【情報戦】17 最低の諜報機関かつ、戦争マッチポンプとしては最高のデマ機関だったCIA
前稿では金貸しの手先たちによって戦争経済を主導する装置として諜報機関CIAが時の大統領たちの猜疑の眼を潜り抜けて、世界中から闇資金を掻き集めながら強大化していく流れをみた。しかし、そのように戦争経済を作り出すことが主目的であるから、国家の側からみると実は、勝てる局面を逃してしまったり、誤った情報ばかり入ってきて戦況を見誤って戦争が長期化したりと、諜報機関CIAは決して優秀とはいえない機関であった。
本稿では、そのようなダメ機関としてのCIAの歴史をみてみる。
まず、共産主義陣営との戦いの先端が開かれた朝鮮戦争をみてみよう。前稿同様にティムワイナー著「CIA秘録」からの引用である。朝鮮戦争は日本には朝鮮特需をもたらしたが、それほど戦争経済としては大きな出費を伴った戦争であったが、逆にアメリカ国家の戦いとしてみれば非常に効率の悪い戦争であったといえる。
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ベデル・スミス長官は、部下のアラン・ダレス副長官とフランク・ウィズナー秘密工作本部長が提案してきたCIA予算をみて爆発した。五億八千万ドルという予算案は1948年の予算に比べて十一倍も増額していたのだ。そしてそのうちの四億ドルはウィズナーの秘密工作のためのものだった。
ベデル・スミス長官はこの予算案に「諜報機関としてのCIAにとって明確な危険をもたらすものだ」と腹を立てた。「尻尾である工作が本体である諜報を振り回している」と。そしてスミスは、ダレスとウィズナーが何か隠しているのではと疑った。海外での活動についてしきりに質問しているが、返ってきたのは曖昧なものばかりで、答えになっていないものもあった。
朝鮮戦争に関するCIAの解禁された歴史文書は、スミスの懸念していたことを明らかにしている。記録によると、CIAの準軍事作戦は「効果がなかっただけでなく、失われた人命の数をみても、道義的に批判されるべきものだった。戦争中、何千人もの朝鮮人や中国人が工作員として養われ、北朝鮮に送り込まれ戻って来なかった。費やされた時間と費用は、得られた成果と比べると途方もなく不釣合いだった。」
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続いて、最も泥沼化したベトナム戦争をみてみよう。
CIAのやり方は、メディア戦略と現地民への武器供与と育成であった。
第2次世界大戦中、対日本戦争という観点で、共産党政権である中国共産党やホーチ・ミン(北ベトナム)をアメリカは支援していた。しかし第2次世界大戦が終了しフランスからの独立を掲げるインドシナ戦争が起きると、アメリカは反フランス独立武装勢力のうち共産勢力は敵であると、表向きはフランスの肩を持つ姿勢を見せていた。しかし、実際はCIAを動かして南ベトナムやカンボジアなどの親米政権であり反フランス右派武装勢力の支援をしていた。
しかし、インドシナ戦争が終結し、北ベトナムと南ベトナムの間の戦いが本格化すると歯車が狂いだす。
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CIAのルシアン・コナンは第2次世界大戦ではホーチミンと同盟関係にあった。他方、1945年後は、南ベトナムを支援した。
CIA職員は映画やドラマのプロデューサー、企業のセールスマンなど、様々な隠れ蓑を利用してはいたが、実は(現地民ゲリラの)訓練要員であり、武器商人だった。信じられない資金を持ち、よろしくやっていた。しかし敵に対する情報は欠けていた。
南ベトナムでつくりだしたスパイ250人を北ベトナムに送り込んだが、2年後には217人が死亡、行方不明または二重スパイの疑がある人物であった。
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アメリカそのものが二重スパイとして始まったことは前々回の記事で述べた通りだが、その手口は、CIAが育てたホーチミンや中国共産党には見抜かれていたのではないか。膨大な諜報費を壊滅させる逆スパイによって、CIAは実は無力化されていた。
しかもアメリカ国家そのものはアジアの戦争のために自国から白人たちを送り出すことを避けたがっており、アジア人同士を戦わせる戦術を取っていた。しかし、アジア人の中にネットワークをつくり情報戦を勝ち抜くについては、歴史の長さにおいて華僑のネットワークを味方につけた勢力のほうに分があったであろう。しかもゲリラ戦では結果的に農民を味方につける共認形成に勝った勢力が勝負する。(戦争では現地で食料を調達した方が勝つと孫子もいっている)そして結果的に、アジアに同化しきれず、情報戦に敗北したCIA=アメリカは、その膨大な軍事費と引き換えに戦争に勝利することはなかったのである。
