日本の生産力を支えてきたのは、エリートではなく大衆だった
2010年02月21日「戦前から顕在化していた、詰め込み教育の弊害」から続く。
『るいネット』に「官僚は優秀ではなく、運が良かっただけ その1」「同 その2」という投稿がある。
日本の高度経済成長期には目標が明確だったので、無能でも官僚は務まったということだ。それは事実だろう。
では、高度経済成長を実現させたのは誰なのか?
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『新糾弾掲示板』「スレッド<官僚論・東大論」からの引用。
戦前の日本を支えていたのは、実は高等工業や高等商業と呼ばれた専門学校出身者達でした。戦後、これらの学校は国立2期校と呼ばれる大学に昇格しますが、東大中退の大宅壮一はこれを駅弁大学と呼びました。工業高校や商業高校の前身の工業学校や商業学校も旧制中学以上にこの国を支える日本人でした。
終戦後の新興企業創立や官製企業の建て直しは、ほとんどこれらの学校の出身者により行われたのです。半官営の石川島重工や東芝の再建で有名な土光敏夫さんがそうです。戦後の日本の復興の成功例として池田内閣の所得倍増計画という政策が挙げられますが、東大経済卒の下村治さんが作ったと言われます。しかしこれはGDPを倍増させて収入を2倍にするという単純な理論で、国内需要を喚起し、輸出を増やすという政策です。今の中国政府もやっています。
まず町の零細企業からおもちゃの輸出が始まりました。朝鮮戦争特需で製鉄業が復活しました。そして松下電器やソニーの家庭電化製品の国内需要が爆発的に拡大しました。トヨタ、ホンダ、ヤマハ、そしてキャノンという新興企業の台頭もありました。これらはすべて日本の高等教育とは無関係の出身者により行われたのです。池田自民党政府の成功といわれますが、そうではありません。トヨタや松下、ソニーはやがて日本製品輸出の花形企業になりますが、優れた品質と国際競争力を持ったのは工業学校出身者の高い製造技術があったからです。その証拠に、政府の計画よりもはるかに早い速度で日本のGDPは伸び、高度経済成長は実現したのです。
高度成長期に不足した電力を供給するために建設された「世紀の難工事」黒部ダム
画像はこちらからお借りしました。
政府官僚による無駄な支出の最たるものは軍事費ですが、それを零細企業にまわしただけで日本経済は見事に再生できる国民の力を備えていただけの話しです。しかし、高度経済成長を自民党政府の大業績とし、行政の成功といい、金融政策の勝利といい、戦前の東大卒官僚はわが世の春を謳歌しました。それに連なる金融資本の連中も我が物顔でのし歩きました。
これは戦前から続く学歴偏重年功序列の秩序の再構築につながりました。製造業で働いた私の経験として語れますが、大企業の工場生産を支えたのは大学卒の技術者ではなく工業高出の技術者でした。しかし彼らには社内での昇進の道は固く閉ざされていました。一方、大学出なら無能力でもらくらく昇進し、管理職となって行きました。これが終戦後30年の企業のあり方であり、これは企業だけでなく役所までを含む日本の組織すべての悪弊となりました。無能者でも更迭できず、不公平な人事考課を受ける、社員の多数を占める非大学卒業者の思いはこれでした。
大企業の系列として働いた町の零細企業も、扱いはほとんどこの点数序列学歴偏重の秩序の中で政府からも企業からも扱われてきたのです。こうなれば結論は一つ、わが子には大学教育をなんとしても受けさせるということになります。こうして工業高校や商業高校は普通科高校に行けない子供の落ちこぼれ学校とみなされ、やがて公立学校は大学進学に向かないという理由で存在意義を失い始めたのです。
しかし日本の大学は東大を含めて高等教育など施さず、レジャーセンターだと指摘されて久しい時間が経ちました。中味はますます悪くなっていると思います。教師自身が人間を育成する教育を受けた経験を持たないからです。戦前の東大が官僚試験予備校と呼ばれたように、ここでも単なる知識の暗記と点数成績が最優先される教育とは呼べない学校に堕しているからです。いや、中味がないから入試点数が何点かなどというランキングで自分の頭の中味を保証しようとする陋劣な価値観が今の若い世代には溢れています。私はこれは一つの劣情だと考えています。
この反動として、この掲示板でも語られていますがテレビを中心媒体とする俗悪文化に毒された多くの若者達の反社会的行動が目立って増えているのです。日本の教育は深刻な問題を抱えています。しかしそれは東大を頂点とするこの日本社会の仕組みから発生しているのです。今、私が考えられる方法は東大を廃校にすること、または税金の投入を止めること、それが最も現実的なこの国改造法だと考えています。
黒部ダム建設の殉職者慰霊碑「尊きみはしらに捧ぐ」
画像はこちらからお借りしました。
画像に挙げた黒部ダムは、高度経済成長期に不足した電力を供給するために建設された。断崖絶壁がそそり立つ秘境・黒部でのダム建設は「世紀の難工事」と呼ばれ、多くの殉職者を出しながらも完成した偉業である。その殉職者の慰霊碑が「尊きみはしらに捧ぐ」像である。黒部ダムに限らず、日本の生産力は、こうした名も無き大衆によって支えられてきたものなのだ。
明治の近代化を成し遂げたのは、幕末の下級武士たちであり、戦前の資源不足の中でも工業力を支えたのも、戦後の復興から高度経済成長を成し遂げたのも、大衆の勤勉性と追求力の賜物である。つまり、明治以来一貫して、日本の生産力を支えてきたのは、試験エリートたちではなく、市井の大衆だったのだ。
戦前~現代に至るまで歴史的に総括すると、試験エリート⇒特権階級たちがやってきたことは、大衆が支える生産力とそれによって蓄積された資産を食い潰すことでしかなかったのではないか。その典型が郵政民営化である。
(本郷猛)
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コメント3件
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