2018年08月02日

1960 化学革命 ~人工物質漬け、薬漬けはどうして始まったのか?~

体調が悪くなったら病院に行って薬をもらい、飲料はペットボトルで。農薬と化学肥料で作った作物を食べ、・・・こんな生活にすごく不整合感を感じる。こういう生活様式はいつから登場したのだろうか?

市場化の中でもっとも破壊力が大きかったものは何かと聞かれれば、間違いなく「化学革命(化学物質の大量使用)」だと思う。日本では1960年~1970年代ごろ。化学物質・人工物質が大普及し、従来の生産システムを破壊しただけではない。その後たった50年!で破滅的な状況へと世界を追いやっている。

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(関連記事)
人工物質(化学物質・薬物)、滅亡の危機・・・

【超概略史】
・緑の革命1950年~60年代頃:農業へ大量の化学肥料と農薬を使うようになった。(推進したのは米ロックフェラー)
※日本の農業も1960年頃から、伝統的な肥溜めや人糞による肥料から化学肥料へと転換していった。がんが増え、アトピーやアレルギーが蔓延しはじめた時期と符号する。

・また身の回りにプラスチックがあふれるようになった。建材、食器などの日用品。やや遅れてペットボトルが登場。
自動車社会化(モータリゼーション)も。

・この頃、人工化学物質を薬へ利用?
凶器と化した薬(50年前から開発された人工化学物質)

★なぜ1950年~1960年代に化学革命が起こったのか?
第2次世界大戦でアメリカ(ロックフェラー)が一人勝ち。中東の石油含めて石油を支配。産業資本のロックフェラーに同化すると、手に入れた石油を使ってどう儲けるかが最大の追求ポイントだったのではないか?

※すでに1870年ごろスタンダードオイルがアメリカの石油市場を独占したとき、ロックフェラーは数多くの石油製品を開発している。
>タール、塗料、ワセリン、チューインガムの原料など、300以上の石油製品を開発。1870年代末にはアメリカの石油の90%を精製するようになった。( Wiki

ワセリンは化粧品、チューインガムは食品・・・これらが石油から生まれている。この発想を広げて世界的に応用したのが1950~60年代だったのだ。(金貸しの発想は“どうしたら徹底的に儲かるか?”・・・だから。)
・・・・・・・
1960年代の同じ頃、日本では物質的な豊かさが実現されたと言われている。
それはそうなのだと思う。しかし代償はあまりにも大きい。

日本の田舎では、1960年代はまだ人糞を肥料にしていたし、小川には魚や虫がいっぱいいた。夜になると電灯は虫だらけだった。それが1970年代田んぼの魚が大量死した時代があり、それ以降小川や田んぼから虫や魚が消えた。・・・死の世界。

自然が多いように見える田舎でも、実は農薬や化学物質まみれの死の世界なのではないか?
人体の内部も・・・。
少子化の元凶は化学汚染。大学生の97%が不妊レベルまで精子激減

この危機、不整合感をどうしたらいいのか?すぐには解決方法は見つからない。しかし世界情勢は金貸し一掃へと動き、プーチン率いる民族派主導へと動いている。時は来るはず。まずは徹底した現実直視と事実追求。

(by Hiroshi)

 

List    投稿者 nihon | 2018-08-02 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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