2013年02月27日

天皇制国家の源流(葛城ネットワーク)のまとめ5 不比等による架空の歴史書『日本書紀』

今回は万世一系の天皇制の歴史的・思想的バックボーンとなっている日本書紀について扱います。
天皇制国家の源流(葛城ネットワーク)のまとめ4 ~蘇我滅亡→近江朝→白村江の戦い→壬申の乱の真相(百済人減らし)~の続きです
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●藤原不比等による架空の歴史書『記紀』によって、共認統合を計る
百済勢力の弱体化に成功した葛城は、その支配下にある=百済人の勢力が及んでいない東国(美濃・尾張)や畿内の豪族の支持を受けて、藤原京を建設。
それ以降、天武・持統-藤原体制が確立。
近江遷都→白村江大敗→壬申の乱で近江朝滅亡という一連の大混乱を収める力量のある者を、葛城が越or近江から連れてきて推戴したのが天武でした。
同時に、葛城は本流の中臣を神祀部門に専任させ、表の政治部隊として新たに藤原の姓を作り政治部門を担わせた。この藤原氏が、奈良時代、平安時代を取り仕切ります。

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そして天武時代に「大王」という号に代わって「天皇」号が制定され、藤原不比等が書紀を編集します。
大量の百済人流入で近江遷都→白村江大敗→壬申の乱で近江朝滅亡という一連の大混乱を乗り切った葛城は、改めて共認統合を計る必要に迫られ、その為の歴史書の編集を天武-不比等に命じたのでした。
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〔藤原不比等の肖像〕リンクよりお借りしました
そこで統合軸として選ばれたのが、伽耶系・百済系に共通する天孫降臨=現人神信仰に基づく万世一系の観念であり、その観念に沿って系図と物語が作成されという訳です。
もちろん、それは天武朝を正当化するための系図と物語であり、蘇我を徹底して悪者化して代わりに聖徳太子という架空の人物を捏造したり、天武を天智の弟ということにしたり、全く事実からかけ離れた架空小説に過ぎなかったのですが、新朝廷の官僚たちは、たとえ嘘でも万世一系ということにしておいた方が有益と判断して、異を唱えなかった。それどころか、証拠となる古い歴史書を悉く焼き捨ててしまったのです。
日本書紀には乙巳の変の際、蘇我蝦夷が全ての歴史書に火をつけたとされ、その中で『国記』だけは船史恵尺が救い出して中大兄皇子に献上したと記載されている。しかし、事実は、日本書紀を作り、蘇我氏を悪者にしたい藤原氏が焼いたと考えるべきだろう。
では、藤原不比等は日本書紀で何を隠し、捏造したのだろうか?
「天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト」大山誠一 リンク
より

●解明された真実
ここまでに明らかになったことを整理しておきます。
①聖徳太子は『日本書紀』が作った架空の人物である。実在の人物ではない。
②『隋書』によれば裴世清が会った倭王は男性であった。推古は女性であり、『日本書紀』においても大王としての存在感はない。推古は大王ではなかった。
③『日本書紀』の記述自体から、用明と崇峻の即位も否定される。彼らは大王ではなかった。
④舒明十三年(五五二)の仏教伝来とその彼の崇仏論争記事は、隋唐の末法思想にもとづく創作であり、事実ではなかった。作者は、唐に留学した道慈と思われる。
⑤本当の仏教伝来は、国家レベルのものとしては、崇峻元年(五八八)粂の百済から僧侶や技術者が渡来した記事である。その後、蘇我馬子により飛鳥寺が建立され、日本の仏教が始まる。
⑥『日本書紀』の中では、蘇我馬子の存在感は絶大である。『隋書』の倭王の記述と矛盾するところもない。だから、現実に飛鳥に君臨した大王は蘇我馬子であったに違いない。『日本書紀』編者は、この馬子の権力を執拗に否定しようとしているが成功していない。
 以上であるが、右の諸点を要約すれば、『日本書紀』の編者は、当時における近代文明の象徴と言うべき仏教の伝来を隋唐の末法思想によって描きつつ、たくみに、蘇我馬子という現実を否定し、その代わりに聖徳太子と用明・崇峻・推古の歴代大王を捏造した、ということになる。
(中略)
 蘇我馬子という現実を排除し、遠く高天原にいたる万世一系の論理を構築する。これにより、歴代天皇の神性を確保する。そして何よりも、これからのち万世一系の未来は、藤原氏の娘たちの生むことになる子孫である。不比等の場合は、何とも表現しつらいが、男親こそ借り物なのである。藤原氏の娘が天皇の子を生む。やがて、その子が天皇になる。これを繰り返せば、天皇は完全に藤原氏の一部になる。その論理を 『日本書紀』において確立する。そこで確立した価値観を未来永劫につなげる。恐ろしいというか、なんとも壮大な不比等の野望である。

