2009年05月22日

レーニンは労働階級の代表か?

さて今日は「革命の父」こと、レーニンを見てゆきましょう。
資本とは最も縁遠い、と思い込まれている彼の実態はどんなものなのでしょうか?
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画像は USSRPOSTERSさんからお借りしました。ありがとうございます。
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彼の思想はマルクス・レーニン主義と呼ばれ、ボルシェビキを率いてロシア革命を成功させ、ソビエトを樹立しました。
                                                             
その思想はどういうものだったのか?
まずはその概要を引用します。
テロルという名のギロチンより。

 『レーニン主義は、旧世界を革命によってぶち壊し、その瓦礫の上に、やがて新しく、輝かしい文明をつくりあげることを可能にするのだと、われわれは教えられた。
どうやって? どんな手段を使って? その答えは、「無制限の権力をもつ独裁によって」であった。
レーニン版マルクス主義の原罪の発端はここにあったのであって、公平に見て、独裁という理念にかなり拘泥していたマルクスにあったのではなかった。だが、レーニンは、この独裁の理念を、マルクスの国家問題にたいする最大の貢献とみなした。
「闘争および戦争によってしか」、「人類の重要な問題」は解決できないという彼の主張は、破壊的志向を優先させたのである。
 こうして武装したレーニンとその後継者たちは、未来世代の幸福という名のもとに、革命の輸出、内戦、果てしない暴力、社会主義の実験など、すべてが許され、道徳的であると決め込んだ。
そのヴァイタリティ、否定されることもないままに盛んになったレーニン主義のアピールは、もとをただせば、完全で公正な世界を求める永年の人類の切なる願いから生まれたものである。レーニンを含めたロシアの革命家たちが、人間存在にとって昔からの諸悪の根源である搾取、不平等、自由が欠如している実態を暴いたことは正しい。
だが、レーニン主義者たちは、こうした諸悪の根源を一掃する機会を獲得したあと、新たな、少々形を変えた国家による搾取形態をつくりあげたのである。社会的・人種的不平等の代わりに、官僚主義的不平等が生まれた。階級的隷属状態の代わりに、総体的隷属状態が起こった。マルクス主義のレーニン版は、この広大な国で具体化され、その過程で、一種の世俗宗教のようなものになっていった』(P.9)。

やや過激な表現ですが、的を射ているのではないでしょうか。
官僚主義的不平等・総体的隷属状態とは不幸にも起きてしまったのか?
このような運動を起こす資金はどこから手に入れたのか?

これを探っていくのが今回の主テーマです。
以下、「ロマノフ家の黄金―ロシア大財閥の復活 : 広瀬隆 著」から引用します。

レーニンの母方の曽祖父イワン・グロスショップ(グロショップフ)は、スウェーデンから来たユダヤ人宝石商で、こともあろうに栄華を誇るロマノフ家の女帝エカテリーナ2世の時代に、首都ぺテルブルグで貿易商人協会の会長であった。
そして次々と愛人をとっかえひっかえしたこの女帝にとって、
“貢物をもって訪れ、さまざまな入れ知恵をしてくれる強力な友人”がグロスショップだったのである。
ロシア革命がなぜ民衆を殺すという誤った方向に進んだか、その原因を理解するには、まず指導者たちがいずれも“本物の労働階級ではなかったという史実を発掘するところから、歴史学のペレストロイカとグラスノスチをはじめたい。

ひいじいちゃんは宝石商。なおかつ女帝のお気に入り、だったようです。

レーニンの母方の祖父、アレクサンドル・ブランクは、前述の宝石商グロスショップの娘アンナと結婚し、1847年にはカザンに領地を買って貴族となった
ただしこの場合の貴族はフルシチョフ家と違って、ロマノフ貴族の系譜書にも記載されていない小貴族だったため、むしろ差別が激しかったロシアの中でようやく上流社会に入ることのできた、という程度だったと思われる。
革命家レーニンとしては、しかし貴族であれ成金であれ、どちらも語られたくない祖先であったらしく、グロスショップの話を極端に嫌がった。つまりレーニンにとって大事なのは旧い家系ではなく、自分の行動がどうであるかということだった。
この説は全く正しい。ではレーニン本人の時代における、実家の事情はどうであったか

