によってこのポリスの政体は様々だったらしく、王侯貴族を中心とする寡頭政、正統な王の家系以外の個人が権力を握って世襲する僭主政、そして全市民参加の直接民主政を採用するポリスもあった様です。
古代ギリシアでは、ポリス間の抗争が激しく、重装歩兵の担い手である「市民」の政治的地位が向上して、「市民共同体」としての意識が高まったとされており、市民を中心とした部隊は、戦術面のみならず精神的にも強力な軍隊となってゆき、ペルシャ戦争(BC492~449)では、強大なペルシャ軍を撃破しています。
(参考:ウィキペディア
しかし、この好戦的な市民部隊を支えたものはなんだったのでしょうか? 
死の恐怖を乗り越えて、略奪闘争に向かわせた動機は…?
それは私権獲得欲求(ポリス全体の集団自我と個人の私権欲求)であった事は間違いないハズです。・・・調査してみると、その観念領域が見えてきました♪
5.ルーツは古代ギリシアの哲学者か?
その代表選手は、哲人アリストテレスと言っても過言ではないようです。
彼の「政治学」では、『自足して共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である。これらとは異なって人間はあくまでも社会的存在である。国家のあり方は王制、貴族制、ポリティア、その逸脱としての僭主制、寡頭制、民主制に区分される』とあります。このあたりが、まず民主主義というイデオロギーの根っ子のようです。
一方、彼の『世界の中心に地球がある』とする「自然学」をみても、
また『人間にとって最高善とは幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足』とする幸福主義にしても、
また『奴隷は言葉を喋る道具であり、牛馬と同様に人間に貢献する』と言って憚らなかった様に、彼は、その言及の全てに一貫して、自我・私権の正当化を謳っているのです。
6.まとめ
自我・私権意識が生まれたのは有史以前ですが、古代ギリシア時代以降、自集団を超えた社会に適用する言葉として観念化され正当化されたと考えられます。
その後、個人主義の延長線上に『民主主義』が確立されていきます。

要するに、金貸し勢は、「民主主義」を人々に吹き込むことによって、人々の自我をどんどん肥大化させると共に、どんどん無能化した上で、自分たちの好きなように染脳してきたわけである。
こうして民主主義は、『学び』をないがしろにし、「発言権・議決権」を優先(=批判と要求を優先)させることによって、とことん自我を暴走させると共に、とことん人々を無能化させてきた。
かくして、民主主義に導かれて暴走してきた近代社会は、ついに経済破綻と地球破壊の底なし沼に沈み、そこから這い上がれなくなってしまった。いまや、人類は滅亡の一歩手前にある。それは、民主主義が自我の暴走装置であり、とりわけ金貸しの暴走を正当化する自我=悪魔の思想であることの、疑問の余地のない証であり、もはや、この期におよんで民主主義を正当化する一切の言い訳は通用しない。
上で明らかなように、民主主義は、決して共認原理に立脚しているのではない。それどころか、民主主義は、共認原理を破壊する自我原理に立脚している。それが、民主主義の正体である。(※自我原理とは:リンク
(そもそも、「民が主」というのも自我発の言葉であって、共同体の人々が「自分たちが主」などと言うわけがない) 
人々の意識の変革は、民主主義の正体を見抜くことから始まる。
すなわち、制度としての民主主義は自我の暴走装置であり、思想としての民主主義は自我=悪魔の思想であることを見抜いて、民主主義を全的に否定すること。全てはそこから始まる。そうして初めて、人々は人類本来の共認原理に立ち戻ることが出来るようになる。

