2012年05月15日

江戸時代の思想14 日本人の共同体質(古の道)を追求した本居宣長→尊皇論は縄文体質の肯定

今回は、いよいよ国学の大成者として日本の思想史に大きな足跡を残した本居宣長(1730年~1830年)の思想について考察を試みたいと思います。
江戸時代の思想シリーズ第9回と10回で紹介した伊藤仁斎や荻生徂徠は、朱子学を全否定したが、儒学は否定せず、中国の古代孔子や孟子の時代に遡り追求を行った。
しかし、今回紹介する本居宣長は、儒学など中国からの思想を全て“漢心(からごころ)”として完全に否定し、日本の“古え”に可能性を求めて追求していった人物です。
以下、宣長についての記述は主に『日本政治思想史 十七~十九世紀』(渡辺浩著 東大出版会刊)から引用しています。
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「本居宣長六十一歳自画自賛像」
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1.本居宣長略歴
まずは、本居宣長の略歴について。
『日本政治思想史』より

本居宣長として知られるようになった人物は、1730年(享保15年)に伊勢国松坂の商家に生まれた。いわゆる伊勢商人の本拠であり、そのイエも木綿商として江戸に出店していた。幼名は富之助、次に弥四郎、のち健蔵、実名は栄貞。
幼少から上層商人らしい遊芸に親しみ、父や兄の死去などにより宝暦元年(1751)、イエを継ぐ(22歳)。しかし、商売には向かないのは明らかだったため、医者になることとし、翌年、京都に留学する。
儒学の師にも就く。(漢文を読めないと漢方医にはなれない)。それが堀景山である。徂徠の影響を強く受け、契沖をも尊敬した人物であった。留学中、健三は、丁髷(ちょんまげ)を総髪に改め、医者として「春庵」となのる。一方、先祖の姓だったとして本居と称し始め、実名も宣長と改める。「本居宣長」の誕生である。
そして、宝暦7年(1757)、松坂に帰り、町医者「春庵」としての生活を始める。医業のかたわら、和歌を詠み、物語・和歌集・『古事記』などを研究する。そういう時、彼は「本居宣長」だった。平穏で勤勉な生活が続き、『古事記』の詳細な注釈(『古事記伝』)を始めとする多数の書を著し、次々に刊行した。自宅で次第に増えた弟子たちに講義もした。弟子は、特に晩年には急増した。

このように、宣長は穏やかに研究を続けながらも、支持者や弟子達が次第に増えていったことが窺えます。
2.宣長の方法論:歌学び ~和歌や古事記に徹底的に同化しようとした。~
宣長は,人間はありのままの素直な真心で生きるべき事を説き,そのためには漢心(からごころ)を捨て,古典を通して古の道(惟神の道(かんながらのみち))を研究することが大切であると述べた。
つまり江戸時代には、殆どの人が持っていた、既成観念である仏教や儒教のフィルターを捨て、そして古の人々の心になりきる、同化することを試みたのだ。
聖人の道(仏教や儒教)は簒奪者の正当化のイデオロギーであると喝破した安藤昌益とは全く異なるアプローチによる、既成観念の全的否定だった。
『日本政治思想史』より

宣長は、その学問入門の手引き(『宇比山踏』)で、人はみな「歌学び」をし、和歌を詠み、物語を熟読しなければならない、それは「雅の趣」「物のあはれ」を知り、「心」ある人になるためである、と述べている。そして、それが「古の道をしるべき階梯」であるという。
(中略)
・・・但し、宣長は、あくまで古の雅語を使いこなし、心も古人の雅情に変質させてこそ、優れた歌が詠めると主張する。「歌よむ人の心ばへは、もはら此物語(『源氏物語』)の中の人々の心ばえなるべき」(『紫文要領』)である。つまり、不断に歌と物語に心を潜め、光源氏や紫上に内面的変身をしなければならないのである。(一見奇妙だが、荻生徂徠と賀茂真淵の方法論の継承である。)

このように古代の人物に徹底的に同化(その人の立場や外圧状況に身と心を置くことによって、内面的変身を試みる)することによって、古の道を知ろうと努めた。そうしてはじめて、古の人同様に「あはれ」と感じ、同様に和歌を詠めると考えたのだ。
3.宣長の古道論(尊王論)
このようにして、古の道を極めた宣長は、カラの教えで汚される前の、日本の神代・上代の人の心のありようこそが、全人類の模範であることを発見する。
『日本政治思想史』より

