2010年12月08日

特権階級の空中浮遊とはどういうことなのか?(12)~特権階級の空中浮遊の真相~

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画像は、こちらからお借りしました。(自民、民主共に支持率20%下る世論調査)、
「特権階級の空中浮遊」とはどういうことなのか?その本質は何か?を紹介するシリーズの第12回です。
いよいよシリーズも最終回です。
これまでの流れは・・・
第1回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(1)~特権階級の世界と大衆の世界の断絶と接点」
第2回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(2)~戦後日本の意識潮流とマスコミの第一権力化」
第3回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(3)~小泉・中曽根元首相の共通点と電通によるメディア支配」
第4回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(4)~輸血経済(自由市場の終焉)と失われた40年」
第5回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(5)~小泉の支持率・目先収束とマスコミの扇動報道」
第6回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(6)~“民主党攻撃を強化せよ!徹底的にやれ!”」
第7回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(7)~「報道の自由」を盾に、「国民の知る権利」をいいように踏みにじる報道行為は許されない~」
第8回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(8)~日本の政治を動かしているのは政治家ではなく官僚だ!~」
第9回は「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(9)~暴走する検察:検察権力の強大さ~」
第10回「特権階級の空中浮遊とは、どういうことなのか?(10)~特権階級の暴走と下層階級の暴走~」
でした。
前回は、09年頃の社会状況を基に、暴走の果てに「空中浮遊」に至る構造について考えてみました、最終回は、特権階級の空中浮遊の真相について考えてみます。
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まずは、大衆、特権階級の意識状況について。
□大衆の意識状況は?
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向より。

生存圧力が衰弱し、物的充足が飽和状態に達した状況での新たな(=より大きな)充足可能性は、物的価値ではなく類的価値(人と人との間に生じる欠乏)の充足の中にしかない。そして、類的価値の充足とは、共認充足に他ならない。
充足志向は安定志向を生み出すが、この安定も相手との共認や規範の共認etc人々の共認によって実現する。従って、生存圧力を脱した人々が志向する充足・安定志向は、必然的に共認収束の大潮流を形成してゆく。
その充足可能性の追求は、まずは‘70年代自由な性(性収束)に向かい、続いて’80年代マイホーム主義(家庭収束)を生み、‘90年代仲間収束(子ども世界における仲間空間絶対の空気)を生み出してゆく。

・飲み会、合コンは、自宅が当たりまえ?「宅飲み」の実態について
http://news.ameba.jp/domestic/2010/07/73615.html
・勉強会ブーム
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=210510
・mixiに生じた答え欠乏はるいネットへ向かう???
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=237821
□特権階級の意識状況は?
共認充足は架空から現実へ、私権闘争は現実から架空へ
より。

サルの序列であれ、中世の身分制度であれ、近代の資本競争であれ、どの時代にも何らかのヒエラルキーは存在し、その中でポジションを得ることは絶対課題だ。私権ヒエラルキーが意味を失った現在、実はその頂点に座していた支配階級の身分維持欠乏だけが現実であり、メディアが強烈に煽る経済不安も金融危機も、その無意味さを庶民から隠し、旧序列構造と彼らの身分を延命させるために演出された架空世界なのではないだろうか

★中間まとめ★
大衆の意識=現実の共認充足→事実収束への潮流とずれた特権階級の無能政策やだましに国民も気付きはじめているのではないでしょうか?、’09年(脱自民の潮流)や’10年(自民、民主共に支持率20%下る世論調査)、近年みられるマスコミ不信は国民と特権階級の意識のずれを明らかにしたと考えます。
続いて。
意識のズレは、いつまでも架空観念にしがみついているでは!?空中浮遊したままでは国民とすれ違ったままであり、どこかのタイミングで国民とすり合わせが必要である。
そして架空観念が現実につかえなくなってしまった観念であることの認識が必要なはず。
では、架空観念が使えなくなった理由は何か?
共認充足は架空から現実へ、私権闘争は現実から架空へ
より。

□現実が私権闘争に支配されていた頃、人々は失われた共認充足を架空世界に求めた。それが代償充足としての“涙”や“笑い”であり、映画やテレビを爆発的に普及させる原動力となった。貧困が消滅し、私権が衰弱し、共認充足の可能性が開かれた現在、これら代償充足を生み出すメディアはことごとく見捨てられ始め、代わりに人々の“現実”=本能回路や共認回路は、生々しい仲間充足や現実課題に鋭く反応するようになった。

現在も架空性をもった報道が本質問題を遠ざけている
共認充足は架空から現実へ、私権闘争は現実から架空へ
より。

□一方、90年代以降、経済のグローバル化と金融支配が進み、社会格差の拡大が嘆かれ、現在はドル暴落による金融恐慌の不安が喧伝されている。共認充足の可能性が開かれた時代である筈にも関わらず、世界はむしろ私権闘争が拡大・激化し、その支配力が強まっているようにも見える。
しかし、もう一度改めて考えてみると、金融支配だ、格差社会だ、原油高騰だ、ドル暴落だと幾らメディアで騒がれても、庶民の方は実はそれほど実感があるわけではない。漠然と何か不味そうだとは思いつつも、貧困の時代のような追い立てられるような危機回路の作動は無く、実際の日々の生活に大して変化があるわけでもない。これはどういうことか?

今年のウォール街、史上4番目の高収益へ=NY州会計監査官 2010年 11月 17日
以上の記事中「ウォール街は規制改革に適応し、新たな金融環境でビジネスを行う方法を学びつつある」という言説はいかにも架空的。多額の損失を計上(チャラ)にした後、政府支援と金融緩和を収益だと喧伝する、しかも「適応し、学びつつある」などと奇麗事に纏めるのは明らかに「演出された架空性」だ。
★まとめ★
現実が肯定できる充足関係を形成できるようになった(仲間収束・社会収束)現在において、現実否定の架空世界を暴いていくことは難しいことではないかもしれない。
現実のありのままを直視した結果感じる違和感の正体(≒統合階級やメディアによる世論支配)を見極め、事実観念による事実収束の社会潮流を形成していくことが空中浮遊の落着点となるのではないかと思われます。

List    投稿者 Hikaru | 2010-12-08 | Posted in 04.日本の政治構造No Comments » 

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