官僚制の基盤は江戸時代にできた
日本の政治の特徴は自民党による長期政権と官僚制にあると言われます。
しかも、この官僚制は議会政治が確立された所謂55年体制以前から、確立されたシステムとして存在していました。
その基を辿ると江戸時代にその起源があるとのこと。
それに関して『自民党政治の終り』(野中尚人著)はなかなか面白い分析をしていますので、紹介します。
以下、抜粋引用します。ちょっと長めですが、日本の政治の仕組みが分かるので、是非読んでみてください。
■江戸から見た戦後日本政治
自民党システムの大きな特徴の一つとして、与党と行政官僚制の緊密な協働体制。
行政体制が先に形成され完成度の高い段階まで築かれた後に、それに覆いかぶさる形で自民党の体制が付け加わった。
この近代官僚制の原型は江戸近世の統治システムにある。
その特徴は、近代官僚制の原型が形成される一方、議会が全く姿を見せていなかったことである。
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官僚制の原型は、例えば幕府の財務を管理するための勘定所において典型的に見られた。
元々は戦争を本務としていた武士が、戦士集団としての性格を残しながらも、平和が続く中で行政を担うようになった結果である。試験による採用(例えば読み書きそろばんを試す筆算吟味)や、年功的ではあるが、能力主義と実績主義に基づく昇進管理が部分的ながら取り入れられ、次第に重視されるようになっていった。これらと並行して行政機関の分業と協業の体制が発達し、文書による管理のほか、機能的な指揮命令系統を備えた階層的な組織が出来てきたのである。
18世紀前半、吉宗の時代に能力主義的な人材登用を促進するための画期的な制度が導入された。足高(たしだか)の制である。これは、幕府の役職に就任するものの家禄がその役高に達しない場合には、在職中にはその不足額を支給するというものである。
しかも、農民や商人も、御家人の株を購入する事によって、最下層とはいえ武士身分を新たに取得することが出来た。つまり、武士以外の人々も武士に仲間入りする事が出来、能力さえあれば出世する道が開けていたのである。
ごく低い身分から出発した川路聖言莫(よしあきら)が、一代で勘定奉行まで上り詰め、幕府の外交を切り盛りする立場に立った例に見るとおり、能力のある人間が登用され昇進する例はかなり多い。
江戸城明け渡しで有名な勝海舟も、ほんの二世代前に遡れば、越前の農民出身の盲人で、御家人の株を購入して最下級の幕臣になったという出自だった。
いかに戦争と外交の問題から開放されていたとは言え、200年以上にわたって統治を継続するためにはそれなりの仕組みが必要となる。そのための最大の課題は、幕府財政の長期的な維持であった。武士は、支配階級として農民から年貢を徴収するものの、本来的な土地の所有も、直接的な土地支配も行わない。経済的な支配力という決定的な弱みを持っていたのである。商業活動が活発化して経済構造が大きく変化すると、米に依存する幕府財政は大きな困難に直面する。しかもそれは絶望的なほどに恒常的な財政窮乏であった。有能な人材を必要とした勘定所(財政部局)を中心に能力主義による人材登用と昇進の仕組みが築かれていったことは、むしろ当然の帰結だったのである。
■明治維新以降の官僚制の整備
こうして、江戸後期には近代官僚制の原型が形成され始めていた。分厚い武士層の中から人材が育成され、それを束ねる組織的なノウハウが蓄積されていた。しかも、豪農・商人層を含めた知的階級が存在し、全体的な教育水準が高かった事も重要な点であった。
明治政府は、こうした恵まれた条件の下で官僚制を中心にすえた統治システムを築いていった。その特徴は、そのスピードが極めた速かった事である。例えば、フランスでは、近代官僚制が本格的に築かれ始めたナポレオンの時代から、ほぼ完成に至る第二次世界大戦まで、約150年かかっている。それに対して日本では、約60年間である。明治が幕を下ろそうとする頃には、資格任用と競争選抜などの仕組みがほぼ成立し、およその骨格が出来上がっていた。さらに、大正デモクラシー期を経て昭和の初頭には、ほぼ戦後の行政官僚制の原型が形成されていたのである。階層的な組織と顕現構造、資格任用や競争選抜は言うに及ばず、各章単位の人事システム、人事に関する政治からの介入の社団、大蔵省の中核的な役割、などが基本的に成立していた。
戦前国家における行政官僚制の成熟はこれにとどまらなかった。昭和の前期、太平洋戦争に至るプロセスは、多くの点で官僚が主導した産業育成を伴い、国民の社会・経済的な動員の仕組みとして機能するようになった。
戦後アメリカによる占領統治はこの官僚制を活用した。陸海軍と内務省などは解体されたが、大蔵省を中心とした省庁官僚制は戦前の体制を引き継いだのである。新憲法体制が「行政の温存と強化」の上に成り立っていることは、この点で否定できない。
他方、国会は新憲法の定める役割を十分に引き受ける準備がなかった。国会のルールが一応の安定に達するには、1955年春の国会法改正を待たねばならなかった。
それに対して、省庁が個別の設置法によって根拠付けられる体制は1949年にほぼ成立している。つまり、国会が安定し自民党がようやく支配的な政党として勢力を確立して本格的な体制整備を始めた時、行政官僚制は既にそこにあり、十分な作動メカニズムを作り上げていたのである。
