2008年10月20日

『記者クラブ』ってなんだ!?

皆さんが日頃、よく目にする新聞。その記事のネタはどのように新聞社は入手しているのかご存知ですか

ジャーナリスト岩瀬達哉著「新聞が面白くない理由」によると、(1996年当時)『読売』、『朝日』、『毎日』の三大紙における発表記事の割合は50%を超えていてこれに周辺取材や番記者の記事などのリーク情報を加えると約67%近くに及ぶ、一方で独自取材記事は14%程度とかなり少ないそうです。
これは欧米など諸外国の新聞と比べても異常な水準であると言われており一部メディアからは官報と変わらないとまで批判される所以でもあるのです。

(ウィキペディア“日本の新聞”より)
この現象は、日本特有の制度である『記者クラブ』が存在しているからです。
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実際、日本の新聞はどれもこれも同じような記事が並んでおり面白くない
日本経済新聞社、朝日新聞社、読売新聞社が共同で開発した『新s(あらたにす)』も結局は各新聞のインデックスの域を脱していない。 :x
『記者クラブ』ってなに?

記者クラブとは、首相官邸、省庁、地方自治体、地方公共団体、警察、業界団体などに設置された記者室を取材拠点にしている、特定の報道機関の記者が集まった取材組織の事。各団体から独占的に情報提供を受ける。記者室の空間及び運営費用は原則各団体が負担・提供し、記者クラブが排他的に運営を行う。英語では、該当組織が存在しない為 kisha clubと言う。日本の報道の閉鎖性の象徴として、内外から批判されている。

(ウィキペディア“記者クラブ”より)
世界的に見ても記者クラブという制度は、日本と韓国にしかないのである(韓国は廃止を検討中)。
だから日本の新聞は自分の脚で特ダネを追いかけている記者はほとんどいなくて、記者クラブを拠点に各団体から情報提供や番記者としてぶら下がり取材によって得たネタが記事となっていたのである。
なぜ記者クラブってできたの?
ちょっと長くなりますが、記者クラブの歴史を振り返ってみましょう。 :P
記者クラブの歴史(ウィキペディア“記者クラブ”慶應義塾大学文学部図書館・情報学科平成11年度卒業論文 木村文氏“新聞のニュース・ソースと記者クラブ”より抜粋引用)
1882年(明治15年):太政官に新聞社員溜所ができ、これが記者クラブの原型と思われる。
1890年:第1回帝国議会の新聞記者取材禁止の方針に対して、『時事新報』の記者が在京各社の議会担当に呼びかけ「議会出入記者団」を結成、10月にはこれに全国の新聞社が合流し、名称を「共同新聞記者倶楽部」と改め記者クラブが始まる。
今のように組織化されたものではなく取材記者のたまり場のような存在だったようだ。
現在、各中央官庁には軒並み記者クラブが存在するが、これらの前身もほぼ時期を同じくして生まれている。1894年の日清戦争から1902年頃にかけて外務省の「霞倶楽部」農商務省の「采女倶楽部」陸軍省の「北斗会」政友会の「十日会」と次々に生まれ、さらに1905年には司法省の「司法記者倶楽部」1907年内務省の「大手倶楽部」1910年には「兜会」が組織されたという。
当時、秘密主義に凝り固まった政府、各官庁と新聞との関係を見ると、まず力の弱い新聞側が共同戦線を組み、団結して情報を引き出す場とし、さらに取材の前線に足場を持ち、本社との連絡基地を確保するために記者クラブを作ったのであろう。これを政府、各官庁側からみると、当初は新聞を拒否していたが、次第に報道の威力によって新聞への恐れから譲歩し、出入りの記者達を一本化して管理できるし、広報活動もまとめて行うことができるというメリットを計算して、記者クラブを受け入れ、各庁舎の中にそれが誕生するようになったものと思われる。
また、歴代内閣で初めて共同記者会見を行ったのは大隈重信内閣だが、それまで二つの内閣が新聞によって潰されて、その結果、誕生したといわれた大隈内閣だけに、記者会見だけでなく、首相官邸内に初めて記者クラブを新築したのである。
さらに、大正デモクラシー時代は新聞の黄金時代でもあったので、たくさんの記者クラブが生まれた。1939年、太平洋戦争前には東京だけで80以上の記者クラブがあったといわれる。しかし、記者クラブが今日のように制度化されたのは、太平洋戦争が始まってからである。新聞の政府統制が厳しくなり、新聞は「皇道を推進する新聞通信の国家的使命」を翼賛することが求められた。
1941年5月:総動員法に基づいて新聞事業令が作られ、新聞統制機関「日本新聞連盟」が発足。記者クラブの数は1/3に減らされ、クラブの自治が禁止に。 :-( これが今の日本新聞協会の前身である。そういうなかで記者クラブの「一官庁一クラブ体制」が決まり、メンバーとなる記者は全国の有力新聞10社、1社4人以内という基準が作られた。以降、政府や官庁が発表するニュースや情報は記者クラブを通じて行われるようになった。
1949年10月:日本新聞協会は『記者クラブに関する方針』を作成し、記者クラブを「親睦社交を目的として組織するものとし取材上の問題にはいっさい関与せぬこと」と規定。
1941年以降、記者クラブから締め出された地方紙が加入を一斉に要求し、GHQの指示で記者クラブは全面的に改組され親睦団体と位置付けられた。
親睦機関と割り切ったものの、現実は取材機関としての記者クラブのあり方との矛盾がたちまち露呈することになった。日々の取材のなかで、取材先との黒板協定といった報道そのものの自由を規制、制限する協定が相次ぎ、日本新聞協会は1962年7月、再び次のような記者クラブの協定に関する方針を出した。
「記者クラブだけの協定は、これを認めない。各社の幹部がその必要性を認め、これが各社の協定とならぬ限りは、報道の出先だけの協定をみとめることはできない」
これを見ると”取材上の問題には一切関与せぬ”として記者クラブを、親睦機関と位置付けた1949年の方針から全くの逸脱であった。
1978年10月「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」が現在の記者クラブや報道協定の指針とされているが、そこでは取材、報道の調整的機能をはっきりと認め、さらには統制的性格がより一層強く打ち出された。この見解で同行取材や、外国特派員の取材など従来から批判のあったものには門戸を開いたり、認めたりした。しかし、外国特派員に正会員の資格でのクラブ加入が認められたのは、1993年6月になってからであった。
メディアを取り巻く激しい環境の変化の中で、記者クラブの在り方が根本的に問われる事態になったのである。
1997年12月:日本新聞協会は記者クラブを公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする「取材のための拠点」と改める。
1999年6月:国内最大級の企業といわれるNTTに置かれた記者クラブ「葵クラブ」が歴史を閉じた。クラブ廃止に合わせ、NTT側も外国報道機関や雑誌メディアにも対応できる、出入り自由な記者室を設けた。
2001年5月:田中康夫長野県知事が「脱・記者クラブ宣言」を発表した。
2005年3月:ライブドアがインターネットメディアとして初めて気象庁記者クラブに加盟を申請。
2005年7月:フリージャーナリスト(ルポライター)寺澤有と船川輝樹週刊現代副編集長が警察庁と記者クラブ加盟社15社を相手どり、警察庁庁舎内で行われる記者会見などに出席し質問することを妨害してはならない、との仮処分申請を東京地方裁判所、東京高等裁判所に申し立てるが棄却。最高裁判所に特別抗告している。
2006年3月:ライブドア前社長・堀江貴文が証券取引法違反で起訴されたことを理由に申請を出席者の全会一致で却下。
記者クラブは、政治・経済・社会・文化・科学・運動など、あらゆる分野にわたって、各省庁をはじめ各公共機関に、単一または新聞社系、民法連系といった複数の記者クラブが組織されているのである。
霞クラブ(外務省)、文部記者会(文部省)、防衛庁記者クラブなど単一のもの財政研究会と財政クラブ(大蔵省)、環境庁記者クラブと環境記者会(環境庁)など2つに分かれている場合もある。また、警視庁クラブのように、七社会と警視庁記者クラブ、警視庁ニュース記者会3つに分かれている場合もある。記者クラブの規模で最大のものは、国会記者会で登録会員はおよそ5000人になる。次は内閣記者会の約300人、中央官庁や関係する諸団体の記者クラブの会員は、数十人程度から百人を越える。各クラブの担当者は、毎日、クラブ(記者室)に通い、そこを拠点として取材に当たっているのである。 :roll:
主要な記者クラブの一覧
次回は記者クラブの問題点を明らかにしていきたい。 8) (つづく)

