2014年08月26日

脱グローバリズムの可能性をロシアに探る③~アジアの遊牧部族に侵略されノルマンへの服属を選んだスラヴ民族

脱グローバリズムの可能性をロシアに探るシリーズでは、これまで、近代金貸しに翻弄され虐げられてきたロシア金貸しが社会主義国家を作り上げた理由は?と近代以降のロシアと金貸しの関係について追求してきました。 index今回はもっとさかのぼって、ロシア国家、ロシア民族の起源についてみていきたいと思います。ロシアの学校で歴史の教科書として使われている、『ロシアの歴史上古代から19世紀前半まで―ロシア中学校・高校歴史教科書― (世界の教科書シリーズ31)』の該当部分を要約します。

 

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◆古代スラヴ民族の起源

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現在ロシアとなっている地域には、紀元前に分裂したインド・ヨーロッパ部族のうち、東スラヴ族が住んでいた。彼らはその地で農耕を営み、家族単位で半地下小屋生活を営んでいた。東スラヴ族は偶像崇拝で自然界の精霊を含め多くの神々を信仰し、死後の生命や先祖を崇拝していた。当初、彼らは血縁関係を基盤にした共同体を形成していたが、スラヴ族が広大な地域に離散するにつれて、地域共同体(ヴェルヴィ)で生活するようになっていった。地域共同体のメンバーは共同で草を刈り、山林を支配し、耕地は各家族に分配された。その頃にはすでに血縁長老権は効力を失い、総民会(ヴェチェ)に地域のすべての家長が集まって共同事業を進めるために長老を選出した。戦争の際には国民軍が形成され、種族同盟を元に共同して戦った。なお当時、同じ地域にはフィン・ウゴル語族やイラン族のたくさんの民族が住んでおり、彼らと文化を混合させていった。6世紀には、アジアから好戦的なトルコ系遊牧民族のアヴァール族やトルコ系ユダヤ人のハザール族等が次々にヨーロッパ方面に侵入してきた。彼らはスラヴ民族たちを襲撃するとともに、言語や文化、日常生活にも大きな影響を与えた。

 

◆ロシア国家の形成

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リューリク

9世紀になると、東スラヴ族はビザンツ帝国やハザール族との通商を拡大していった。交易によって彼らの生活は豊かになったが、他民族からの略奪の脅威にさらされるようになった。その過程で彼らは義勇隊や城をつくり、国としての形を整えていった。現在の「ロシア」の語源となっているルースィとは、この時期に東スラヴ族の所に住み着いたノルマン族の一部である。スラヴ族の隣に住みながらルースィ族は徐々に当地の住民と混じっていった。四方八方から敵に狙われていた東スラヴ族の都市は、ルースィ族軍団を招くようになった。東スラヴ族はスカンジナビアのルースィ族傭兵をヴァリャーグ(=ヴァイキング)と呼んだ。その後ヴァリャーグ族の公は他の義務も果たすようになった。従属していた都市の領地にはさまざまな種族が住み着いており、公は種族間の争いでますます頻繁に判事として招かれるようになったのである。彼らはどの種族とも関係のない立場であったが、ヴァリャーグ族はスラヴ族の土地を敵から守るという、住民と共通の関心をもっていた。また、公は軍団を用いてまだ征服していない人々を従属させる権力でもあったからだ。ヴァリャーグ族の公は傭兵部隊の指導者から徐々に権力者へと変わっていった。彼らは義務の遂行に対する給与の代わりに、より高額で恒常的な貢税を住民に課した。9世紀の北西地域にはハザールの侵略脅威が立ちふさがっていた。そこで全種族の代表者がヴェチェ(民会)に終結して、旧知のヴァリャーグ族に使節団を送り、「われわれの土地は広大で豊かだが、そのなかには秩序がない。公としてわれわれを治めるために来てください」とのメッセージを送った。この招致にヴァリャーグのリューリク公が応じた。こうして形成されたのが、古代ロシア国家(キエフ・ルーシ)であり、代々リューリクの血族から元首が立つことになった。10世紀のウラジーミル公の治世下で、東スラヴ族のすべてとフィン・ウゴル語族の大半がロシアの権力下に治められた。

 ***

 以上で見たように、古代ロシアにおいて東スラヴ人たちはこの時代に至ってもなお共同体性を強く残していたことがわかります。(現在のロシア人にもその影響があると思われますが、その追求は別記事で扱います。)しかし島国である日本と違い、常にアジアやヨーロッパから他民族が侵略してくるという外圧状況下にあったため、早い段階で父系部族集団化→父系共同体となっていたのではないかと考えられます。周辺民族からの侵略に常に晒されていた彼らは常に誰に付くか?(ノルマン?モンゴル?トルコ?)が中心的な課題意識であり、この時代ではヴァリャーグ族に服属することでうまく解体や絶滅を逃れてきたのでした。またこのことから同時に言えるのは、ヴァリャーグ族は他の白人たちが他民族を征服するときとは違い、スラヴ人たちを皆殺しにはせずに服属様式で支配したということです。

冒頭で述べたようにこれはロシアで読まれている教科書をまとめたものなので、「正統史」つまり勝者の語る歴史であり、たとえばリューリクに「我々を統合してください」と言ったというのは、ノルマン民族がその支配を正当化しているだけであって、またその後の元首もリューリクの子孫とされているがそれも捏造だという見方もあります。確かに、モンゴルが強かった時代にはモンゴル人に同化し、トルコ人が強かった時代にはトルコ人にも同化していたことは現在の文化や言語をみてもわかります。ただ、教科書ということもあり、少なくとも今現在生きているロシア人の多くはこのように自己認識しているはずです。事実かどうかは別として、彼らの自画像がこういうものであるということは押さえておくべきでしょう。

 

次回は、リューリク以降のキエフ・ルーシにおいて重要な、キリスト教を受容した過程を扱います。

List    投稿者 mamoru | 2014-08-26 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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