2015年08月15日

「國体護持」のための終戦(2)

9日のエントリーでは、昭和天皇が戦争責任から逃れるために企てた工作が存在していた事実に触れた。1946年3月6日、GHQのボナ・フェラーズ准将は米内光正に対して、戦争の全責任を東条英機に負わせるべきだと進言、東京裁判ではまさにそのとおりとなり、天皇が責任追及されることは全くなかった。これは昭和天皇が戦犯を免れるためのGHQをも巻き込んだ裏工作なのだが、なぜGHQさえも天皇無罪の裏工作に協力的だったのか。

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以下、るいネット「対立する天皇家とロックフェラー家【その1】」より引用

天皇家がどれほど巨大な財閥になっていったかについては余り世間に知られてはいませんが、実際のところはロックフェラーに匹敵、もしくはそれ以上の財産を持つに至ったのです。

天皇家が蓄財に味をしめたのは日清戦争のときのことで、清国からの賠償金は3億6525万円であり、そのうち2000万円が皇室の財宝になったとのこと。天皇はこれでさらに図に乗って、その後も次々と戦争を仕掛けていきました。

1945年の終戦時にGHQが皇室財産を発表したときには、「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は、37億2000万円」もあったとのこと。

当時の財閥の、住友吉左衛門が1億1738万円、三井高広は9628万円だったとのことですので、天皇家の財産は「表向き」だけで、財閥トップの資産より30倍も多かったということになります。「表向き」というのは、天皇が敗戦前にほとんどの財産をスイスやアルゼンチンの秘密銀行に隠してしまったからです。

つまり天皇は、ロスチャイルドとグルになって日清、日露、大東亜戦争、太平洋戦争を起こして蓄財の限りを尽くしていたというわけです。

かの太平洋戦争は、天皇が東条英機たちに説得されて戦争をやむなく許可したと学校では教えられますが、それは真実ではありません。天皇自身、戦争経済でボロ儲けするために、東條たちに命じて太平洋戦争を勃発させたのです。東条英機はただ天皇の命令に従ったに過ぎないのです。

(中略)

しかし、そうすると、ここで一つの疑問が出てきます。天皇はなぜロスチャイルドとグルになって戦争を起こしておきながら、敗戦の際、GHQにその財産を没収されそうになったのか、と。

私はこの事実を見て、実は天皇とロックフェラーとが水面下でバチバチと火花を散らし合っているのではないか、と考えるようになりました。

 

つまり、ロスチャイルドと組んで戦争を起こし、金儲けを企んでいたが、圧倒的軍事力の前にロックフェラーに屈してしまった。明治以降、戦争や奴隷密売(参考)で莫大な財築いた天皇家は、この敗戦で対外的に窮地に立たされた。

敗戦という事実は免れない。しかし天皇への責任追及は何としても回避しなければならない。すでに莫大な資産を有している天皇家の存在は、当然ロックフェラーも知っている。敗戦が色濃くなっていた1945年の6月、昭和天皇はすでに原爆が広島に投下されることをアメリカから知らされていた。

終戦直後の昭和天皇とマッカーサーとの会見は単なるセレモニーで、実は終戦の前に連合国側は天皇家の存続と昭和天皇の生命、財産の保全を決めていたのです。天皇制をうまく利用する方が日本統治上好都合と判断したからです。

米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !?より引用

この時点で天皇の身の保全は確保されていたと言って良い。一方で戦争が終わるや否や、敗戦国のトップである天皇への責任を追及する連合国側の関係者や世論は根強かった。それを強引にねじ伏せる必要があったのだ。それが天皇の「独白録」であり、GHQとの裏工作であり、その結果、日本の戦犯容疑者たちが口裏を合わせたように「東条英機」の名を言ったのだ。

 

敗戦が確定的になるにつれ、天皇の最大の関心事は、自分が金主として君臨し続けるという一点にあった。「国体護持」はそのためであり、ポツダム宣言の受諾は、それを前提としたものだったことが明らかになってくる。

 

そして、有名な玉音放送においては、驚くべきことに、その詔書の中に天皇が国民に詫びる言葉はなく、天皇自身の責任について何の言及もなかった。

しかし多くの国民は、難解な詔書の内容を正確には理解できずむしろ、一般国民がはっきりとその内容をつかむことが出来たのは、その後のアナウンサーのニュース解説であった。

この解説では「大御心に副い奉る事もなし得ず、自ら矛を納むるの止むなきに至らしめた民草を御叱りもあらせられず、かえって「朕の一身はいかがあろうとも、これ以上国民が戦火に斃れるを見るに忍びない」と宣わせられ、国民への大慈大愛を垂れさせ給う大御心の有難さ、忝なさに、誰が事故の不忠を省みないものがありましょうか」というかたちで、天皇の「聖断」よる平和の回復という点が、居丈高とも思えるような口調で強調されていたのである。

 

参考:昭和天皇の終戦史 吉田裕

List    投稿者 nihon | 2015-08-15 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配No Comments » 

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