2021年07月04日

戦後薬害の歴史 これでもお上を信じろというのか~その1~

戦後の薬害の歴史を以下に上げる。対応の遅れ、判断ミス、事実の隠蔽の連続である。コロナワクチンの推進キャンぺーンの渦中。政府は公的機関のいうことだけを信じろというが、これでもお役所のいうことを鵜呑みにせよというのか。以下「健康と病気事典」https://kenkoubyouki.com/?p=3700よりの引用

①1948年から1949年 ジフテリア予防ワクチン

ジフテリア予防ワクチンが京都市に住んでいた約1万5000人の乳児に接種されましたが、その中の約1000人に副作用が現れました。その結果、83人の乳児が亡くなっています。原因はジフテリアの毒素がワクチンに混入していたことです。この件で国に対しての裁判は行われていませんが、亡くなった方に賠償金が支払られています。

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②1953年から1970年 キノホルム製剤

キノホルム製剤は整腸剤として使用されていたのですが、約1万人の被害者に麻痺、しびれ、視力の低下などの神経障害が発生しています(これらの症状を称して「スモン」と言います)。被害者の中には麻痺が酷くなって歩けなくなったり、失明した人もいます。 キノホルム製剤の商品名は「エンテロ・ヴィオフォルム」で販売元は武田薬品です(他に2社の製薬会社もキノホルム製剤を販売)。被害者たちは1971年に国と製薬会社に損害賠償の訴えを起こして、1979年に和解しています。

③1953年 ペニシリン

ペニシリンは感染症の予防のために使われましたが、1957年までにペニシリンの使用で副作用が生じた人は約1300人、その内、亡くなった人は124人。1955年に厚生省はペニシリンによる被害を把握していたのに、何も対策を行なわなかったため被害が拡大

④1958年から1962年 サリドマイド

サリドマイドは睡眠薬ですが、ドイツの会社が販売していました。 この薬は睡眠薬として、そして妊婦のつわりを抑えるために使われましたが、胎児に難聴や手足の異常などの奇形が現れたことで販売が中止になっています。日本では「イソミン」という名前で大日本製薬(社名変更で今は大日本住友製薬)が販売していました。 被害者は約1000人いますが、国や製薬会社に対して1963年に損害賠償請求の訴えを起こして、1974年に和解しています。

⑤1959年から1975年 クロロキン

クロロキンは元々はマラリアのための薬でしたが、後に腎疾患、リウマチなどの病気に対しても使われています(小野薬品が「キドラ」の名前で販売)。その結果、網膜症による視力障害が発生しています。この薬による被害者は約1000人。 厚生省の当時の製薬課課長はクロロキンを飲んでいましたが、網膜症の副作用があることを知り、自分だけが服用を止めています。被害者は1975年、国と小野薬品の他数社に対して損害賠償の訴えを起こしていますが、1988年に和解しています。国と製薬会社は278人の原告に対して70億円を支払っています。 アメリカでは1948年の時点でクロロキンを長期に服用した時の害が報告されていましたが、当時の厚生省はなにもしていませんでした。

⑥1970年 コラルジル

心臓病(狭心症)の治療薬であるコラルジルを飲んだことにより、肝臓の機能が悪くなり、数万人の被害者が発生し、その内、少なくても200人以上の方がが亡くなっています(被害者の正確な数は統計がないため判明していません)。 販売会社は鳥井薬品ですが、ラットの実験で事前に肝臓の機能障害が分かっていたにも関わらず、データを改ざん

⑦1983年 非加熱血液製剤

主に1982年から1985年頃に使われた血液製剤にHIVが混入していたことにより、1800人がHIVに感染しています(既に600人が亡くなっている)。血が止まりにくい病気である血友病患者のために非加熱血液製剤は使われていました(非加熱血液製剤は過熱して殺菌していない状態で製造されていた)。 1982年には米国疾病予防管理センターが非加熱血液製剤によるエイズ発症を報告し、1983年にはエイズの混入していない加熱製剤がアメリカで出回っていたのに、厚生省は速やかな行動を起こさなかったために被害が拡大した経緯があります。ちなみに加熱製剤が日本で承認されたのは1985年ですが、既に1800人が感染した後では完全に機を逸しています。 1989年には被害者が厚生省と製薬会社に損害賠償の訴えを起こしています。そして、1995年には和解が成立。

⑧1987年 血液製剤

血液製剤「第Ⅸ凝固因子製剤」や「フィブリノゲン製剤」により約1万人がC型肝炎に感染しています。この血液製剤は田辺三菱製薬が製造していた「クリスマシン」やミドリ十字の「フィブリノゲン-ミドリ」、日本製薬株式会社の「PPSB-ニチヤク」です。これらの薬は手術や出産の時の出血を止めるために使われていました。 1977年にアメリカではフィブリノゲン製剤の効果が疑わしいことやC型肝炎に感染するリスクが少ない他の薬があることを理由にこの薬の認可を取り消しています。日本ではそれにも関わらず1987年までこれまで通り使用されていました。これが肝炎感染拡大の最大の原因だったとされています。

その2に続く

List    投稿者 nihon | 2021-07-04 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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