2014年02月09日

金貸し支配の構造3~司法支配(主権在民・三権分立の欺瞞)

「金貸し支配の構造2~マスコミ支配と学者支配(と騙しの数々)」では、金貸しはマスコミを尖兵として政界を支配していることを述べた。

’70年貧困の消滅によって統合原理が私権原理から共認原理へ転換すると共に、共認形成の場を牛耳るマスコミが一気に第一権力にのし上がった。今や、マスコミの作り出す「世論」次第で、特定の政治家や官僚や企業を潰すのは簡単に出来るし、政策や政党支持率を動かすことも容易である。
そのマスコミが’00年以降、「中立公正」という看板をかなぐり捨てて偏向報道を繰り返し、好き放題に情報を捏造しデマを流し続けていることは、誰の目にも明らかである。実際、中立公正も何もない露骨な偏向・煽動報道によって小泉フィーバー、郵政選挙を演出し、更には検察と一体となって、鈴木宗男、佐藤優、植草一秀、小沢秘書etcの政敵を失脚させてきた。現在も、福島原発事故と放射能汚染の真相、TPPによる経済被害、国政選挙の不正集計疑惑は隠蔽する一方で、原発安全神話や政権支持率を捏造し続けている。

もっとヤバイのが秩序の根幹を支配している官憲の暴走である。
とりわけ、検察はマスコミと一体となって、金貸し支配に敵対する政敵を失脚させてきた。
中でも、その代表例である「小沢裁判」は記憶に新しい。
そこでは、最高裁(=検察審査会事務局)は「架空議決」という信じられない手を使って小沢を起訴した。
今回は、金貸しによる司法支配の構造を述べる。
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「金貸しによる司法支配の構造」
日本では、「法の番人」である筈の司法ですら、金貸しからの支配を強く受けている。
「日本最強の捜査機関」と呼ばれた東京地検特捜部は、ロッキード事件、リクルート事件など日本現代史に残る贈収賄事件や汚職事件の捜査と立件を通じ多くの政治家たちの政治生命を断ってきた。当時のマスコミは、政治腐敗を浄化する国民的ヒーローのごとく特捜を持ち上げたが、それは全くの虚像だった。東京地検特捜部の前身は、戦後、旧日本軍の物資収奪を担うGHQの直轄部隊(隠匿退蔵物資事件捜査部)であり、彼らの主任務は、中国との接近を図った田中角栄をはじめ、米国の金貸し=ロックフェラー支配からの自立を志向する政治家たちの社会的抹殺だったのである。
支配を受けているのは検察だけではない。4年前の民主党政権時、角栄の系譜を継ぐ小沢一郎の首相就任を阻んだ陸山会事件では最高裁が動いた。調書を改竄してまで軽微な書類ミスを起訴まで持ち込もうとした東京地検の強引な捜査が証拠不十分に終ると、事件は最高裁事務総局が管理する「検察審査会」の場に移された。検察審査会は民意の反映による検察の暴走抑止を名目に一般有権者に審査を委ねる制度だが、これが非公開制であることを利用して、最高裁事務総局は架空の審査会を開催し、強制起訴の議決を捏造したのだ。結局、裁判で小沢は無罪となったが、金貸しの目論見通り小沢の政権担当の機会は失われた。
また、不正選挙裁判では、原告には発言の機会を与えず、何と一日で結審して不正選挙などなかったことにするという、前代未聞の裁判が行われている。つまり、司法は黒(不正選挙)を白(正当)と言いくるめ、お墨付きを与えているのである。
議会と行政と司法が一体となって不正選挙が行われていることは最早、疑いようのない。
とすれば、議会・行政・司法という三権が、それぞれの権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障すると謳われる「三権分立」など、本当の支配構造を見え難くするためのお題目に過ぎない。それどころか、三大権力がグルになって暴走しているのが実態なのであって、その最たるものが不正選挙である。
「都知事選、不正選挙に要注意5~議会・行政・司法がグルでやってる不正選挙」
彼ら司法官僚は、どのようにして金貸しの手先と化していくのか。
法務官僚トップや検察トップの多くは、そのキャリアの過程で外務省に出向し、駐米大使など滞米勤務を経験する。彼らはその滞米期間中に、国際的な権力構造の実態を知らされる。もともと受験エリートで序列志向の強い彼らは、この権力構造に従うことが己の身分・地位を上昇させる道と刷り込まれた上で、出世を約束された幹部候補生として日本へ戻ってくるのである。1万人に1人のエリートを発掘して養成・懐柔するという、ルネサンスの時代から続く支配の常套手段がここでも使われている。
さらに付け加えれば、’00年代、日本の大学で量産された法科大学院(ロー・スクール)や裁判員制度の創設を柱に進められた「司法制度改革」も、米国からの「年次改革要望書」にその具体的内容までが明記されている。即ち、日本を米国のような訴訟社会に変え、ビジネスの拡大を狙う金貸しの意向に沿った政策を官僚たちが実行したに過ぎない。
要するに、国会(立法)も、官僚(行政)も、検察・裁判所(司法)も、金貸しの掌の上で茶番劇を演じているのである。権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障すると謳われる「三権分立」など、本当の支配構造を見え難くするためのお題目に過ぎないことに気付かなければならない。
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三権分立は権力を抑止するためにあるというのが常識であるが、それは騙しであって三権分立だからこそ権力の暴走を生むのだと述べた論稿を紹介する。
立正大学阪口大和氏の論稿「現代社会の権力構造(6)立正経営論集(2005年12月)」から引用

