続・共創の時代~「共創」の背後に隠れた「何のために生きるのか?」という意識
この間当ブログでは、何度か「共創の時代」にスポットを当ててきましたが、「そもそもなぜ競争から共創の時代に移行しているのか」をさらに深掘りしてみました。
すぐに思いつくことが2点あるでしょう。
1つは、このままでは競争の中で生き残っていけない。だから共創だ!という「危機意識発」という点。企業間競争は、技術の進歩により従来の「機能を売る」スタンスでは頭打ちとなり、「意味や価値」をいかに生み出せるかにかかっているという状況が背景にあります。
もう1つは、SNSの広がりなどを筆頭に若者中心に顕在化してきている「多くの人とつながりたい」という意識。私権の獲得という絶対的な活力源が衰弱し、自分のためではなくみんなの役に立ちたいという意識が年々強くなっていることが背景にあります。
「自分たちの仕事にはどんな意味や価値があるのか」「自分たちにできることは何なのか。」を皆が探索する流れの根底には、自分たちは「何のために生きるのか?」といいう意識が隠れているのではないでしょうか。
そういう意識があちらこちらで芽生え、その使命感や志の共鳴・共感が「共創の時代」という大きな潮流を生み出しているということです。
世間を見渡してみれば、どの企業も「理念」を大切にしています。また、伝統を重んじることを重視してきた職人の世界でも、自分たちの技術がどのような形で世の役に立てるかを考える。そんな時代になっているし、さらには、「何のために生きるのか?」といった哲学的なタイトルの本が売れる時代にもなっています。
このように考えると、多くの人が頭を悩ませる人材指導=人材のやる気を引き出すという課題も、「あなたの課題が何のためにあるのか」という根本に立ち戻って一緒に追求することが、遠回りのようで近道なのかもしれません。
「共創」の潮流の上に立ちモノを思考していくことで、今までうまくいかなかった課題の突破口も見えてくるのではないでしょうか?
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