つまり不比等は、万世一系の神話を捏造しつつ、同時に自ら(藤原氏)を外戚として完全に皇統に組み込むということをやってのけたのだ。
さらに大きな目でみると
近江遷都→白村江大敗→壬申の乱という一連の百済人減らし、それに伴う大混乱をなんとか乗り切った葛城と藤原は、この混乱の後改めて統合を図る必要があった。既に百済の本国は滅亡、新たに百済人が流入することはない。そこで、百済人も含めて再統合するための観念が、日本書紀だった。
日本に長く住んできた氏族であれば、強いて物言わなくても通ずる日本の風土に感化され、お互い状況を察しながら共認していくことができただろう。しかし、大陸の末端で、数百年にわたり高句麗・新羅と死闘を繰り広げ、その内部においても激しい宮廷闘争を繰り返してきた百済の支配層とその民である。
彼ら百済人たちをどう統合したのだろうか?
あるいは、『日本書紀』によって捏造された現人神→万世一系信仰によって百済人たちを含めた共認統合が可能だったのは何故なのだろうか?

当時の百済人の状況に同化してみると、次のようなことが考えられる。
新羅と唐により朝鮮半島を追われ、命からがら日本に逃げてきたのに、日本では百済人減らしにあい、ボロボロの状態だった。そこで、百済人たちは秩序安定期待を強く孕んでいたはずである。
そこで律令制度によって一定の私権(ex.官職)を与えられ、安定した身分が保証されれば言うことはない。

西洋でも東洋でも私権闘争の行き着く先は殺し合いであり、そこでは「殺すか殺されるか」という私権闘争の圧力に晒される。また、この私権社会では、人々は私有権を獲得しなければ生きていけなくなり、誰もが私権(地位や財産)の獲得を目指して争うようになり、私権闘争の圧力が社会の隅々まで覆い尽くしてゆく。この私権闘争の圧力の下では、否応なしに私権闘争を闘わざるを得ない。
ところが、和を旨とする縄文体質の日本では私権闘争は極めて希薄で、庶民はもとより、葛城をはじめとする支配者たちも共認原理に基づく連合政権という形で統合される。
私権闘争の圧力が弱い日本では、朝鮮半島から逃げてきた百済人たちも、私権闘争の覇者(王)となってヒエラルキーの頂点に君臨することよりも、律令制度等によって一定の私権(身分や財産)が与えられれば、その秩序が永続することを期待するようになる。
この百済人たちを含めた支配者たちの私権秩序の永続期待を観念化したのが、万世一系信仰ではないだろうか。つまり、万世一系とは単に皇統が続いているというだけではなく、支配者である葛城や百済人たちの私権秩序が永続することを正当化したものではないか。だからこそ、百済人たちをも統合することができたのである。

そして、葛城や百済人たち支配層の私権秩序の永続期待に応えた統合観念となったのが、同じく連合政権であった扶余族が持ち込んだ現人神信仰である(降臨した現人神は、他の姓に変えることはできないので、万世一系でなければならない)。
こうして百済人たちの祖先である扶余族の神話に基づく万世一系の観念信仰と身分をセットで与えることで、彼らを安定させかつ、その血統信仰が続くことで身分も半ば永遠に続く状況を作り出し、体制に組み込んでいったのだ。
そして、この現人神→万世一系信仰は、実際に現人神が存在しないことには成立しない。そこで現人神=天皇として天武を祀り上げた。これが天皇制の始まりである。
ここで、西洋や東洋の王権と日本の天皇制の違いは注目すべきである。
私権原理の西洋や東洋では、私権闘争(武力闘争)の覇者が王となり、王権を正当化するために脚色された歴史書が作られ、それによって秩序が安定化する。
これが共認原理の日本では、全く逆の構造となる。
すなわち、支配層の秩序安定(永続)期待に応えて、神話(現人神→万世一系信仰)が作られるが、その神話は現人神が実在しないと成立しないので、現人神として天皇が奉られるという、全く逆の構造である。

