2010年09月23日

学生でもわかる『闇の支配勢力の抗争史』~第5話~ ロスチャイルド家のアメリカでの拡大戦略

FRB.jpg
(※FRBの正面写真です。)
前回は『近代、ロスチャイルドの台頭』とあるように、19世紀におけるヨーロッパで「ロスチャイルド家がいかにして力を付けてきたのか?」を紹介しました。

ロスチャイルド家の拡大戦略をまとめると・・・
①国家に対する金貸し業を進める ⇒ 戦争への誘導、中央銀行の支配
②情報ネットワークを駆使していち早く情報を得る
③これらの戦略を決して一人でするのではなく、兄弟や他の貴族と結束して事に当たり、非常に巧みに騙しを行う

金儲けの手法は中世の商人貴族から引き継ぎ、さらに精錬させたのがロスチャイルド家であり、1815年から1825年の10年間で、ロスチャイルド商会の総資産は50倍に拡大させたようです。
今回は、ロスチャイルド家を筆頭とした金貸しが、新しい市場を求めてアメリカに移動した先での拡大戦略を紹介したいと思います。
その前に、応援クリックをお願いします。

にほんブログ村 政治ブログへ


●アメリカでの拡大戦略とは?
実は、金儲けの手法はヨーロッパ時代とあまり変わっていません。
①国家に対する金貸し業を進める ⇒ 戦争への誘導、中央銀行の支配
②情報ネットワークを駆使していち早く情報を得る
③これらの戦略を決して一人でするのではなく、兄弟や他の貴族と結束して事に当たり、非常に巧みに騙しを行う

のままです。
それでは、ロスチャイルド家のアメリカでの拡大戦略を、上記の手法と照合させながら追っていきます。
「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた」より抜粋引用

○1913年 FRB創立
■1913年 連邦所得税法制定

※政府がFRBから借金をしなければならなくなり、その借金返済のために制定された。アメリカ国民から金が掠めとられるようになった。
※所得税の裏には謀略があった。金持ちは、“免税の財団”に金をつぎ込んでまんまと課税を逃れ、それ以外の人々は“累進課税制度”に操られる。
■1914年 第一次世界大戦
※第一次世界大戦は、アメリカ政府を国際紛争に巻き込み、巨額の融資を銀行団から受けさせるために目論まれた。そのために、客船ルシタニア号が、1915年にドイツ潜水艦に撃沈されるのを(初めから計画して)故意に見過ごした。この時128名のアメリカ人が死亡して、アメリカ国民に衝撃を与え、確実に戦争に引き込まれるように仕向けた。
(省略)
■1929年 株式市場の大暴落→世界大恐慌
※これは偶然の出来事ではない。1923年から1929年にかけて、FRBは通貨供給量を何と62%も増やしたのである。
■1945年 ブレトンウッズ体制により、ドルが基軸通貨になる

この中から、今回は『FRB設立とブレトンウッズ体制』に絞って、真相を明らかにしていきます。
■1913年 FRB設立
ウィキペディアでは、以下のように説明されています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%82%A6%E6%BA%96%E5%82%99%E5%88%B6%E5%BA%A6

1776年の建国以来、アメリカ合衆国では第一合衆国銀行や、第二合衆国銀行のような試みはあったものの、分権主義者の反対で取り潰される等して、中央銀行は成立せず、個々の銀行等が金準備を使って紙幣を発行していた。しかし、1907年にロンドンでの米銀の手形割引拒否に端を発する恐慌が起き、アメリカ合衆国内の決済システムが混乱した。その対策として、J.P.モルガンやポール・ウォーバーグ、ジョン・ロックフェラーの後ろ盾の下に、1913年に、ウッドロー・ウィルソン大統領がオーウェン・グラス法に署名し、同年多くの上院議員が休暇中の12月23日にワシントンD.C.に駐在する連邦準備制度理事会と12地区に分割された連邦準備銀行により構成される連邦準備制度が成立した。

学校の教科書レベルで、具体的な内容が掲載されていませんね。
しかし、設立に至る背景を詳しく紹介しているサイトと本を見つけたので、以下に紹介します。
『金貸しは、国家を相手に金を貸す』より抜粋引用

アメリカの中央銀行制度(FRB)創設は、創設の中心を担ったポール・モリッツ・ウォーバーグの渡米から始ったのです。ポール・モリッツ・ウォーバーグはドイツのハンブルグとオランダのアムステルダムにある投資銀行M・M・ウォーバーグ商会の幹部でした。アメリカ到着後すぐに、主にロスチャイルド・グループが提供した資金によってニューヨークの投資家クーン・ローブ商会に出資してパートナーになり、その一方ハンブルグのウォーバーグのパートナーにも留まったのです。ここでアメリカの鉄道事業で確固たる支配力を築き、中央銀行制度の創設を進めていきました。 
 