■民主主義が国家をどのように蝕んでゆくのか、まだ記憶に新しいカダフィ大佐のリビアを例にとってみましょう。

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一般にはカダフィの圧制に対し、反乱をおこしたリビアの大衆が民主主義国家を勝ち取ったことになっています。
では、『リビア圧政』の実態はどうだったのでしょうか?
リビアで二度と見られなくなる16項目の善政リンク
マスコミで喧伝されている圧制どころか、国民の生活を第一にした、正しい政策が取られていたようです。
ではなぜ、カダフィは殺されなければならなかったのか?
カダフィが殺された理由リンク
カダフィは自国リビアだけでなく、アフリカ全体を西欧経済圏から独立させようとしたんですね。それが逆鱗に触れてしまったと。。。
このような『反西欧国家』を潰すための方法は、従来は戦争を吹っかけることでした。フセインのイラクが潰されたのがそうでしたね。しかし最近では、戦争を起こすことを良しとするほど世界世論を盛り上げることができず、また実際に戦地に赴く兵士が心を病み、自殺率が上がるなど問題が山積みになってきています。
そこで活用され始めたのが『民主主義』なのです。
いかなる国家にも反乱分子は必ず存在します。『西欧民主主義国家』はまず、彼ら『反乱分子』の自我を刺激し『批判と要求』を顕在化させます。
そして『独裁君主』VS『民主化のために立ち上がった国民』という構図をデッチ上げ、マスコミを使って世界中を洗脳します。そのうえで武器や資金を反乱分子に支援し、『独裁君主』を打倒するという筋書きを遂行するのです。
その後は『民主主義国家』の創生を手助けする『親切な先進国』のふりをして取り入り、その国の仕組みを『民主主義の制度』に置き換えてしまえば目的は達成されます。
一握りにすぎない反乱分子を暴走させるキッカケとなるのが
『思想としての民主主義』であり、
潰した国家の国民を支配し、全的に欲望=自我を開放させ、市場化を徹底するのが
『制度としての民主主義』であると言えます。
前者が『悪魔の思想』、後者が『自我の暴走装置』と、本文中で呼ばれている理由が理解できましたでしょうか?

ここで改めて、マルクスを含む近代の思想家たちに、その限界と突破口を提示しておこう。
社会を変えるためには、まず、現実世界を動かしている力の構造を解明しさらにその構造をもっと根底から突き破ってゆけるような、実現基盤を発掘しなければならない。そうして初めて、現実を動かす変革方針を提示することができる。
近代の思想家や彼らを踏襲する学者や評論家やジャーナリストに欠落しているのは、そのような実現の論理である。
すでに提示したように、実現の論理は、彼らとは全く逆の実現基盤と実現方針を発掘した。改めて、それを掲げておこう。
時代はすでに、私権原理から共認原理に転換した。重要なのは抽象的な「社会変革」ではなく、現実の生産体の変革である。
つまり、もっとも身近な現実の場である職場を共同体に改革してゆくこと、本当の変革はそこから始まる。

■今回のまとめをしておきます。
人々の意識が民主主義に染め上げられることよって以下のような状況に陥ってしまいました。

民主主義とは、個人の権利(発言権や評価・議決権)を最優先させる思想。
その結果、「まず学ぶ」という人類の根本規範を捨象させ、人々を無能化させてきた。
民主主義は、人々の自我を暴走させ、同時に人々を無能化させることによって、共認を破壊してきた。

次代の共認社会を構築していくためには、このような「民主主義の欺瞞性・危険性」を認識し、共認破壊の元凶となっている「民主主義」を全的に否定することが必要になりますね。
そのうえで、最も身近な現実の場である生産の場(職場)を共同体に改革していくことによって、共認社会の構築に向かっていくことが求められているのではないでしょうか。

生産の場(職場)の共同体化については、以下の記事を参照して下さい。
実現論序2.【必要なのは地に足を付けた共同体企業の建設】 ⇒リンク
次回は、これまで、庶民を先導する立場にあった統合階級における暴走と無能ぶりを見ていきます。
それでは、ごきげんよう。

List    投稿者 wyama | 2011-12-02 | Posted in 08.近現代史と金貸し2 Comments » 

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コメント2件

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