1最高権力の否定と国民主権の幻想
 民主主義制度は,アンシャンレジーム下の専制権力への根強い不信から生まれた歴史的産物である。その中枢をなす概念は専制権力の専横に対するアンチテーゼとして工夫された国民主権の概念である。

 現実の民主制社会においては,主に経済機能別に分解編成された個別の権力主体がそれぞれの専門分野における部分的な支配力を持つことで社会的に必要とされる権力機能を担うことになると同時に,最高統合権力は主権在民という具体的な帰属主体を欠く抽象的権力概念のもとにあるとされたため,その存在が基本的に霧散してしまっているのである。そのため,実権を握った個別権力主体の自治的支配権(autonomy)によって統治される社会が出来あがったものの,特定の権力主体の独占的暴走などが起きた場合にはそれを規制する権限を有する上位の権力機構を実質的に欠いたシステムとなっているのである。
 さらに,主権在民の概念の持つ根本的欺瞞は,国民の主体的判断が最上位にあって,個々の実権者の行動を規定出来るとするところにある。実際には,個別分野の権力者がそれぞれの専門的知識や技術力にもとづく支配力を利用して,彼ら自身の手によって,門外漢で受動的な一般国民の意思なるものを意のままに操って自己の社会的支配力を維持しているのであるし,それに失敗した権力集団は消滅するだけなのである。 
 一方,様々な分野の個別実権者の立場からすれば,現代民主制はその上に立つ権力からの足枷ないし締め付けに欠け,自由気ままな行動を容認する都合のよい制度であり,さらなる支配力の維持拡大の道も開けているので,機能分化して流動性の高い現代社会には適合する要素を持っている。民主制は権力主体の固定化を否定し新旧勢力による社会的支配力の獲得闘争を容認し,社会変化そのものを制度内に容認した最初の社会システムであると言われる所以でもある。

 企業組織たれ,行政の一機構たれ,自らの限られた専門分野における目的をひたすら利己的に追求すればそれで良いのであり,社会全体の利益がそれで損なわれようと,それは主権在民のもとにあるとされる架空の存在たる最高次元の権力が解決するという逃げ道が用意されているのである。かくて現代民主制のもと誰もが最終責任を負わない巨大な無責任分断社会が構築されたのである。

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ロスチャイルド家の例にみられように幾世代幾世紀にもわたって縦横の閨閥を国際的に形成, 蓄積し, 国家をも動かすほどの強力な権力複合体を形成しているものもある。彼らこそが経済万能の産業革命以降の近代史の陰の演出者どころか真の演出者であるかもしれないが, その全貌を掴むことはその秘密主義に加えて政治権力の鎧に隠れて歴史の表舞台には現れて来ないこともあって難しい。

 民主制の幻想的主権在民のスローガンが彼ら(ロスチャイルド家)の支配力の隠蔽と維持にどれほど資しているか計り知れない。彼らの情報支配力によって民主制は現代社会で神話化するまでに礼賛されている
のであろう。

 特にこのような現代民主制の制度的欠陥を利用して成長したともいえる各国の産軍複合の権力体は二度にわたる世界大戦の悲惨な結果をもたらしたにもかかわらず, その行動は放任されたままであり, 国際紛争を自作自演するが如きに行う様々な策謀は止まる所を知らずに継続されて現代に至っている。
 このような産軍共同体などが, 欧米を中心とする地球規模での現代社会の実質最強の権力保有者であるとしても, それをこの民主制憲法のもとにある国々では権力の保有者としてまとめたものとして認識しない以上, その権力体が如何に暴走しても規定できないのである(いまでは架空の存在となった専制君主の権力の暴走を防止することは出来るとしても!)。
 しかし何故, 憲法その他の基本法制がかくまでも権力体系の実情と乖離したまま放置されているのか? それは, 現体制のもとで潜在化しながらも実権を握っている権力集団にとっては, 時代錯誤の現法体系は彼らの我欲追及に対して実質的制約を加えることが出来ないので好都合だからである。逆に言えば,彼らはこの法体系を利用してその地位を築いたのだから変える必要はないのである。

 民主制や市場原理主義が一応の定着を示している現代先進社会では, ここまでの分析で示したように, 制度そのものの本質的欠陥が様々な面で露呈してきている。しかし, これだけ西欧文明の圧倒的影響下にある日本においては, 相変わらず民主主義神話が全盛である。

