2008年05月16日

ブレトンウッズ体制の背後には何があった?


“基軸通貨崩壊の必然構造”については、5/10の記事「基軸通貨の成立構造と弱点構造」で紹介されましたが、これまで世界の基軸通貨がどのようにして生まれ、またそれが崩壊していく構造はどうなっていたのか?については非常に興味があるところです。
今日は、最初の基軸通貨であったイギリス・ポンドがアメリカ・ドルへ移行したきっかけである“ブレトンウッズ体制”に焦点を当ててみたいと思います。
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以下は、本ブログでも2007年11/23の記事「戦争→自滅によるドル下落か?金融操作によるドル下落か?」で、本郷さんが取り上げていますが、「田中宇の国際ニュース解説」の2007年11月6日の記事「ドルは歴史的役目を終える?」からの引用です。

現在の、ドルを国際決済通貨(基軸通貨)とする世界の経済体制を確立したのは、第二次大戦末1944年にアメリカで開かれた国際的な「ブレトンウッズ会議」である。この会議で定められたブレトンウッズ体制は、ドルを国際決済通貨と定め、世界(西側)の主要通貨はすべてドルに一定の固定相場でペッグされ、ドルは1オンス35ドルの固定価格で金につながる「準金本位制」だった。ペッグを維持できなくなった国に緊急融資する機関として、IMF(国際通貨基金)が作られた。

ブレトンウッズ体制は1971年、ニクソン政権の米政府がドルと金の両替停止を宣言した「ニクソン・ショック」まで続き、一般に「理想の国際通貨体制」だったと言われている。しかし、これはプロパガンダである。実際には、ブレトンウッズ体制は、当初からろくに機能しなかった。

ブレトンウッズ体制が定められた第二次大戦直後、世界の富の大半はアメリカに集まっていた。それまで世界の中心だった欧州は二度の大戦で破壊され、工業生産施設は壊れ、金備蓄もほとんど使い果たしていた。アジアの大国だった日本も敗戦で破綻した。半面アメリカは、二度の大戦とその間を通じ、欧州に工業製品などを輸出し続けて儲けた。当時の世界は金本位制で、貿易決済には金が使われた。第二次大戦終結の時点で、世界の金備蓄の80%をアメリカが持っていた。

こんな状況下で、世界はドルを貿易決済通貨とするブレトンウッズ体制に切り替わった。だが、世界の金と工業設備の多くがアメリカに集まり、そのアメリカの通貨が世界の貿易決済通貨として使われる体制下では、欧州などアメリカ以外の国々は、金も工業設備もないので何もアメリカに売るものがなく、ドルを得られないので輸入もできなかった。制度が始まって3年後の1947年には、ブレトンウッズ体制は世界の貿易振興や経済発展に役立たないことが明らかになった。

世界の富の大半がアメリカに集まり、他国よりも工業生産が発展していたという状況を考えれば、確かに他の国が輸出をしてドルを手にし、世界にドルが流通することは考えにくい。アメリカはどうしたのか?

ドルを貿易決済通貨にして世界経済を発展させるには、アメリカ国外の世界で流通するドルの量を増やす必要があった。外国にドルを流出させるには、アメリカは意図的に輸入や経済援助を増やし、国際収支を赤字にしなければならなかった。

この問題を解くため、最初にアメリカがやったのは、当時ちょうど始まったばかりの「冷戦」を口実にした、西側諸国への気前良い「経済援助」だった。その代表は、西欧諸国に対する巨額の経済援助「マーシャルプラン」(欧州復興計画、1947-51年)であり、日本に対しては朝鮮戦争(1950-53年)に際しての軍事特需や、ソニーやトヨタなど日本のメーカーに対する技術提供である。「欧州や日本の共産化を防ぐため、アメリカからの巨額の経済援助が必要だ」という説明が考案された。

終戦直後の1945年から47年まで、英米は敵国だったドイツが国力を復活しないよう、主要な鉱工業の生産量に上限を設け、経済成長を阻害していた。しかしマーシャルプランの導入を機にこの抑止政策は廃止され、政策は180度転換され、ドイツに対する非常に気前の良い経済援助、技術援助が開始された。

マーシャルプランは、1947年に米国務長官ジョージ・マーシャルが発した宣言的な演説によって始まったが、ハーバード大学で行われた演説を聞いたのは、欧州のジャーナリストらが中心で、欧州、特にイギリスでは大々的に報じられたが、米国内マスコミではあまり報じられなかった。ホワイトハウスはこの日、トルーマン大統領の記者会見を行い、国内マスコミの目をそらした。米国内に知らせないようにしたのは、議会や世論から、対外援助の大盤振る舞いを無駄遣いと批判され、計画を潰されるおそれがあったからである。

