「皆で考える」江戸時代の教育制度と、「教える」スタイルの明治時代以降の教育制度
現在、大学から個人の学習塾に至るまで、教育のあり方についての転換と模索が続いています。
現代の、先生が一方的に教える講義形式の授業では今や生徒の能力も勉強意欲も上がりません。
学歴によって将来が約束された私権時代であれば、その強制圧力でもって勉強活力が維持されましたが、私権が輝きを失い、一方で現実を突破する創造性や柔軟性、共認形成力が求められる現代においては、講義型に代わる新たな勉強のスタイルが求められています。
その一つが「学びあい」により皆で考える事で、生徒自身の主体性、学ぶ意欲を喚起させるスタイルです。
先端的な学習形態として多くの教育機関で導入が模索されており、成果も出していますが、
日本の歴史を振り返ると江戸時代の教育制度にその源流を見る事が出来ます。
以下、「福沢ブログ」さんの記事を紹介します。
【江戸時代の教育方法】リンク
(前略)ところで、その講義の中で江戸時代の教育方法についての話がありました。私のイメージは、論語などの本を生徒が先生の後について皆で一斉に音読し、記憶しておくというものでした。自分の学生時代をダブらせていたのでしょうか。実は、商人によってつくられた私塾では、もっと生徒の自発性を基本に教育がなされていたそうです。
当時の学校は、基本的には儒学を教えていたわけですが、儒学の教育とは、一方通行型ではなく、各自に思考させ教師はヒントを与える役割にしか過ぎないというものでした。実際、論語には以下の記述があります。
曰く、憤せざれば啓せず。ひせざれば発せず。一隅を挙げて、三隅を以て反さざれば、則ち復せざるなり。(論語述而より)
「先師がいわれた。私は、教えを乞う者が、まず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない」(下村湖人現代訳)。
先生の講義から入るのではなく、まず生徒が独力で考えに考え抜く。それでもわからず苦しみ抜く。そこでやっと先生が、少しのヒントを与える。苦しみ抜いていた生徒は、そのわずかのヒントで「一を聞いて十を知る」ことができる。そのくらいの段階まで生徒が思考を重ねていなければ、二度とその生徒にヒントを与えることはしない。つまり、相手にはしないということです。非常に、生徒個人の自発性に委ねる教育方法と言えるでしょう。
生徒は先生から知識を教えてもらうという、今一般にイメージされる日本人の教育方法は、明治以降に出来上がったもので、江戸時代以前はこういった教わるのではなく学び取るスタイルが一般的だったようです。もしそうだとしたら、江戸時代の私塾で学んだ生徒のレベルは非常に高く、だから明治維新も実現したのかもしれません。
では、なぜそのような教育スタイルが失われてしまったのか。4つの仮説があるそうです。
1)西洋列強に追いつくため、知識吸収スピードを重視したため
2)一方的に考えを伝える「演説」が重視されたため
3)「学び」が立身出世のツールとなり、それには知識量が重視されたため
4)政府が「思考する」国民を警戒し、弾圧したため
いずれにしろ、この明治のスタイルは今でも、学校教育には色濃く残っています。ただ、実践と成果を重視する企業教育の分野においては、先述の儒学的教育も以前から重視されていますし、その重要性は高まっていると言えるでしょう。
考えてみれば、職人の世界では明治以降もずっと師匠と弟子の間は「教えない」「自分で盗み取れ」という教育スタイルでした。(近頃は、そこでも「教える」ことが時代にあった新しいスタイルだとの意見もありますが、果たしてそうでしょうか?)
先生が「教える」という教育方法は案外新しいもので、我々日本人に合った教育方法は「考えさせる」の方だという気もします。きっと他にも、明治の混乱期に出来上がった即席スタイルを、日本古来のものだと誤解し有り難がっているものがあるような気がします。
常識や思い込みに囚われないためにも、歴史に学ぶことはまだまだたくさんあるのです。
以上
引用終わり
「教える」授業から「皆で考える」授業へ。これは今まさに求められている教育のあり方そのものであり、しかも私たちの先祖はそれを実践していた。それも遥かな昔ではなく、わずか150年前の話なのです。
教育とは、決して個々人の栄達の為ではなく、皆の期待の応え、未来を作る人材を育てるためにあります。
社会の統合軸が私権に収束していた時代は、社会の期待も課題も明確だった故に暗記脳でも官僚思考でも統合階級が機能できました。
しかし私権制度が崩壊し、私権統合から共認統合へと社会の収束軸が大転換した現代にあっては、共認形成力や同化能力こそが未来を切り開く力となります。
その為には「一方的に教わる」から「皆で考える」勉強が求められるのだと思います。
思えば幕末から明治初期にかけて、他のアジア諸国が瞬く間に欧米列強に侵食され衰退の一途を辿ったのに対し、日本だけが明治維新を成し遂げ列強と対等に渡り合い近代国家を形成します。
日本の、統合階級から庶民に至るまで学んできた「皆で考える」教育、そこで培われた追求力や創造力、国民一体となる共認形成力が根幹部分にあった故に、明治維新を成し遂げ、現代に至る国家の未来の礎を築く事が出来たのでは無いでしょうか。
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