2012年02月21日

江戸時代の思想3 共同体を喪失した中国の官僚の私権観念=儒学が、共同体質の日本に輸入された

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「科挙」
徳のある人物が徳のない大衆を導くべきであって、徳のある人物とは『四書五経』を勉強して科挙試験に合格した官僚である。
これが中国の支配観念となった儒学の中核であり、儒学とは科挙官僚制による支配の正当化観念である。

では、科挙官僚による支配の正当化観念は、どのようにして出来上がったのか?
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中国の政治体制の最大の特徴は、皇帝専制、つまり、完備された官僚制を手足に、皇帝が全中国を中央集権的に支配したというのが教科書の説明である。皇帝専制というと、君主が人民をすみずみまで管理し搾取するような体制をイメージしがちであるが、実際には、中国の王朝にはそんな緻密な統治能力はなかった。
しかも、中国の王朝の人民を把握する力は時代を経るごとに(王朝が変わるたびに)弱まっていて、唐の後半には兵役が、明の後半には労役が、清の中頃には戸籍にもとづく徴税そのものが放棄されてしまう。前漢期には社会的剰余の60%を国家が吸い上げていたのに、その割合はどんどん低下していったという。
皇帝独裁の頂点とされる明・清の統治能力は、地方分権の典型である同時代の日本の幕藩体制より相当劣っていたことはまちがいない。
日本の場合、末端の村落共同体は、田植えや稲刈りなどの共同作業、道路・用水路・入会地などの管理、年貢の割りあてと納入、そして集団としての規範など、村落集団を秩序化し統合する機能を有していた。
そしてこの自主管理能力を持つ農村の上に、幕府や藩がのっかっていた。(同様のことは、座や仲間が機能していた商工業にもいえる。)
この末端の自主管理能力をもつ共同体の存在が、支配層が入れ替わろうとも社会を秩序化させていた。
一方、中国の場合、春秋(戦国)時代を経由した漢の時代になると、農村の自主管理機能は失われ、末端の農村に共同体としての規範は喪失する。
このことが、次の漢崩壊時~(2Cの寒冷化を経由した)五胡十六国の戦乱時において、秩序を全く維持できず、人口が5000万人から700万人まで激減する人が人を食うというような異常事態に陥っていくことになる。