そして、アメリカの中央銀行である連邦準備制度の創設に関する会合が、1910年11月にジョージア州にあるジキル島にて行われました。メンバーは、ロスチャイルド系で固められています。
 
ここでまとめられたアメリカの中央銀行創設に関する内容は、「オルドリッチ法案」として議会に提出されたが、彼とJ・P・モルガンとの関係がとり沙汰され廃案に追い込まれた。そこで再度、今度はこの法案を手直しした後に銀行改革法案の形で別の議員から提出させ、1913年議会で通過させたのだ。この時、表立っては銀行家たちは「反対」を表明した。このため現代でのこの連邦準備制度は民間銀行に批判的な機構と思われていると言われている。この時のタフト大統領は中央銀行創設案には反対だったため、モルガンは進歩党を設立し、セオドア・ルーズベルトを支持し、共和党を分裂させることによって伝統的な党路線を離れて中央銀行創設案を支持する民主党のウッドロー・ウィルソンを大統領に選出させた。 
 
1913年に、ウッドロー・ウィルソン大統領がオーウェン・グラス法に署名し、同年多くの上院議員が休暇中の12月23日に、ワシントンD.C.に駐在する連邦準備制度理事会と12地区に分割された連邦準備銀行により構成される連邦準備制度が成立した。

加えて
『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』より抜粋引用

12ある地区連邦準備銀行の中で最大なのがニューヨーク連邦準備銀行であり、実質的に米国の金融政策(金利、通貨の数量と価値、および債権の販売等)は、主にニューヨーク連邦準備銀行により決定されているそうです。
そのニューヨーク連邦準備銀行設立時の株主は、(略)モルガンとロックフェラーのチェース・マンハッタン銀行を除いて、すべてロスチャイルド系投資銀行が株主で、米国政府は1株も所有していないのです。

自分たちの命令を聞く政府筋の人間を見つけ、彼らに無理やり連邦準備制度を成立させました。その後、アメリカ政府はFRBから借金をしなければなくなり、返済時の利息がロスチャイルド一族をはじめとする国際金融資本家の懐に収まる、という仕組みを創りだしたのでした。なんと現在では、私的所有であるはずのFRBがアメリカ国民に一時間につき4700万ドル(約50億円)の利子を請求しています。自分たちはドルを発行しているだけで、国から高額の利息をもらえるので、簡単に金儲けできてしまいます。
続けて
■1945年 ブレトンウッズ体制

ブレトンウッズ協定は、1929年の世界大恐慌により1930年代に各国がブロック経済圏をつくって世界大戦をまねいた反省によっているだけでなく、第二次世界大戦で疲弊・混乱した世界経済を安定化させる目的があった。そのため具体的には国際的協力による通貨価値の安定、貿易振興、開発途上国の開発を行い自由で多角的な世界貿易体制をつくるため為替相場の安定が計られた。(ウィキペディアより)

これにより、ドルの基軸通貨化が実行されました。この背景には、ロスチャイルド家による目論見があったようです。
『るいネット』より抜粋引用

英国では、産業革命後基軸通貨体制が19世紀半ばに確立したが、基軸通貨になることで通貨の価値は上がっていき、自国で生産された商品よりも、同等の質で安価な他国の商品輸入が多くなっていきます。輸入が多くなると自国産業は衰退し、国力低下につながという衰退過程を持っています。
基軸通貨国の宿命ともいえる為替高止まり⇒輸出の弱体化⇒国内産業の衰退という底流に加え、2つの大戦と世界恐慌という歴史的事件を経て、基軸通貨の地位が英国から新興国アメリカへ移っていきます。そして、これらの事件には各々、金融資本家たちの動きが絡んでいると言われる(第一次大戦時のFRB創設とアメリカの遅い参戦、世界大恐慌の引き金となったNY大暴落、第二次大戦前に主にドイツから大量の金をアメリカに移転させたBISの役回り等など)。ドル覇権の成立は、英国・ポンドの衰退を見てとった金貸したちの意思で加速された可能性が高いです。

なるほど。ロスチャイルド家はアメリカに移動する以前に、基軸通貨であったポンドの凋落を先読みしていたのですね。だからアメリカに移動し、そこでドルの発行権を獲得するために、FRB設立のために、政治的介入を行ったのですね。さらには、ドルの基軸通貨化のために、第一次世界大戦や世界大恐慌を通じて、イギリスを弱体化させていたのですね。
やはり世界市場を対象にした基軸通貨の発行権こそ、最大の金儲けの手法なのでしょう。だから、ドルの発行権獲得に躍起になったのですね。
次週は、ロスチャイルド家の最大のライバル『ロックフェラー家』の台頭にクローズアップしていきます。

List    投稿者 staff | 2010-09-23 | Posted in 03.アメリカの支配勢力と支配構造No Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2010/09/1756.html/trackback


Comment



Comment


*