List    投稿者 mtup | 2008-10-20 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配4 Comments » 

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コメント4件

 東京11区 | 2009.01.17 23:04

人はなぜ派閥を形成するのでしょうか?
会社でも、町内会でも、子供集団でも派閥があった時代に育った世代としては気になるところです。
また、派閥とは何を結集軸にして成立するのでしょうか?
利権確保や権力闘争が無くなれば派閥は意味がないといえるのでしょうか?
派閥の存在が日本の政治をダメにしたのか?
派閥の結集軸の中身が政治をダメにしたのか?
気になります・・・

 seijika-hisyo | 2009.01.20 20:12

昔の角福戦争に例えられるような目立った派閥の動きや権力集中が無くなって、平準化された感があります。
また与謝野や野田聖子のように無派閥の人数も増えていることからして、派閥の効力が小さくなってきたとも見て取れます。
私権残存の最も強い政治の世界も、金や数の力だけで支配できる時代はおわり、共認評価のふるいに掛けられる時代になりつつあるのかもしれません。

 mtup | 2009.01.22 3:06

東京11区さん、seijika-hisyoさん、コメントありがとうございます。
>人はなぜ派閥を形成するのでしょうか?
人間は共認動物なので、集団(派閥)を形成するのは当然といえば当然なのかも知れません。
ただ「派閥=悪」という図式が、マスコミ等を通じて私たちに刷り込まれているので、嫌悪感が強いのだと思います。
もっとも私権時代を背景にした『派閥』では、やはり権力闘争の基盤をなしているので、私権が結集軸ではこれからの未来はないと思います。自民党の現在の派閥を見ても、なんだか小悪党の集まりって感じがします。角栄のような強烈な人は今後出てこないでしょう。
共認時代に転換したこれからは、『認識』を結集軸とした集団による認識闘争(同類闘争)が熱くなっていくのではないのでしょうか。
今後も応援の方をよろしくお願いします。

 dark blue hermes handbags | 2014.02.03 7:29

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