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 現世界を現実的に牛耳っている最強のグループたる軍事経済連合体は, 彼らの組織暴走が平和維持どころか国際規模での紛争や混乱を喚起するまでに逆機能しても制約を加えるべき統合権力が実在しないので防止され得ない。巨大(金融) 資本のあくなき私的利益追及についても同様である(経済戦争という意味での阿片戦争は終わった訳ではない)。彼らの暴走に歯止めをかけるもう一段階上の社会全体の調和を司る中枢権力機構が必要なのである。
現代社会の主権者が国民であり, 三権分立によって民主的に統治されているとする民主主義神話ほど, 彼らのように潜在化し巨大な組織連合の実権を握っている者たちにとってその支配力を隠蔽するのに都合のよい主張はない。彼らがその地位の保全に水面下でどれほど腐心しているか, またその権力が如何にエゴイスティックなものであるかは, 彼らがこのような冗談を通り越した空論としか受け止められないような主権在民神話の維持に躍起となっていることからも逆に推察出来るのである。

 この小論に取り組んで得た結論は, あらためて今日を実質支配する権力が野放図に放置されているということである。経済権力は環境問題や資源問題をここまで深刻化させながらその寄って立つ自由放任の市場原理は絶対とされ, 産軍複合体の権力集団が引き起こす国際紛争は愛国主義の衣を着せられて美化されたまま無益な国際紛争を繰り返している。権力分布の現実とあまりに乖離した基本法制のもと, 主権在民の仮面のもとに深く静かに潜行した実権者たちは,発達したメディア情報網を徹底的に利用して国民を洗脳し, 民主主義を絶対視した神話を繰り返して幻想の世界に我々を陥れている。
 一方で権力が分散化されているために, 国民誰一人, また権力者誰一人, 自分自身の責任と感じている者はいない。日本国内のもっと具体的な問題でいえば, 底なしの公的債務に対して, 歴代の首相の誰一人, 役人の誰一人としてその責任を感じている者はいないようである。巨大な制度と組織の慣性の中に埋没した現代人の無力感のもとにはあまりにも空しく響く人間性を賛歌する西洋の個人主義的思想によって啓蒙された現代人は権力者, 服従者共々かくも等しく, 日日和見主義的で傲慢不遜な人格の持ち主になり果てたのである。
 世界人口の爆発的増加, 資源枯渇, 温暖化, 環境破壊などの地球規模での深刻な事態を前にして, 帝国主義的侵略の時代からみれば潜在化しているものの,今でも隠然と現代世界を牛耳る西欧上流社会の権力者たちは当然その支配力と優位性を保つために水面下では露骨な力による対応策を考えている。先進各国を跨いで暗躍する軍産連合体は, その彼らの要請に答えるために, 又, 自らの社会的支配力を維持するためにも世界の軍事的緊張を演出し続けなければならない。原爆保有国中心に大量殺人兵器の開発が何処まで進んでいるかは, 軍事上の秘密とあって誰にもその正確な実態は知らされてない。選民意識や愛国主義の美名のもとで殺人という最も凶悪な犯罪行為すら正当化するこの産軍複合体の潜行する支配力は, 二つの世界大戦のあとに到来した情報化社会にも決して衰えず, どのような大義名分のもとであれ, その利己性ゆえの殺戮と破壊行為を行うチャンスを虎視眈々と狙い続けよう。
 一方, 経済権力が直接支配する分野では, 市場競争原理のもとの効率の追求で先進国人類の貧困からの脱却に貢献したことは認めるとしても, 今や主権国家の枠を越えた国際市場での寡占体制が確立されつつあり, 武力を資本に替えただけの経済的強制力による帝国主義的支配体制が地球規模で継続している。その実質の社会支配力は今や政治権力のそれを大きく上廻っているにも関わらず, 市場における闘いに勝ち部分的市場の権力の獲得者たらんとするだけで,それ以上の綜合的な権力としての社会的責任に対する自覚は決して高くない。

ルネサンス以来、金貸しは数万人に1人の才能を発掘しては芸術家や学者や政治家として育て、また他方では諜報機関や大学や広宣機関(マスコミ)を作ってきた。今日では、諜報機関や司法機関をはじめとする官僚機構や議会、あるいは中央銀行や大学やマスコミの中枢は、そのような金貸しの手先たち=悪徳エリートによって占拠されている。
このように、実態は議会も行政も司法もその実権は金貸しが握っている。
三権分立の前提にある「国民主権という最高権力が個々の権力を抑止する」という理屈は架空観念にすぎない(実態は金貸し主権に他ならない)。従って、三権分立によって民主的に統治されているとする民主主義神話ほど、金貸しがその支配力を隠蔽するのに都合のよい主張はなく、民主主義(主権在民と三権分立)によって、金貸し主権という最高権力が隠蔽されているからこそ、金貸しとその手先たる司法・官僚の暴走が可能になるのである。

List    投稿者 staff | 2014-02-09 | Posted in 08.近現代史と金貸しNo Comments » 

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