2017年06月06日

戦争の起源Ⅱ~そもそも人類はどうして戦争を始めたのか~

古代の戦争

第二次世界大戦以降、世界中を戦場にした大規模な戦争はありませんが、地域的な紛争やテロは今尚あとを絶ちません。

しかし、「戦争」は人類にとって必然なのでしょうか。
今回は戦争の起源と歴史を、人類史の観点から見てゆきたいと思います。
以下の記事は「実現塾」で議論した内容です。多くの気付きが得られると思います。

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【~飢えの圧力×騙し当然の感性・集団自我が合わさらないと殺し合い=戦争にはならない~ 】

●概要
テーマ:戦争の起源と歴史

★9.11以降テロとの戦いが世界で蔓延したのは何で?
|⇒★テロとの戦争とそれ以前の戦争の違い~WWⅠ以降の戦争の変遷から掴む
↓→●世界の平和共認△で戦争は実現困難になっていく
★そもそもどうして戦争は起きたのか~戦争の構造を解明
|→★戦争は人類の本性?~同類闘争はサル・人類の大きな活力源
|→★人はどうして殺し合うようになったのか~飢えの圧力×集団自我
↓→●十字軍遠征は覇権争いから金儲けの戦争への大転換
●’70豊かさの実現以来戦争の基盤は崩れた。戦争の消滅は近い。

***
そもそも人類はどうして戦争を始めたのか~戦争の構造の歴史的解明
こういう問に対してよく「それは人間の本性である」という言われ方をするが、それに対して事実でもってどう反論するか?
→人類始まって以来五百万年のほとんどを占める極限時代に同化すると、類は足が先祖返りして木から落ちた猿→そのままでは生きていけない
⇒洞窟に隠れ住んで生きていくので精一杯。生きているのが奇跡のような存在→同類といったら自分達しかいない→戦争が起こるわけがない。

●そもそも、動物は同類同士で殺し合いはしない。
個間闘争と国家・集団闘争はしばしば混同して語られることが多いが、実は全く違う。
【個間闘争】を生み出しているのは、専ら性闘争本能→雌を巡っての性闘争。同じ集団内で起きるが、種の滅亡を防ぐために殺し合いはしない。どちらかが負けたら勝者に従う=敗従本能

●同類が集団同士で覇権を争うのはサルと人類だけ
集団間のナワバリ闘争=同類闘争
本能は他種からどう身を守るか=種間闘争の軸上で形成されているので、同類闘争は本能にない(対応できない)。そのことが戦争は本能ではないというとこを端的に示している。
樹上という狭い空間でサルがひしめき合っているという特殊な状況でこそ起きたこと。
サル時代は原猿から遡ると六千万年くらいあるので、この同類闘争は当然DNAにも刻印されているとは思います。
だが、サルのナワバリ闘争で何かの間違いで1匹くらい死ぬことはあっても、集団絶滅なんてことは全くない。殺し合いというのとは全く別の次元。
同類闘争こそ戦争の起源であると一方向から捉えて考えたら間違いで、他の動物にない【同類闘争】の圧力があったから、サルだけが知能を一気に進化させることができた。
また、現在の企業間闘争にしても何にしてもあらゆる闘争が人類の大きな活力源になっている。

★同類闘争はサルからあるけども、何で殺し合いになるのか?これは人類だけ、どうしてか?
1万5千~1万年前弓矢の発明によって洞窟をでることができるようになった→飛躍的に生産力△→人口△
1万年前には農耕・牧畜は広まりつつある=相当数の人口
周辺に別の部族が居るということが分かった人類に同類闘争の緊張圧力が生じる
しかしその当時の戦争の痕跡は全くない。
各部族は同類の存在を知った時、平和友好の【贈り物関係】を構築した。
これは交易・市場=交換関係とは全く違う。一方的に送るだけの関係。

五千五百年前、イラン高原で最初の戦争が起きる。
原因は世界規模の乾燥気候が100年以上続いた→たちまち飢餓に陥る→遊牧部族がオアシス周りの農耕部族を襲う→皆殺しの略奪闘争

★ひたすら仲間第一→他部族に対しても平和友好の関係を気づいてきた人類が物質的な欠乏だけで戦争は起きるのか?「敵を殺せ」という論理に転換したのはなんで?

【遊牧】がそういう心情にさせたのでは?
農民は収穫物も全てが共有財産。しかし遊牧部族においてはじめて【私有】の意識が出てきた。
これは共同体の原理からは絶対に出てこない。
遊牧をしたときに「自部族はこんだけしか持ってないが、あっちはあんだけ持ってる」という相対的な私有意識が生まれた。

洞窟時代は【集団】という意識はなかった。自分たちの洞窟=世界と理解していた
別集団をみて初めて、相対関係の中で初めて【自集団】という意識が生まれる。集団意識は【自我】がないと成立しない。
→原始時代の精神の中心にあった精霊信仰から、同類闘争の緊張圧力の中において守護神信仰にかわる。明らかに自我がここには紛れている。

自我=他者否定・自己正当化の塊
一旦相対性の中で(集団)自我が生まれたからには、当然敵は殺せになるに決まっている。
→殺していいまでは断層がある。
農耕民族までは自給自足だけど、遊牧=家畜からの収穫だけでは生きていけない→市場が形成される→騙し・駆け引きが始まる。

●飢えの圧力×騙し当然の感性・集団自我が合わさらないと殺し合いにはならない。
そうして五千五百年前遊牧部族が戦争をはじめてモンゴル高原まで伝播
イラン高原→地中海に於いての戦争は一貫して皆殺しの伝統を持っている→共同体性が完全に破壊される。
→西洋の世界は集団規範が存在しない、あるのは自我原理だけ

東洋での戦争は餓死するほどの乾燥ではないので、皆殺しではなく負けた方が服属してく→共同体性強く残存

そこから国家形成までは覇権闘争。→大帝国を形成(ex.ローマ、秦)
一旦帝国作っても、蛮族征服にわざわざのりだす。
国を持つ→安定した農耕部族VS相変わらず闘争性高い遊牧部族 の繰り返し
一旦できた帝国に周辺部族が闘いを挑むのも基本的には覇権闘争=侵略戦争と一体
大体中世までの戦争はそのくくりの中にある。

もともと戦争は【貧困×集団自我】で起きる。
’70年に豊かさが実現→貧困でこそ「戦争もしゃあないか」という意識にもなるかもしれないが、こんなに豊かになったのになんで戦争なんてしないといけないの?と全く正当化できない。
→どんどん戦争の遂行が困難に→反戦共認・平和共認の水位△
最後の手段としてテロとの戦争を生み出したがこれもすべてウソであるということは世界中でバレてきている。
戦争がなくなるのもこの数年のうちに実現されることだろう。

List    投稿者 nihon | 2017-06-06 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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