2010年05月31日
統合機運の基盤~自由空間(中世都市)の拡大に都合の良い法解釈から始まった大学
「キリスト教(内面と外面の使い分け⇒面従腹背⇒自我の温床空間)」では、ヨーロッパ世界における自我・私権収束⇒近代思想の騙し構造の原点は、キリスト教の内面と外面の使い分け⇒面従腹背⇒騙しの正当化→自我の温床空間の蔓延にあったのではないかと述べたが、11世紀まではこの自我の温床空間は、頭の中だけの自由空間にすぎなかった。
ところが国家権力を凌ぐ共認権力と化した教会を金貸しが買収し(「国家VS教会の対立が秩序不安定化の原点」参照)、次いで、十字軍遠征による掠奪と交易によって商業(投機)貴族化した欧州貴族と金貸したちは、国家(皇帝)権力に対する(自我・私権の)自由空間を現実世界に作り上げることに成功する。それが中世ヨーロッパの都市である。
イタリア-フィレンツエ
画像はこちらからお借りしました。
いつも応援ありがとうございます。
ギリシャ問題の本質は?
ギリシャ発のユーロ危機が未だ収束しそうにない。
これは日本にとって対岸の火事かと言えば、そうではない。事実、日経平均株価もここ数週間で大幅に値を下げている。
そもそもこのギリシャの財政(金融)危機が今になって、突然顕在化したのはなぜか。それがなぜユーロや世界経済にまで影響が広がっているのか。
るいネットの記事を基に、それら一連の構造を整理し、図解化してみました。
ここからギリシャ問題の本質に迫ってみます。
いつも応援ありがとうございます
「潮流」シリーズまとめ:共認原理に基づく制度とは?
これまで「潮流」シリーズとして、以下の投稿を紹介してきた。
潮流1~共認原理と私権原理~
潮流2:戦後日本の意識潮流
潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向
潮流4:輸血経済(自由市場の終焉)
潮流5:失われた40年
潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
潮流7~暴走する社会(特権階級の暴走と下層階級の暴走~
潮流8:自民党は、なぜ見限られたか?
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
既に社会は共認原理に転換しつつある。しかし多くの企業はいまだ私権体制から転換できていないという現実や、さらには官僚やマスコミなど特権階級の暴走を目の当たりにすると、このままでは共認社会の実現には程遠いように思える。
そこで「潮流」シリーズの最後に、共認原理に基づく制度とはどのようなものが考えられるのかを展望しておきたい。
大きな方向性としては、
1.企業の共同体化
2.社会統合課題の半専任制度
3.マスコミに替わる共認形成の場としての統合サイト
が考えられる。
それらの根拠および実現基盤について、 「次代を読む」 「実現論」から引用していく。
応援よろしくお願いします。
自主管理への招待(6) 実現思考とは何か
今回は、新しく 参加されたhosopさんの作成した記事をそのまま掲載します
前回:自主管理の招待(5)では、「否定しか生み出さない」近代思想を「全否定」し、閉塞した現実から実践対象を獲得した《開放の哲学》への道程が提示されました。
今回、第6弾ではそれを具体的に実践する方法が明らかになります。
以下『自主管理への招待(6) 実現思考とは何か』からの引用です
私たちは、こう考える。もし私たちの求めるものが、本当に現実性を持ったものであるなら、それを実現しうる対象的な構造がすでに現存のこの社会の内に実在しているはずだと。私たちが、
単なる消費的な欠乏ではなく、日々の労働の疎外を問題にし続け得るとしたら、疎外を克服しうる実現の基盤は、すでに歴史的に用意されているはずだと。人は、対象とイコールに結ばれた主体としてのみ存在するのであって、決して自分だけで生きているのではなく、まして観念だけで生きているのではない。従って、欲望や願望が実現されるためには、それらとイコールに結ばれるそれら対象が、同時に存在していなければならない。逆に、そのような実現対象が社会的に存在していないとしたら、いかなる価値も理念も決して実現されない。実現対象を獲得し得ない全ての価値意識は、非存在であるにすぎず、いずれ消え失せてしまう。逆に、打ち消し難い課題を自らの内に孕んだ主体は、その実現対象をこの社会構造の中に見出し得るはずである。
私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)~否定から肯定への転換
画像はこちらから
2/28(日)のなんでや劇場「私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力」
(①②③)
を受け、「るいネット」のお題「私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな初へ)」 より、皆の役に立つ投稿を紹介するシリーズの第9回です。
第1回は「潮流1:共認原理と私権原理」
第2回は「共認力だけが制覇力と統合力を兼ね備えている」
第3回は’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
第4回は社会貢献が売れるわけ
第5回は中高年層、さあどうする!
