『アメリカの共和党と民主党』17 ・・・アメリカの『力の限界から多極路線』へ(2/2)
ケネディが大統領に就任した1958年ベトナム戦争~1962年のキューバ危機をピークにして、米ソ冷戦構造は、限界を向かえた。また、ヨーロッパ戦後復興計画(マーシャルプラン)の終焉により西欧諸国の復興並びに、朝鮮特需による日本の復興、後進国の台頭(中国・中東)などが、冷戦構造(=2極路線)の限界⇒多極化路線を後押しすることとなる。
この前半の流れに引き続き、
アメリカの『力の限界から多極路線』へ(2/2) を展開する。
■ケネディ、ニクソンの登場は、何を意味するのか?
『アメリカの力の限界』に伴って、現実路線へと方針転換した2人の大統領に着目する。
ケネディー:東部カトリック系アイルランド移民の子孫で、ニューイングランドの億万長者の息子。
ハーヴァード大学出身のインテリで、金持ち・名士を多く友人のもつ典型的なエスタブリッシュメント。
ニクソン:カルフォルニアの雑貨商の息子。苦学して大学を出、奨学金を得てデューク大学のロースクールを卒業、弁護士となる典型的な苦学力行の士。
ケネディーは、民主党のリベラルと位置づけられるが、マッカーシーイズムに対する曖昧な態度もあり、信念の固い画一的なリベラル派を煙たがっていた。
ニクソンは、共和党右派として位置づけられ、反共を売り物にして名を上げた政治家であるが、原則的な反共主義者ではなかった。(反共主義を自らがのし上がる為の手段として利用した。)
ケネディ・ニクソンは、トルーマンや、マッカーシーが行っていたイデオロギー外交(観念支配)の終焉を察知し、イデオロギー外交とは異なる現実主事路線に舵取りをした。
二人とも状況を見るに敏であり、
状況を少しずつ先取りしていく鋭い政治的な嗅覚をもった現実主義者だった。
見方を変えれば、二人ともニューディール、第2次世界大戦の政治家と1世代離れた世代であり、戦後の国際政治状況の変化に対応していかねばならなかったのである。
その時の彼らのとった対応の仕方は、脱イデオロギー的な権力志向の外交法であった。
ケネディは、アメリカの保守本流の軍需産業資本に対抗する勢力として登場した。
ケネディー :帝国主義的なアメリカ全能観の否定、イデオロギーより国益の尊重、
道徳的黒白割切りの否定
ニクソン :50万の大軍のベトナム撤兵、ソ連との緊張緩和、中国との国交正常化
二人の共通項
⇒アメリカの力の限界の認識。その力に見合った介入という古典的な権力政治の発想。
一国による帝国主義的な覇権争いではなく、多国を踏まえた体制に塗り替えようとした二人の大統領。
古典的な権力政治の発想は、多極化路線の下地作りとなった。
ケネディーの考えをニクソンが実行した事からも、この時代には共和党も民主党も無く、冷戦構造の中での市場の限界に対し、新たな市場拡大を模索していく必要があった。
■イデオロギー対立から国力(軍事力・経済力)競争へ
ケネディーも、軍事力の強化による「力の外交」を継承した。
但し、ケネディーは「国益の外交」における「力」は、軍事力 も
国際政治上の外交カード(国力)の一つとして用いなければならないと考えていた。
だが皮肉にも、冷戦構造の大国対立から多国間のパワーバランスに対応するには、全面戦争からゲリラ戦争に至るあらゆる種類の戦争に対応しうる必要にも迫られ、結果としては多額の軍事費の必要性を生じることになった。
米・ソの大国同士のパワーバランスから脱し現実主義をとり軍縮しようとしたケネディだが、アメリカの軍事予算は増大の一途をたどった。これは、軍産複合体を削ぎとることが出来ないというアメリカの産業構造の仕組みが絡んでいる。
画像の確認
グラフ-(『アメリカの共和党と民主党』12 ・・・軍産複合体はペテンの戦争脅威で儲ける)
そして、全地球的な米軍の広がり(派兵)に伴う財政支出が嵩み、政府財政純貯蓄が目減りしていく事となる。その結果、景気対策として財政投資を進める必要性が出てきた。 🙄
部門別貯蓄・投資バランス:対GDP比:%
グラフ-レーガノミクスの現実より引用
打開策として、ケネディは1963年に「政府券」の発行を初めて命じた。
FRBに資金提供を断られながらも、大統領命令による政府紙幣発行に踏み切ったのである。
しかし、結果的には、それが実行される前に暗殺される。
■ケネディ・ニクソンの登場によって、多極化路線の流れが作られる。
ケネディ・ニクソンは、トルーマンや、マッカーシーが行っていたイデオロギー外交(観念支配)の終焉を察知し、イデオロギー外交とは異なる現実主事路線に舵取りをした。
ケネディが大統領に就任した1958年ベトナム戦争~1962年のキューバ危機をピークにして、米ソ冷戦構造は、限界を向かえた。
また、この時代の政策の背後に、ロックフェラーを中心とする多極派勢力が大きく関与していることも忘れてはいけない。1940年から73年までアメリカの対アジア政策決定者の圧倒的多数がCFRのメンバーだった事や、ニクソン・キッシンジャーを使い中国の国家建設をロックフェラーが画策していた事からもその事が伺える。
CFRメンバーの一部を挙げると、デイビット・ロックフェラー、アレン・ダレス、ジョン・F・ダレス、ハリー・F・カーン、ヘンリー・キッシンジャー、という錚々たる顔ぶれであり、アメリカの政治と外交に重要な影響を及ぼしている。 😈
(参照サイト:『アメリカの共和党と民主党』15・・・どちらが政権をとってもロックフェラー)
ニクソン政権時代の国際政治状況が、それ以前の国際政治状況と著しく異なっている点は、戦後の米ソ二極構造の冷戦構造がともかく一応終わり、多極化と緊張緩和の状況が認められるに至ったことにある。
ニクソンの『外交報告(1972年2月)』→「西欧と日本の経済復興」「新興国家の発展」「共産圏内の分裂」「米国の絶対的軍事的優位性の終焉」「米国民の間での他国に対する期待、自国の役割制限の希望」という内容からも、二極構造の終焉を感じ取っていた事がわかる。
この時代背景の中での多極化とは、軍事力(=核兵器)→米・ソ・中の三極構造だけに捉われそうになるが、それだけではない。
戦後復興してきた西欧・日本を取り入れた五極化(=米・ソ・中・西欧・日本)にも主眼を置いていることが、ニクソンの『外交報告(1972年2月)』からも、五大勢力間の多極構造という認識に立っている節を垣間見ることが出来る。
現在の多極化の流れは、ケネディ、ニクソンを起点としている。
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まとめ、
・諸外国が成長した事により、思い通りに支配出来なくなった。(力の限界)
・アメリカ経済は、軍事だけでは儲からなくなってきた。
市場拡大の限界。(軍事産業⇒金融資本の台頭)
・現実主義のケネディ・ニクソンが現われ、 二極対立⇒多極化路線へ
冷戦構造確立→軍産複合体肥大→冷戦構造の限界という流れから、現実主義⇒多極路線をとろうとした二人の大統領は、形は違えど、暗殺・失脚という形でやめさせらている。
この事からも、肥大化した軍産複合体の影響力が強いことが伺える。
冷戦構造の限界→新しい市場の中で儲けようとする軍産複合体の流れは、今現代も受け継がれている。
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コメント3件
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