天皇制と戦争~太平洋戦争は、天皇制と帝国主義を維持するが故の当然の帰結であった
太平洋戦争が終結してすでに70年以上が経過しました。
実際に戦争を経験した方たちの多くは高齢あるいは鬼籍に入られ、先の戦争の現実を体感した世代も減ってきています。
逆に戦後にマスコミや支配者層によって観念操作された「戦争」があたかも真実の様に流布される、その歯止めがかからない時代になってきました。
その一つが「天皇制と戦争」です。
通説では、「昭和天皇は国際感覚が豊かで協調性と平和志向が高かったが、軍部の暴走に引きずられ戦争を始めざるを得なかった悲劇の天皇」となっています。
一方、ネットで市民レベルの発信や追求がなされる時代となり、今まで封印されていた「天皇が戦争を強力に主導した」という歴史的事実が、近年様々な形で発信されています。
現在、昭和天皇が、強力な専制君主制と帝国主義、その延長にある世界戦争を主導した事実は疑う余地がありません。
そしてこれは、19世紀の欧米列強諸国の様な、単純な領土拡大、膨張政策の野望とは次元が違っていました。
以下、昭和天皇が即位した時の国際情勢、国内情勢について、「前進」さんの記事を抜粋して紹介します。リンク
********************************
1901年生まれのヒロヒトは、病弱な大正天皇の代理として21年から摂政を務め、26年12月に昭和天皇となった。
17年ロシア革命と18年ドイツ革命は、ヨーロッパに暗い影を落としてきた2大君主制を崩壊させ、世界中の労働者や抑圧された民族を奮い立たせた。
日本では労働運動が一大高揚期を迎え、20年には初のメーデーが開催された。横暴な軍部への怒りや普通選挙権要求の声も高まり、天皇・皇室を批判する「不敬事件」も多発した。19年、朝鮮では3・1独立運動、中国では5・4抗日闘争が日本の侵略の前に立ちはだかった。
こうした状況への危機感を、ヒロヒトは21年8月の日記に「世界の思想界は大に乱れ、過激思想は世界に広まらんとし、労働問題はやかましくなりたり」と記している。
26年12月に大正天皇が死ぬと、早くも27年5月には新天皇ヒロヒトの命令で中国・山東省への侵略出兵を開始。28年には本格的に代替わりの儀式が始まるが、「儀礼と宣伝を通じた新天皇の創出過程は、思想統制装置の顕著な増強・拡張と手を携えていた」(治安維持法の改悪と全国への特高警察(思想警察)の設置が、いずれも緊急勅令(天皇の命令)で行われた。
********************************
以上引用終わり
大正時代は日本でも中産階級が台頭した、いわゆる「大正デモクラシー」の時代でした。
しかしこれは支配階級、とくに天皇から見れば、専制君主という自らの存在そのものを脅かす、危機的な時代でもあったわけです。
実際、欧州や中国では革命の嵐が吹き荒れ、専制君主である国王や皇帝たちは次々と処刑されたり追放されたりしています。
こうした国際情勢を目の当たりにし強い危機感を抱き、それを原動力とした専制君主制強化、資産の温存、思想弾圧へと傾倒していったことは想像に難くありません。
今年の新天皇即位の際、天皇制についての様々な記事が社会を賑わしました。
その中に、天皇制が古代から受け継がれてきたという事実は、世界的にみても非常に稀な事例である事も報道されてきました。
これらの報道は、「歴史と伝統を守る国民性」という風に好意的に報じられてきました。
しかしその背後にはこうした専制君主制を維持するための様々な統制と弾圧がありました。
先の世界大戦もまた、天皇制と帝国主義を守る為の当然の帰結であった事を忘れてはならないと思います。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2019/08/9140.html/trackback