第6回はあらゆる圧力を排除する個人主義
第7回は自分に自身があるのは、敗者のイデオロギーに染まってる証!
第8回は共同体だからこそ
第9回は対面会議の欠陥1・・・会議が眠いのなんで?
第10回は対面会議の欠陥2・・・突破口は⇒全てをネットへ!http://blog.trend-review.net/blog/2010/05/001642.html
でした。
今回は実現のための思考に不可欠な「否定から肯定への転換」です。
「理解しよう」として読むことがなぜダメなのか?
前記事で「言語能力の土台は、聞くことにある。すなわち音読でも重要なことは周りの声を聞くこと」であることを論じてきました。
本記事では、日本人の言語能力が衰弱した原因は、興味関心主義教育である。また本を「理解しよう」して読むのはなぜダメであるか?を論じます。
実際、十数年前から本を読まない若者が増加するにつれて、旧観念にとらわれてない若者が増えてきたことも、傍証として挙げられるかもしれません。
言語能力の土台は、聞くことにある~音読でも重要なのは”周りの声を聞くこと”~
(画像はコチラからお借りしました)
4/29のなんでや劇場レポート「観念力とは何か?」シリーズ、楽しく読ませてもらいました。
人類の話し言葉の形成過程は、赤ん坊の頃にまず「聞く」ことから始まっていますが、
後の言語能力を形成する上で、この「聞く」ということが非常に重要なことなのではないかと気付きました。
言語能力の土台は、聞くことにある
という仮説を元に、なんでや劇場の流れに沿って、言語能力における「聞く」ことの重要性について書いてみたいと思います。
いつも応援ありがとうございます!
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流
前回のエントリーでは、格差社会を作り上げ、露骨な権力行使による権力の自家中毒に陥った特権階級(自民党)を大衆は見限ったこと。その事により、政治家や官僚の一部には今後反省の機運も生まれるだろうが、小泉フィーバー・郵政選挙などの扇動報道に明け暮れてきたマスコミは、相変わらず衆院選挙後も、何の反省の色もなく偏向報道をなお行い続けていること等を明らかにしていった。
さらにこれらの根本原因には、私権秩序の危機を受けての、特権階級発の目先の秩序収束・制度収束が存在する。
(渡辺喜美氏:画像はコチラからお借りしました。)
今回のエントリーでは、それらの状況を踏まえ、今後日本が新しい社会を創出していくための大きな見通しを示した、るいネット投稿「潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流」を紹介したい。
いつも応援ありがとうございます。
普天間問題の本質は?
普天間問題が大詰めを迎えているようだ。
今日のニュースでは「普天間移設、辺野古案に日米が大筋合意」と報じられていた。
但し、この案では社民党や沖縄からの反発は必死で、日米合意であってもそれがスムーズに決着するとは考えにくく、依然落着点が不鮮明な状況だ。
そもそも普天間問題がここまでこじれるのはなぜなのか。
ネットサロンでその本質を明らかにしてみました。以下の図解がその成果品です。
この普天間問題の本質から見えてくるものは何か?
いつも応援ありがとうございます
自主管理への招待(5) 否定し要求するだけの「閉塞の哲学」から、実現対象を獲得した「解放の哲学」へ
前回:自主管理への招待(4)
では、
求められるのは《自己から対象への認識ベクトルの転換》が提起された。しかし、現実には近代思想によって、対象から目を背けさせられてきた。その構造は、まさしく『奴隷の思想』そのもの。という認識をえました。
今回、第5弾では、それをどう突破していけばいいのか?の方向性が明らかになります。
いつもありがとうございます 応援 よろしくお願いします