2020年06月19日

日本人と天皇の起源③~豊臣政権は天皇勢力が擁立した政権ではないか

 

日本における、天皇と公家による国家統治は、12世紀の平清盛政権の誕生をもって事実上幕を閉じます。
以降は後醍醐天皇による建武の親政を挟みながらも、幕末・明治維新まで約700年間、武家政権が続きます。

しかし15世紀後半、戦国時代を終わらせ全国を統一した豊臣政権は、天皇勢力が擁立した政権であり、事実上の天皇による全国支配の復活ではなかったか、という説があります。

確かに豊臣政権は、前後にある織田政権、徳川政権と趣を異にしています。
織田。徳川政権があくまで武家の棟梁として全国支配をしようとしたのに対し、豊臣氏は「関白」という天皇を補佐する官位に付き、あくまで天皇の命令という形で天下平定を行うのです。
また豊臣政権が商業主義、貿易主義の政権であったことも一つの鍵となります。
土地と米を基盤とする他の武家政権と違い、豊臣政権はアジア圏の商業ネットワークを基盤とした経済力で成立していました。
豊臣政権が、天皇家の出自である朝鮮半島と深い繋がりがあった事も容易に想像がつきます。

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【豊臣政権は天皇勢力が擁立した政権ではないか】  
 戦国から江戸時代にかけて、織田、豊臣、徳川の武家政権が続くが、この中でも豊臣の存在は明らかに異質である。それは、豊臣が武家政権でありながら、徹底して天皇家の権威とネットワークに依拠していたことにある。
 確かに、信長は室町幕府の末期において将軍家等の反信長勢力と対抗するため、朝廷や公家を援助し、それを利用した時期もある。しかし信長は1578年に右大臣・右近衛大将を辞任して以後は、朝廷の官に付こうとしなかった。また、朝廷からの関白・太政大臣・征夷大将軍の推挙も無視し続けた。明らかに天皇家や公家と距離を置き、それらから独立した政権を構想していたのである。
徳川に至っては、公家諸法度始めとして朝廷や公家を統制し、朝廷の廃絶を検討していたふしさえある。

 ○天皇勢力に立脚していた豊臣政権
 それに対して、秀吉は決して全国を武力統一したわけではなく、 「天皇から全国の統治をまかされた」 ということで、天皇の名代として諸国に号令を発して統一をなしとげている。
つまり、主として戦闘ではなく、天皇の命令による停戦命令によって、戦乱を収めていったのである。具体的には、関白になった直後の1585(天正13)年10月に、激しい領土争いを続けていた九州の島津氏と大友氏にあてた「九州惣無事令」であり、1586(天正14)年の11月に出され、関東・奥羽の諸国大名に対してだされた「関東・奥両国惣無事令」等である。
戦国時代においては大名同士の領地争いは、大名同士の戦闘によって決していたのであり、これ自体が極めて異例である。足利義満以後武家政権は、武家の裁量に任せて全国を統治する権限を行使しており、天皇はその将軍の権威を補完する名目的権威に成り果てていた。対して、秀吉が出した惣無事令・喧嘩停止令以下の諸命令文書は皆、この天皇命令を秀吉が奉じる形で出されており、武家の長が、天皇の秘書官に成り果てて、その命令を忠実に実行するという、義満以来の200年間の尺度で見ると、極めて異常な事態である。
(中略)
 そしてその極致が、1591(天正19)年における天皇への諸国郡図の献納であり、これをもって日本全国は天皇の統治下に置かれたことが象徴的に示され、最後に、その天皇の朝貢命令に従わない朝鮮に対して「征伐」の軍を出すことが命じられた。2度にわたる朝鮮出兵も天皇の命によるものだったのだ。

 ○秀吉は商業ネットワーク出自か?
 また、秀吉が停止を命じた争いには、領国争いの他に海賊行為があった。これは、戦国後期になっても中国人海商と日本人海商や海を領する国人領主によって行われていた海賊行為(倭寇)を禁圧し、中国・朝鮮や東南アジア、そして南蛮との貿易を秀吉政権が統括しようとしたと推測できる。朝鮮出兵の際には、諸大名だけではなく、朝鮮や中国の倭寇も大量に日本側の勢力として合流している。これに象徴されるように 秀吉政権の対外政策には、東アジア交易ネットワークの担い手であった武装商人集団である倭寇集団の力と世界観を反映したものが多い。このような経緯を見ると秀吉は天皇・公家と商業ネットワークに支えられた政権であることが見えてくる。
(中略
当時の商人は諜報部隊でもあり、貴族政権時代は時の権力を生み出し、支える人的基盤でもあった。

  江戸時代初期は、徳川と豊臣家は未だ並立する存在であった。大阪夏の陣・冬の陣によって豊臣家は滅亡するが、上記の見方に立てば、これは徳川が天皇勢力から武家勢力に覇権を奪い返す戦いと見ることが出来る。しかし豊臣家は滅亡するも、交易に立脚していた毛利、黒田、島津など豊臣家に連なる勢力(西国大名)は、江戸時代が地域分権社会だということもあって、江戸期を通じてなお一定の勢力を保持することになる。

List    投稿者 nihon | 2020-06-19 | Posted in 04.日本の政治構造No Comments » 

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