1950年代以降、ドイツや日本は、アメリカからの経済援助と技術支援、巨額の買い付けによって急速に経済力を回復し、対米輸出を増やし、ドル備蓄を増やした。米政府はまた、冷戦を口実に自国の防衛費を増やし、世界中に米軍基地を置き、海外で駐留費を使いまくった。終戦時には大きな黒字だったアメリカの国際収支は、1958年には赤字になり、その後は日独などからの輸入が増え、経常収支も赤字となった。

アメリカが赤字を拡大し、世界にドルを流出させたおかげで、世界経済は成長し、貿易量は増え続けたが、同時にドルの刷りすぎ状態がひどくなり、インフレや金相場の値上がりが起きた。ブレトンウッズ体制は金1オンス35ドルの固定相場制で、相場を維持するには、ドルをアメリカの金保有量に見合う限度内の発行量にとどめておく規則が必要だったが、実際にはドル発行量の規制は何もなかった。ドルはアメリカの金保有量に見合う額を大きく超えて増刷され続け、ロンドンの金相場(自由市場)は、1960年代には1オンス40ドルを超えて値上がりした。

各国政府は、手持ちのドルを米政府に持ち込んで金に替え、それをロンドンで売れば利益が出る状態になった。アメリカは日独などにドルを金に替えないようクギを差したが、1965年からはベトナム戦争の出費大幅増に加え、米国内での「偉大な社会計画」(Great Society programs)と呼ばれる貧困対策の出費などで、米政府のドル増刷に拍車がかかった。経常赤字は増加し、アメリカからの金の流出も止まらず、ついに1971年には、米政府はドル発行総額の22%分しか金を保有していない状態になり、ニクソン大統領が金とドルとの交換停止を宣言して「ニクソンショック」を引き起こし、ブレトンウッズ体制を終焉させた。

ニクソンショック前のアメリカの状況は、今のアメリカの状況と良く似ている。当時は、ベトナムの戦費や財政の大盤振る舞いによってドルの信用不安が起き、1972年のニクソン訪中など世界の政治体制の「多極化」が推進された。今はイラクの戦費や、テロ対策・ハリケーン被害復旧費などの財政の大盤振る舞いが行われ、ドルの信用不安が起こり、同時にロシアや中国の台頭をアメリカが容認し、世界の多極化が推進されている。歴史は繰り返されている。ドルに関して何らかの「ブッシュショック」が発せられる日が近いかもしれない。

アメリカは、何故、経常収支を赤字にしてまで基軸通貨体制をとったのか?そしてその背後にはどのような構造が隠れているのか?
これについては、本ブログの2007年11/23の記事「戦争→自滅によるドル下落か?金融操作によるドル下落か?(本郷さん)」のとおりです。
最初の基軸通貨となったイギリス・ポンドの崩壊は、現在のアメリカ・ドルの崩壊過程のように、基軸通貨崩壊の必然構造によることの他に、背後に別の力が働いていたということです。
つまり、ブレトンウッズ体制における、基軸通貨のポンドからドルへの移行とは、単に覇権国イギリスが崩壊してアメリカに覇権が移ったわけではなく、イギリスが覇権を維持するために、アメリカを利用する体制を作ったというわけです。
そして、これを裏で画策したのが、金融資本家=金貸しです。
金融資本家は、当時の覇権国イギリスを2度の戦争に陥れ、次の覇権国アメリカを利用してより磐石な覇権(米英中心主義)を握ろうとした。そして、その中心はロスチャイルドであったと考えられます。
アメリカ資本を握っていたロックフェラーとの力関係についてですが、当時、ロックフェラーはロスチャイルドの手下となって協働していたのかもしれません。
ですが現在は、ドルの崩壊をめぐり、ロスチャイルドとロックフェラーの思想性の違いが現れているようです。
アメリカの覇権には拘らず、上記のロスチャイルドとは思想を異にして多極化主義思想をもつロックフェラーは、原油や食料といった現物を買い占め、まさにドルを崩壊の方向に向かわせようとしています。
一方、現在のドル崩壊を何とか阻止しようと、マスコミを使って動いているのが、あくまでも米英中心主義思想を持つロスチャイルドだと考えられます。
しかし今の情勢では、どうみてもアメリカ・ドルは崩壊の流れにあり止めようがないと思います。多極派ロックフェラーの勝利ということでしょうか?その行方は、アメリカ大統領選がカギを握っているでしょう。

List    投稿者 hiroaki | 2008-05-16 | Posted in 08.近現代史と金貸し3 Comments » 

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コメント3件

 まつまつ | 2008.09.02 14:16

非常に興味深い記事ですね。
このタイミングでの辞任はかなり驚きました。
おそらく相当金融資本家はあせっていると思います。
しっかり検証したいところですね。

 がんばれ城内実(きうちみのる) | 2008.09.02 20:20

福田首相辞任!

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