最後にソ連そのものとの戦いを見てみよう。
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CIAの存在は工作活動も何もかも含め、戦後一貫してソ連の脅威に対抗するためということで正当化されていました。しかし、対ソ連の諜報活動、情報分析という点ではCIAは大きな成功を収めることはできませんでした。
ソ連がキューバに核ミサイルを設置して、第三次世界大戦寸前までになった、キューバ危機(危機管理.)では、CIAはソ連の意図を最初から最後まで見誤り続けました。もし、ケネディー大統領がCIAと軍の言うとおり、キューバの核ミサイルを過小評価して軍事進攻を行っていたら、人類は滅亡していたかもしれません。
CIAはワイナーへの反論として、U-2型機、人工衛星などの偵察活動は十分成果をあげてきたと主張しています。それでも、ソ連、東欧の共産党政権が崩壊した後、目の当たりにした東側経済の悲惨な状況を、全く見誤っていたというのは弁解の余地はないでしょう。
CIAは常にソ連の能力を実際より高く見積もる傾向がありました。ソ連が崩壊する直前の1980年代後半でさえ、CIAはソ連はアメリカに対抗して軍事力を増強し続けるだろうと考えていたのです。軍事力増強計画の詳細は国家機密として深くソ連内部に入り込まなければ知ることはできなかったでしょうが、ソ連経済が崩壊寸前だったというのは、3億人のソ連国民の多くが実感として感じ取っていたはずです。CIAはそんな情報分析もできなかったのです。
ソ連の経済状態は、草の根的な情報を集積すれば、大きな危険を冒さずに把握できるはずのものでした。もっと危険を伴う本格的なスパイ活動という点で、状況はさらに悲惨なものでした。CIA内部の内通者により、ソ連にいたCIAのスパイは全員、逮捕されほとんど処刑されていたのです。しかもCIAは、なぜそんなことになったのか長い間気づきませんでした。
CIAは秘密諜報機関としての機能を備えてはいました。それでも、相手側が強力な独裁国家の場合、スパイ同士の戦いではずっと不利だったのです。たとえばワイナーの著書があげた、ソ連が美人局のようなことをしてCIAの局員から情報を引き出した例では、ソ連の送り込んだ女はKGBの大佐でした。CIAが同じようなことをしようとしても、どこかで怪しげな女を雇うしかないでしょう。諜報戦ではソ連の方がアメリカよりずっと強かったのです。
なお、アメリカ対ソ連の諜報合戦ではFBIも加えた(CIAは公式にはアメリカ国内での活動を禁じられていた)アメリカ側の防諜は極めて不満足な成績しかあげていません。アメリカは絶対に守りたかった原爆、水爆の製造技術をあっさりとソ連に奪われます。その後も、アメリカの兵器そっくりのソ連の兵器は続々と登場しますが、アメリカはどんなに頑張っても、ソ連が本気になれば、どんな秘密も守ることができなかったのです。
ワイナーはクリントン大統領などはCIAの報告より、CNN (Cable News Network)で情勢把握をしていたと書いています。CIAは世界の情勢をリアルタイムで映し出すCNNの持つ強力な情報収集能力には、なかなか勝てないのです。
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「ソ連は一級線の女性スパイを送り込むことができたがCIAは怪しげな女を雇うしかなかった」というのはことの本質をあらわしている様に思う。
情報戦争では究極のところスパイの忠誠心が問われる。しかし二重スパイ国家アメリカはどこまでいっても「国家のためのスパイではなく自分のためのスパイ」しかつくりだすことができない。まして金貸したちによって戦争経済を拡大させるためだけにつくられたCIAが、戦争を短期に終結させるための情報戦を展開するわけがない。ソ連が官僚組織の肥大化により自滅過程に入ってからもCIAが「正しい情報を収集することなく、ソ連の脅威をあおり続けた」のは、そもそもの目的が戦争の収束ではなく戦争の拡大にあったからなのだ。
その意味においてCIAはアメリカ国家にとっては最低の諜報機関だが、戦争マッチポンプである金貸しにとっては最高のデマ機関だったということである。
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