2014年08月28日

社会主義国家は、市場の限界を感じた金貸しの実験か?

「金貸しが社会主義国家を作り上げた理由は?」では、次のような仮説を提起した。

「私有権は絶対不可侵」というのは騙しであって、支配者の都合によって大衆の私有権などいつでも剥奪できる。例えば、預金封鎖とは私有権の剥奪そのものである。但し、資本主義社会では「私有権は絶対不可侵」が建前上は共認されており、金貸しと云えども、トコトンまで追い詰められるまでは大衆の私有権の剥奪には至らない。

一方、社会主義国家では、少なくとも建前上は、私有財産権は認めておらず、全ての富は国家管理である。つまり、金貸しは国家さえ支配できれば、大衆の富を一括して好き放題に収奪できるのが社会主義国家である。 これが金貸しが革命によって、ソ連を中国をはじめとする社会主義国家を作り上げた理由の一つではないか。

今回は、金貸しが社会主義国家を作り上げた、もう一つの理由を提起する。

社会主義国家とは、市場社会(資本主義国家)の限界を感じ取った金貸しが、市場の限界を乗り越えるための一つの実験だったのではないだろうか?

にほんブログ村 政治ブログへ

前提条件として、市場社会の限界(矛盾)構造を明らかにする。

【1】まず、市場社会は秩序崩壊の危険性を孕んでいる。

100年前(or戦前)までは、喰えない極貧者は現在よりも多かったが、彼らが暴動を起こせなかったのは、資力支配の市場社会と云っても、武力支配(官憲支配)と身分序列が強く残存していたからである。20世紀or戦後、実態として市場社会が実現し、旧い序列国家から「民主」国家に移行したことで官憲の力も弱くなり、デモも自由になった。

その結果、貧窮者の暴動が起き易くなり、それに備えて’70年(特に’00年)以降、官憲支配を強化してきたが、食を絶たれた飢餓層が10%を超えると警察では抑えられなくなり、20%を超えると軍隊も崩壊する。従って、最低限、食い物だけは保障する必要がある。だからこそ現在も福祉切捨ての最右翼である米でさえ、フードスタンプは廃止できないでいる。

つまり、市場を拡大させるには、絶対的な飢餓の圧力を前提として、大衆の自我・私権欠乏を刺激する必要がある。それを正当化した制度が「民を主」とする民主体制であるが、それによって官憲の力は弱まり、暴動が起き易くなる。自我・私権を原動力とする市場社会は、秩序崩壊の危険性を常に孕む構造にある。

【2】より根本的な限界は、市場拡大を絶対とする限り、金貸しは、大衆をトコトンまで窮乏化させることはできないことにある。

大衆から収奪すればするほど、大衆の消費需要は減少するので、市場拡大ができなくなる。実際、金貸しが労働者から好き放題に収奪していた19世紀末までは、ほぼ10年ごとに恐慌が起こっていた。その総括からケインズ経済学が登場し、20世紀以降は、大衆への所得分配と国家のインフラ投資によって市場拡大を図るという路線に転換した。

次いで、’70年豊かさが実現した先進国で市場拡大を続けるために金貸しが打出したのが、バラマキの福祉戦略である。ところが、福祉戦略は金貸しにとって致命的な矛盾を孕んでいた。
まず第一に、福祉政策によって、大衆は生存が保障された結果、私権圧力が一気に衰弱すると共に、大量のブラ下がりを生み出した。

第二に、福祉政策は国の借金を急速に増大させ、膨大に積み上がった国債とその金利負担で、国家財政は破綻寸前である。

そうして作り出された余分なマネーは投機商品に流れ込み、経済はバブル化したが、バブル経済では実体経済は成長しない。それどころか、バブル(金融)経済に依存するほど財政赤字と過剰紙幣が膨張してゆく。そこで、投機市場と国家を支配するための資金が足りなくなり、’00年以降、金貸しは国民からの収奪に反転し、福祉削減に路線変更したが、福祉切捨ての最右翼である米でさえ、フードスタンプを廃止することができないでいる。

このように、市場拡大を続けるためには金貸しは、大衆をトコトンまで窮乏化させることはできない。また、生産力が発展して豊かさが実現されると、市場は縮小し始めるという限界(矛盾)を孕んでいる。

【3】資本主義では大衆からの収奪に限界があり、かつ、秩序崩壊の危険性がある。この市場の限界(矛盾)を金貸しは既に19世紀には認識していたのではないか。そして、この市場の限界を乗り越えるための実験国家を、20世紀の初頭に作り上げた。すなわち、私有財産権を大衆から剥奪した上で、武力支配(官憲支配)と身分序列によって秩序安定を図る。それが社会主義国家だったのではないか。

それは、西欧人に比べて秩序収束度の強いロシア人(スラブ人)の民族体質とも合致していたし、西欧より生産力の発展段階が遅れているロシアでは、統合様式としては武力支配の方が適していた。

【4】ところが、社会主義は致命的な弱点を孕んでいた。

社会主義と資本主義には、もう一つの違いがある。資本主義の中軸が民営企業(サラリーマン)であるのに対して、社会主義では国営企業(公務員)であり、国民は私有権を剥奪される代わりに、生存が保障されている。従って、社会主義国家では生存圧力⇒私権の強制圧力が働かず、私権活力(市場活力)が低迷する。

実際、ソ連は西側(金貸し)の援助がなければ存続できなかった。それくらい、活力が衰弱していた。「ロックフェラーと共産主義の関係 共産主義大機構の建設」

仮に世界革命の結果、現在より中央集権的な権力が樹立されたとしても、共産主義と国際金融資本の利害は何等矛盾しない。国際金融資本は、中央集権的な政府と取引するのを好む事はあっても、自由主義経済と地方分権的政府を望む事は決してない。
何故なら、これらは権力と共に富をも分散してしまうからだ・・・彼等一握りの銀行家とその黒幕は、ボルチェビキでも、共産主義者でも、社会主義者でもなく、民主主義者でも、アメリカ人(自由主義者)でさえもない。彼等は只ひたすら市場を求め、より大きな国際市場を望み、世界の市場を排他的に独占する事を最終目標としている人々なのである。(アントニー・サートン)

ロックフェラーと共産主義者の60年に亘る、そして今も進行している”協力関係”には、もっと重大な問題がある。それは我国における自由と独立そのものの存続の危機である。

サットン教授は、今迄誰も反論して見ようとさえしなかった多くの証拠を集めた。まず第一に、彼は、共産主義が技術革新や高い生産性を求める事が不可能な不活発な体制である点を示した。共産主義諸国の人民が最低限のレベルの生活をするだけでも、資本と技術を定期的に西側から受入れる必要があった。もし西側からの援助がなかったなら、ソビエトは当の昔に崩壊してしまっていただろう。しかし、もしソビエトという国が存在しなかったら、ロックフェラーと他の大資本家達は独占的な世界政府の企てを正当化する、作り出された”敵”を持たなかったであろう。

つまり、資本主義国家で大衆からトコトンまで収奪すれば市場は縮小し、秩序崩壊の危険性がある。大衆から私有権を剥奪した上で、収奪の極大化と秩序安定の両立を企図したのが社会主義国家である、ところが、秩序を安定化するために大衆の生存を保障した結果、生存圧力⇒私権活力は低迷し、西側の援助なしには市場の維持さえできなくなる。だからこそ、先進国において豊かさが実現し、市場が縮小し始めると、わずか20年で、金貸しは社会主義体制を放棄せざるを得なくなったのである。

 

List    投稿者 nihon | 2014-08-28 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/08/3977.html/trackback


Comment



Comment


*