農業生産を基盤とする中国は、帝国の安定期には人口が急激に増加する。
しかし、農業生産が人口過剰に追いつかない状態に陥いり、飢饉、疫病、内乱、そして周辺遊牧民の侵入などにみまわれると、秩序を維持できずに人口が大激減し大量の流民を発生させる。これは、この末端の自主管理機能をもつ共同体の喪失ゆえである。
そして、流民の頭目か、それを鎮圧した将軍か、遊牧民の族長が、戦乱を制覇し新たな王朝を建てるが、荒廃した国土と崩壊した秩序の上にゼロから支配体制をつくりあげることになる。
その際にみられるのが「住民の強制移住」である。
これは、流民に土地を与えて定着させる、(魏のように)激減した人口を一カ所にかき集める、無人となった地帯に入植させる、逆に(南宋のように)国境に無人地帯をつくる、といったさまざまな目的で行われる。
こうして人為的につくられた村落社会では、連帯感や規範意識は薄く、自主管理機能は期待できない。そのため、租税を集めたり治安を維持したりする地方行政は、中央国家がやらなくてはならない。
中国が「専制の中央集権国家」になるのは、末端の共同体を喪失したがゆえの当然の帰結である。
そして、春秋、五胡十六国など長い戦乱を繰り返す中国は、社会基盤となる(村落などの)自主管理機能をもつ共同体を失ったがゆえに、(戦乱後の荘園地主の増大を抑制するためもあるが)根本的には、この人工村落社会を維持するために、「均田制(口分田を与えて租庸調を課す(唐))」、「10戸を1甲とし110戸で1里とする(明)」といった中国特有の画一的な人民編成の制度が不可欠になる。
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つまり、中国では相次ぐ戦乱と強制移住によって共同体が失われた結果、統治するための官僚機構が肥大化していったが、実際の中国の官僚制はそれだけの力量を持っていなかった。
新たな王朝ができると、前王朝をまねた官僚制がつくられる。中国を支配する仕組みが他にないからである。しかし、官僚制は自分たち官僚集団の利害第一で動くので、必ずしも君主の言いなりにならない。前漢の頃、官僚を実際に率いていたのは皇帝ではなく丞相であったし、各省の長官が自分の裁量で部下を任命したり、郡・国の長官が独自の法令を制定することもできた。
これに対し、皇帝は権力を握るため、側近を集めた直轄組織をつくるが、それも制度化すれば官僚化してゆく。すると皇帝はまた別の直轄機関をつくる。三省→中書省→内閣→軍機処という具合に、王朝を経るごとに上部組織が改廃・追加されるのはそのためである。地方でも同様で、長官を監督する役人を送り、さらにそれを監督する役人を送るというくり返しになる。清の時代には、州県の上に府・道・布政使司・巡撫・総督が積み重ねられていた。
こうして、中国では官僚機構が肥大してゆくが、それは無駄な組織が積み重ねられてゆくだけであり、統治能力は低下していった。
さらに問題なのは、中国の科挙官僚たちの生態である。
隋唐以後の王朝を支えていた科挙官僚は、超難関試験を突破したエリートではあるが、行政能力はなかった。科挙で要求されるのは儒教経典の丸暗記や規則に従って詩文をつくる能力であり、法令や行政や経済の知識ではないからである(この点は宋の王安石が改革しようとしたが、うまくいかなかった)。彼らは実務も地方の実情も知らないまま派遣され、数年でまた転勤となる。
実務を担当したのは土着の下級役人(行政請負人)で、彼らには採用試験がなく、地位は世襲によって受けつがれ、任期は終身であるが、国家から給料は支給されない。土着の下級役人は行政手続の際に庶民から手数料をとったり、賄賂をもらったり、租税をピンハネしたりして暮らしている。
科挙官僚も薄給で、それだけでは地方官クラスでは一家が食っていくのがやっとだった。彼らも土着の下級役人と同様に、地位と職権を乱用して稼ぎまくった。
税を余分に取ったり、官船をつかって商売したり、外国と密貿易することもできた。豊かな任地をまわって一財産築けば、土地を買い地主になって一生裕福に過ごすことができた。これらは当たり前のこととみなされ、よほどひどい場合以外は問題にならなかった。
宋の真宗の「勉強すればすべてが手に入る」という詩はつまり、「国から給料がたくさんもらえる」のではなく、「地位と職権を利用して稼げる」ことを意味しているのである。
「皇帝専制と官僚制」
『るいネット』「春秋、五胡十六国など長い戦乱の繰り返しで、共同体を失ったがゆえに均田制が登場した」
このように、中国においては科挙官僚が職権乱用して地主になり、地主の子弟が科挙官僚となって、また私利私欲を貪るという収奪構造が出来上がった。これが中国の皇帝専制と官僚制の実態である。
この収奪構造は朝鮮でも同様で、両班という地主階級が科挙官僚となり、農民にはとことん横暴に振舞い、収奪を繰り返した。
彼ら中国や朝鮮の地主⇒科挙官僚階級は「士大夫」と呼ばれたが、彼らが唱えた儒学のお題目「仁政で以て民を導く」と真逆に、庶民からの収奪を繰り返してきたのである。
副島隆彦氏も『時代を見通す力』(PHP研究所)の中で、次のように指摘している。
「中国の民衆は儒教(君子の思想)が大嫌いだ。これは支配者の思想だからだ。君子とは官僚たちのことであり、民衆のことなど全く考えず、自分たち官僚の利益のしか考えない。自分たちは指導者で国家のトップ官僚なのだから威張っているのは当然だと思っている。だから中国の民衆は君子が大嫌いで、彼らが信仰するのは道教である」
儒教をつくった孔子は官僚の収奪を正当化するつもりは全くなかったに違いない。孔子の時代は春秋時代、つまり部族連合が覇権を争い、支配-服属していた時代であり、未だ共同体が残存していた時代である。
しかし、孔子の儒教から発展した儒学は、彼ら地主⇒科挙官僚たちが特権を利用して私利私欲を貪ることを正当化する観念に換骨奪胎されてしまった。
科挙官僚制は6世紀、長きに亙る戦乱と強制移住の末に統一された隋の時代に始まるが、既に共同体は失われているので、科挙官僚制によって中国を統合するしかなかった。
同時にそれは、科挙官僚の出身母体である地主階級の私権獲得(大衆からの収奪)を認めてやるということとセットになっており、その正当化観念になったのが儒学だったのである。だからこそ地主階級の子弟は必死になって勉強したのである。
そういう意味で、中国・朝鮮は官僚支配国家であるが、その出身母体である地主階級が好き放題に収奪することを儒学によって正当化してきた国家であると言える。
問題は、共同体が解体された中国における地主⇒科挙官僚の正当化観念(儒学)を、共同体が残存し共同体質が色濃く残る日本の徳川体制下で、一部の知識人が真剣に学び始めたことにある。
つまり、共認の土壌が全く違う日本に、儒学という観念だけが輸入されたわけである。
その結果、どんなことになっていったのか? 

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List    投稿者 staff | 2012-02-21 | Posted in 04.日本の政治構造2 Comments » 

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コメント2件

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