それにしても、両者の関係は複雑である。行政官僚制は組織と人材、経験に裏打ちされたノウハウと既にかなり確立されたメカニズムを持ち、法令に守られた存在であった。一方の自民党の側は様々な点で未整備であったが、新憲法の下、重要な決定を下す機能を持っていた。つまり、当初は官僚が実質的に優位な立場に合ったが、それは次第に政権与党によって蚕食される運命にあった。新憲法によって国民主権の原理が確立されたことは、その意味できわめて重大だったのである。
問題は、行政官僚制と与党自由党との関係の変化がどのようなタイミングで、またいかなるパターンで生じるかであった。そして、その大きな枠組みは、両者の妥協として概ね1960年代の半ばから形成が進み、70年頃にはほぼ確立する。外交・安全保障を始めとして大きな政策決定は与党自民党が主導する。その一方で、日々の政府の運営については、その多くを行政官僚が担う。そうした役割分担である。
しかし、他の先進民主主義国と比べた場合、自民党政権ではこの分担体制の中で行政官僚の占める比重が相当に重く、また範囲も広かった。そしてその最大の理由が、議会よりも行政の仕組みが先に確立されたという歴史的な経緯だったのである。
また、自民党と政府・官僚制との接点が次のような独特のパターンになったのも、基本的に同じ理由からである。大臣の省内での補佐機構である大臣官房のメンバーが、殆どすべてプロの官僚で構成され、従って大臣の省内コントロールには大きな限界があること、大臣の実際の人事権は建前とは異なって強く成約されること、閣議決定に至るプロセスが行政的なルールに基づいている事、さらには総合調整の多くを実施する内閣官房が行政官によって担われ、政治的な発想ではなく行政的な作法で動いていることなど、イギリスやフランスなどの場合とは大きく異なっている。これらの面で、行政的な仕組みが依然として重要なのである。
他方、自民党の成長とともに付け加えられた仕組みもある。政調会が急速に整備拡充されるに従って、与党自民党の議員と省庁の実務レベルが政策調整と意見交換を行う仕組みが構築された。法案の事前審査もその一つである。与党の族議員と行政官僚との緊密な共働体性が形作られた。さらに、政府と与党自民党との二元体制も、同様にして自民党の整備拡充に伴って生じたものである。
恐らく、もう一つの重要な帰結は、大蔵省によって直接に統制される一般会計予算と、それから切り離されて独立王国のようになる特別会計のシステムが共存し棲み分ける体制になったことである。
田中角栄によって築かれた道路整備特別会計が典型である。戦前からの伝統に守られていた大蔵省は、自民党の猛烈な圧力に押し込められながらも、予算編成権と維持し、予算システムの骨格は守った。その代償として、自民党の政治的な分捕りゲームの浸透を許す予算の枠を設定せざるを得なかった。
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コメント8件
匿名 | 2009.05.14 19:44
連合などの穏健派が金貸しによって篭絡させられたのは分かりますが、赤軍派とか朝鮮総連、やくざや右翼団体などの反社会的暴力団体も金貸しによって支配されているような気がします。
sinkawa | 2009.05.16 19:39
興味深い内容だと思います。
市場拡大には労働者の消費を拡大することが必要であり、労働者と経営者の双方をコントロールする手法(金貸しが戦争を起す両国をコントロールしてきたのと同じ?)が取られていたように感じます。
本郷猛 | 2009.05.16 19:40
ゾル大佐さま、コメントありがとうございます。
労働運動だけではく、左翼と呼ばれる活動全体が金貸しと繋がっている可能性があります。おそらくはマルクスの時代から。
その辺りを今後追求してゆきますので、よろしく御願いします。
本郷猛 | 2009.05.16 19:48
匿名希望さま、sinkawaさま、コメントありがとうございます。
>反社会的暴力団体も金貸しによって支配されているような気がします。
その可能性もありますね。朝鮮総連が反社会的暴力団体と言えるかどうは???ですが。ただ大衆への影響が大きいのは労働運動・左翼運動の方でしょう。それで、まずは労働運動・左翼運動から追求し始めようという意図です。
匿名 | 2009.05.22 20:18
朝鮮総連が反社会的暴力団体
これは金貸し支配と関係があるかどうかはわかりませんが、確実に犯罪組織でしょうね。
80年代半ばまでは彼らが行ってきた拉致誘拐について誰も口出し出来ませんでした。
怖いからでしょう。
木原 | 2013.03.06 20:47
共産国家と言われている中国、北朝鮮、あるいは日本共産党、新左翼過激派と金貸し支配との関連も記事にしていただけると嬉しいです。日本共産党も国民の不満のガス抜きに利用されているように思えて仕方ありません。
apricot hermes | 2014.02.02 7:44
hermes handbags classic 日本を守るのに右も左もない | 金貸し支配と労働運動は繋がっていた?
消費がなければ生産は停滞しますから、経済を拡大するには、つまり通貨の流通を拡大するためには高賃金と労働者の保護は妥当なことです。
アダム・スミスら古典派にも高賃金論者が少なくありません。
金融と労働運動がつながっているという直感は間違っていないような気がします