こうしてまずは二流貴族の仲間入りをします。

レーニンが幼年時代をすごしたのは、明らかに上層階級が集まる邸宅地だったが、レーニンことウラジミール・ウリヤノフの長姉アンナが結婚した相手は“最も裕福な階級”に属する正真正銘のロマノフ貴族エリザロフである。
同家は、ロシア貴族の系譜書では16世紀の古い記録までしか残っていないため本書で系図を明示できないが、その時代に5万余の農奴を所有した悪名高きボリス・モロゾフの分家だったことまで判明している。
このモロゾフ家は、19世紀に台頭した農奴出身の富豪モロゾフとはまったく別の家系でその閨閥はロマノフ家そのものという大貴族であった。

ついで、正真正銘の貴族にステップアップしてゆきます。

レーニンの父母についての記録には二流貴族の印象がつきまとうが、レーニンの義兄はこのように違っていた。まさしく“最も裕福な階級”だったのである。彼の兄アレクサンドルが皇帝暗殺の容疑で処刑されても、ウリヤノフ一家は生き残った。またレーニンに豊富な資金がなければ、あれほどの活動はできなかったと思われる節もある。

平民から二流貴族に。二流貴族から“最も裕福な階級”に。
これがレーニンの家系のようです。
革命運動に不可欠な豊富な資金はどうやらここから供出されている可能性が高そうです。

結局、1990年代の激しいペレストロイカの中で、ソ連・ロシアの各地でレーニンの巨大な立像が民衆の手で引き倒され、それが二束三文で珍品として西側に売りに出されてきたニュースは奇奇怪怪である。
「その人は、ロマノフ家のレーニンだったのです!これからのロシアを指導するにふさわしい、最も富裕な階級の人だったのです!」と、ロシア人に教えたい気がする。
これから詳しく述べるように、ソ連崩壊と同時に、ロマノフ王朝の君主制を再興しようとする重大な活動が始まったからである。今こそレーニンを、貴族として再評価しなければならないだろう。

共産主義の象徴であったレーニン像ですが、そのレーニンその人は労働階級などではなかった、皮肉にも、ペレストロイカ後に資本主義化される新生ロシアの象徴といったほうがよい、ということですね。
(ちなみにソ連崩壊後の活動については今回は扱いませんが、なんらかの繋がりはあるようです。)

この革命の父レーニンが、ソ連の外相として「貴族」チチェーリンを登用しただけでなく、赤軍総司令官に「貴族」トゥハチェフスキーが就任し、秘密警察チェカの初代長官が「貴族」ジェルジンスキーであったことを知るなら、しばしば使われた階級闘争という用語が、実際には下級階級として苦しめられる人々に向けた闘争だったことになる。被害者の姿が、何よりも雄弁にそれを物語っている。

ロシア革命とは、富裕層による富裕層のための革命だった、ということになります。
そのための資金ですから、当然富裕層がスポンサーになっているということです。
さらに「官僚主義的不平等・総体的隷属状態とは不幸にも起きてしまったのか?」という問いに対する答えは
「Нет!」(ロシア語でNO!)
起こるべくして起きた、というより最初からそれが目標だった、ということになります。

List    投稿者 ohmori | 2009-05-22 | Posted in 08.近現代史と金貸し4 Comments » 

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コメント4件

 ぷー太 | 2009.08.24 0:51

マスコミってその国の政治との関係で、業界構造がかわってくるんですね。
確かに海外は大統領選などはマスコミが支持政党を発表して、国を挙げて報道するし、さまざまなリーク情報が出てくるので、そこらへんもこの構造の違いから発生してくるんでしょうね。

 willow | 2009.08.24 14:04

こうして見てみると、各国の政治家と企業との関係が、マスコミの発信するその時々の情報に大きな影響力を持ってるのが分かりますね。当たり前のように思っていた日本が他の国とかなり違うのも良く分かりました。

 yamajun | 2009.08.24 15:32

ぷー太さん、willowさん、コメントありがとうございます♪
>マスコミってその国の政治との関係で、業界構造がかわってくるんですね。
そうなんです!
意外と知らない基礎情報ですよね☆+゜
>当たり前のように思っていた日本が他の国とかなり違うのも良く分かりました。
調べてみると、ほんと日本の特殊性が際立ってました!
続・追求していきたいです☆+゜

 hermes bags dark gray | 2014.02.01 19:19

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