「國体護持」のための終戦(1)
1945年(昭和20年)8月15日の正午、昭和天皇自らがラジオで終戦の詔書を奏上(いわゆる玉音放送)、日本の敗戦が確定。無条件降伏し敗戦国となった日本は、連合国により東京裁判で裁かれ、東条英機らA級戦犯が刑死した。
東京裁判では旧帝国軍人らが戦犯として裁かれたが、実はこの戦争の最大の戦犯として連合国側から挙がっていたのは、他ならぬ昭和天皇だった。 「統帥権」が示すように戦時中における天皇の存在が絶大なのは明らかだったからだ。しかし、東京裁判では天皇についての追及は全くなかった。ここには巧みな裏工作が存在していた。今回はそれを紹介したい。
1990年11月7日、各紙は昭和天皇の「独白録」ともいうべき記録がのこされていた事実を一斉に報道し、各テレビ局もこのニュースを大々的に取り上げた。 この記録は、昭和天皇が敗戦直後の1946年3月から4月にかけての時期に、寺崎英成をはじめとした五人の側近らの前で語った内容をそのまま記録した重要史料で「昭和史の超一級資料」と評された。
しかし、事実はそうではない。 この「独白録」が作成された1946年の初頭は、天皇制の存続や天皇の在位そのものが危ぶまれるという、天皇にとっては危機的な状況にあった。つまり天皇の戦犯指名問題である。
当時、国内はともかくとして連合国側には天皇の戦争責任を問う声が強かった。そのため、この「独白録」は「天皇無罪論」を補強するために昭和天皇自身が、その主旨に沿って語ったものと考えられる。 実は、東京裁判では、多くの日本人容疑者が尋問に対して極めて協力的だっただけでなく、日本が戦ったあの戦争をいささかも弁護することなく、逆に日本を敗北に導いた戦争責任者として、特定の人物を名指ししていた。そこには明らかに集団としての隠された意図のようなものがあったのだ。
特定の人物とは、東条英機に他ならない。
これは天皇と側近たちの水面下での政治工作と言ってよいだろう。昭和天皇は当初より東条英機を信任していたし、その内閣を強く支持していた。つまり日本が戦争を起こし継続することを支持していたのである。その天皇が裁かれずに東条だけがA級戦犯として刑死したのは、客観的に観ても違和感がある。
ドイツが降伏した直後のこと、昭和天皇は終戦工作の着手を示唆し、ソ連を仲介に和平交渉を開始することが1945年6月22日の御前会議で決定され、近衛文麿が特使として派遣された。その「和平交渉の要綱」には基本方針として「国体の護持」を絶対条件にすること、やむをえない場合には領土は「固有本土をもって満足す」ること、「若干法規の改正、教育の革新」に同意すること、「一時完全なる武装解除に同意する」ことなどが記されていた。
そして日本はポツダム宣言を「国体護持」の一条件付で受諾することになる。 無条件降伏と語られているが、事実はそうではない。 これは「国体護持」のための終戦だったのである。
その裏工作のひとつが米内光正とGHQボナ・フェラーズとのやりとりだ。 1946年3月6日、ボナ・フェラーズ准将は、重臣の米内光政と会見して次のように語った。長文ではあるが、重要な史料であるのでそのまま引用する。
自分は天皇崇拝者ではない。したがって15年20年さき日本に天皇制があろうがあるまいが、また天皇個人としてどうなっておられようが関心は持たない。しかし連合軍の占領について天皇が最善の協力者であることを認めている。現状において占領が継続する間は天皇制も引き続き存続すべきであると思う。 ところが困った事に、連合側の或る国においては天皇でも戦犯者として処罰すべしとの主張が非常に強く、こと「ソ」は其の国策たる全世界の共産主義化の完遂を企図している。したがって日本の天皇制とマッカーサーの存在とが大きな邪魔者になっている。加うるに米においても非アメリカ式思想が当局の相当上の方にも勢力を持つに至って、天皇を戦犯者として挙ぐべきとの主張が相当強い。 右に対する対策としては、天皇が何等罪のないことを日本側が立証してくれることが最も好都合である。そのためには近々開始される裁判(東京裁判)が最善の機会と思う。ことに、その裁判において東条(英機)に全責任を負担せしめるようにすることだ。 即ち東条に、次のことを云わせて貰いたい。 「開戦前の御前会議において、たとい陛下が対米戦争に反対せられても、自分は強引に戦争まで持っていく腹を既に決めていた」と。 (新史料からみた『昭和天皇独白録』)
これはGHQも東条らに責任を負わせ、天皇を無罪にするために動いていたことを示す証拠のひとつである。 では、なぜGHQがこの工作に協力的だったのか。 ここに、天皇の本来の姿が見え隠れしている。
(つづく)
参考:昭和天皇の終戦史 吉田裕
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