不比等が創作したこの日本書紀=創作神話の元に、支配階級は統合され、かつ正規の歴史書として実に千数百年にわたって日本を観念的に統合することになる。
では、事実でもないのにそれが可能だったのは、何故なのだろうか?
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●日本の歴史書は、なぜこれほど事実からかけ離れた記述になるのか?
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〔日本書紀(平安時代の写本とされるもの)〕リンクよりお借りしました
日本書紀は、大半が虚構の小説であり、人物も過半が架空である。これほど事実無根の歴史書は、他国にも例がない。
そのような架空小説もどきの歴史書が、正規の歴史書として続いてきているのは何故なのか?
私権原理で統合される西洋や東洋では、旧王朝を破って権力に握った新王朝は旧王朝を悪者視させ、新王朝を美化するために、脚色された歴史書を作るが、否定のしようのない基本的な事実の大半を抹殺してしまうようなことはせず、脚色部分を除けば大筋は事実に立脚している。
それに対して、和を旨とする縄文体質の日本では、政権は共認原理に基づく連合政権という形で統合される。従って、皆が共認できる統合軸と成ったのが、(同じく連合政権であった)扶余族が持ち込んだ現人神→万世一系信仰である。
そこで、葛城-不比等は、この現人神→万世一系の信仰に立脚して、天武を皇統に繋ぐために架空の系図を作成した。
たしかに、神話時代の系図ならどのようにでも作れるし、それに異を唱える側も確たる根拠を示し得ない。しかし、直近の系図については、嘘は明白である。問題は新政権の重臣たちが嘘と知りながら、表立って異を唱えなかった所にある。
新政権の重臣たちが表立って異を唱えなかったのは、統合軸として万世一系の信仰が必要であり、嘘でも万世一系としておいた方が上手くいくと判断していたからである。つまり、共認統合のための方便だった。
こうして、万世一系の観念と架空小説たる記紀が正規の歴史書として今日まで奉られ続けてきたのです。
その際、彼らは古い資料を全て焼き捨てて終ったが、歴史の捏造も、焼き捨ても、極めて重大な犯罪行為です!
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このような架空小説のような歴史書である日本書紀ですが、これが共認されその後の統合軸となることで、日本の歴史に一種の歪みもたらすことになります。武士政権の時代には、皇統は主導権を握れていなかったので問題はなかったが、特に明治維新で皇統が主導権を握ると、彼らは再び現人神とそれを正当化する日本書紀でもって、今度は末端の国民まで含めて統合し直すことになる。
この皇国思想のもとに、神風etc・・・神話的精神論が鼓舞され国民は対外侵略戦争にかり出されていった。この思想によることで、日本は神国だから勝てる、物が足りなくても精神で頑張ればいいといった雰囲気を醸成させていった。…その結果が無謀な第二次大戦参戦であり、惨敗という結果ではないだろうか?
そのような意識は、現代の右翼や政治風土、さらには原発神話の容認etc根強く残っているように見える。
一方でその思想を創り出した皇統(葛城ネットワーク)は、明治以降アジア侵略で金・麻薬ビジネスetcで私財を肥やした。彼らは、神話を使い国民を戦争に導きつつ、利用したと言うべきだろう。戦後も皇統は、万世一系を掲げ、アメリカ・GHQと計り象徴天皇制を創作、制度上日本の頂点に立ちながら、莫大な資産を専有し続けている。
日本人にとって何かしらかの統合観念は必要だと思うが、この捏造神話・日本書記では日本は勝てない(事実勝てなかった)。だから戦後も市場原理主義、グローバリズムetc金貸しの作り出した騙しの思想に絡みとられていくしかないのではないか?(その一方でアメリカや外資による収奪が、鬱積したナショナリズム・右傾化を強めている。)
この時代の転換期、そろそろ次の統合観念が必要なのではないだろうか?それは徹底した事実追及に立脚した、万人が認めることのできる事実体系でなければならないと思われます。

List    投稿者 ihiro | 2013-02-27 | Posted in 04.日本の政治構造No Comments » 

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