2018年10月25日

「贈与」との関わりが示す、日本人本来の精神性、共同体性 

「贈与」よる新しい社会・経済システムや関係構築の可能性。本ブログでも追求しています。

そもそも「贈与」とは何でしょうか。そして日本人はどのようにとらえて来たのでしょうか。
「広辞苑」によれば

 ぞう‐よ【贈与】
①金銭・物品などをおくり与えること。
②民法上、自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方がこれを受諾することによって成立する契約。

とあります。

要は「無償で与える」事ですが、
古来日本人がそこに抱いていた思念は単なる物品や金銭のやり取りではなく、「贈与」を通して、自然に対する感謝の念、共同体の一体感、他の集団との関係を築き深めるといった気持ちを持っていました。
古代、大陸から律令制度や税制度が入ってきた時ですら、日本人はこれを国家からの「強制」「収奪」と捉えず、納める側も受け取る側もこの「贈与」の考え方でもって諸制度を受け入れ、民族に適応させて行きました。

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以下、「るいネット」からの記事を紹介します。

 【日本の歴史における税と贈与リンク

あたかも教科書では律令制度をもって初めて税制が導入されたかのような記載であるが、それ以前の日本の風習に「貢納制度」があった。とりわけ「租」や「調」は、唐の税制の輸入とされているが、その内実は、本家のものとはかなり異なっており旧い習俗の「貢納制度」(贈与)の系譜を引く部分が大きい。税である限り、強制力(武力)を背景にしていることは一面の事実ではあるが、共同体性をより強く残した日本においては、人々の納得・合意が不可欠であったためであろう。      

 ○神への貢物(贈与)と古代の税
唐の税制が国家からの徴税という性格がストレートに出ているのに対し、形こそ似ているものの、日本における律令制の税制である「租」と「調」は神に対する貢物(贈与)が税に転化したものであるという性格が強い。
まず「租」は収穫の約3%と非常に税率が低い。かつ、治められた収穫物は中央には送られず、地方に保管されていたことが特徴である。これは、もともと「租」が、律令制以前に各部族にて、収穫の一部を「初穂」として神の代理人たる部族の長に貢納する慣行を土台にしているからと考えられる。

 他方「調」は、絹・布等の各地の特産物を中央政府に納めるというものである。しかし、それらは主要に神事に用いられていた。古代には毎年9月に伊勢神宮に初穂を奉ずる「神嘗祭」。11月に畿内諸社に初穂を奉ずる「相嘗祭(あいなめさい)」。2月に全国の神社で行われる「祈年祭」という3つの重要な祭儀があったが、これらの初穂や幣帛に「調」は用いられていたのである。もちろん「調」は氏族や官人にも分配されていて、全てが神事だけに用いられていたのではないが、朝廷に納められた「調」は、大蔵省の庭に積み上げられた後、そこから「初穂」として神社に献納された後に、各氏族や官人に分配されていたのである。

(中略)

日本ではその後、農業・漁業に限らず、あらゆる生業における生産物の一部を初穂として神仏に捧げるようになり、更には商業や貿易など必ずしも生産活動から得られた収入でない場合にも、その一部が神仏に捧げられて初穂と呼ばれた。現在でも神社で使われるお守り等の値段を指す「初穂料」という言葉はこの初穂の習俗に由来している。

(中略)

日本では神に対する贈与は、必ずしも多額である必要がないというのが特徴で、実はこの額の少なさこそが日本における初穂の特長なのである。神に対する捧げもの=贈与という点では西洋の教会に対する寄付と類似するが、寄付が金額の高さも評価の対象になっているのと対照的である。初穂とは、日本の贈与文化における「寸志」の土台を反映したものでもあったのだ。

(中略)

 ○相互扶助の「トブラヒ(訪)」の風習と税
もう一つ古来からの風習が税に転化した事例が「トブラヒ」である。
トブラヒとは古代から中世にかけて親族や同僚など比較的親しい者の間で行われていた相互扶助行為で、仲間の誰かが多額の出費を必要とした時に、仲間を支援する目的、あるいは見舞いとして贈り物をすることを「トブラヒ(訪)」あるいは「助成(じょじょう)」等と言った。例えば、仲間の家が火事にあった、祭礼の頭役に指名された、貴人の来客をもてなす必要がある等の多大な出費が予想されるときにそれが行われた。
この「人への贈与」の慣行を税に転化したものが、天皇即位、伊勢遷宮等の主要行事に対して貴族や寺社のトブラヒに依って賄われる財政構造である。

(中略)

参考:「贈与の歴史学」桜井英治 

以上引用終わり。

古代の税制は、平安時代中期、荘園制の完成と武士が台頭する中で、今までの人への課税から土地への課税へと大きな「税制改革」が行われます。
ここで“神への捧げもの”としての性格は薄れ国家の徴税としての姿が全面に現れる事となりますが、それでも日本の社会は共同体制を色濃く残しており、支配者もまたその精神の上に時代に適応した諸制度を構築して行きました。

現代のように、土地、金銭、相続とあらゆる贈与に民法の網がかかり、単なる「財」のやり取りとそのための権利といった面が色濃く出るのは、明治以降に西洋の近代観念が流入し、あらゆる物が「個人の富」の対象となって以降です。
しかし日本人はその風習として「ご祝儀」「香典」「お年玉」といった、「心のやり取り」による贈与の風習が残っています。

企業や取引先同士でも「お歳暮」「お中元」といった、直接的、即時的な見返りではなく、日々の感謝とこれからの関係深化の気持ちに基づいた「贈与」の風習が根付いています。

 

 その意味で、一体感や共認充足と結びついた日本人の「贈与」の精神性は今尚私たちの心の奥底にあり、だからこそ、あらゆるやり取りを「取引」「契約」とらえる西洋的、私権的な「贈与」の観念に違和感を覚えるのだと思います。

 別の見方をすれば、日本企業は多かれ少なかれ「共同体性」を宿しており、私権社会が限界を迎えた今、共同体企業へと転換するその可能性を皆が持ってるとも考えられるのでは無いでしょうか。

(by Yamakow)

List    投稿者 nihon | 2018-10-25 | Posted in 04.日本の政治構造, 13.認識論・科学論No Comments » 

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