「古の道」とは、カラの教えの流入で汚されてしまう以前の「大御国の古への大御てぶり」(『直毘霊』)を言う。神代・上代における天皇を含めたすてべの人の、心・言・わざの一切が「道」である。したがってそれは「人の道」であり、同時に「天皇の天下をしろしめす道」でもある。しかも、それは全人類の模範であり、まことの道は、天地の間にわたりて、何れの国までも、同じくただ一すぢ」(『玉くしげ』)である。
なぜそう言えるのか?
それは、「此道、ひとり皇国にのみ正しく伝わりて、外国にはみな、上古より既にその伝来を失」ったからである。すなわち、宣長は、『古事記』などに記され、その厳密な解読によって再現できる神代・上代の有様が事実であり、かつ、「御国」のみならず人類の本来性を示しているのだというのである。
但し、宣長は、『古事記』の記述が一言一句そのままに事実だと主張するわけではない。ただ、極めて信頼性の高い史料だと考えるのである。それ故、彼は、史料としての信頼性はやや落ちる『日本書記』『万葉集』『古語拾遺』をも用いる。現存する文献資料をすべて用いて、その彼方に実在したはずの史実を再現しようとしているのである。
(中略)
天皇は専制君主ではない。我意をもって変革したりしない。常に先例に倣い、迷ったら占いで神意をうかがう。しかも臣下・万民も同様である。
 其時代には、臣下たちも下万民も、一同に心直く正しかりしかば、皆天皇の御心を心として、ただひたすら朝廷を恐れつつしみ、上の御掟のままに従ひ守りて、少しも面々のかしこだての料簡を立ざりし故に、上と下とよく和合して、天下はめでたく治まりしなり、(『玉くしげ』)
天下・臣下・万民は相似形をなす。それぞれが、その上位者の心をそのまま自分の心とする。誰も自己決定などしない。それ故に、天下は穏やかに、見事に治まっていたのである。

ここに宣長の思想の核心がある。
天皇・臣下・万人は相似形をなしており、
上位者の心=臣下・万人の心であり、
自分=みんな、でもある。
そして、上も下も自己決定を否定し、常に先例と周りに倣っている。
これは共認統合に他ならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、宣長は復古を強行することは「古道」に反すると諌め、平凡に穏やかに五百年~千年生きろと説く。
『日本政治思想史』より

学者はただ、道を尋ねて明らめしるをこそ、つとめとすべけれ、私に道を行うべきものにはあらず、されば随分に、古の道を考え明らめて、そのむねを、人にもをしへさとし、物にも書遣しおきて、たとい五百年千年の後にもあれ、時至りて、上にこれを用い行い給いて、天下にしきほどこし給はん世をまつべし、これ宣長が志也、(『宇比山踏』)
五〇〇年、一〇〇〇年である。それまで惑わずに、しかし穏やかに生き続けよ。彼は、読者達にそう語りかけている。

この冷静な現状分析(肯定)も穏やかな対応策も共同体質(現実肯定と順応性の高さ)故であり、社会が共認によって統合されていることを宣長が認識していたことの証でもある。るいネットにも全く同様の認識がある。
観念パラダイムの逆転7 新しい認識だけが、現実を変えてゆく

社会は人々の共認によって統合され、その意識=共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。現実が変わる=社会が変わるとは、ただそれだけの事である。
その共認内容は徐々にしか変わらず、例えそれが30年ほどの間に猛スピードで変わったとしても、その共認内容の変化に応じて一つずつ規範や制度が改革されてゆくことによってしか、社会は変えられない。

 
まさに宣長は、300年前にこのことを認識していた。
宣長は、古代に遡って日本人の共同体質の源泉(古の道)を追求していたのであり、追求した事実が、人々に広がることによって共認も変わっていくと考えていた。現代、宣長以来300年が経ち、新たな知識(縄文時代などの人類史、生物史)が蓄積されてきている。追求者宣長なら、これらの事実から認識を組み替えて、「古の道」を再構築し続けてきたに違いない。
しかし、現代の学者達は、国学という1つの学問領域に押しとどめ、既成観念化させ、単なる売り物(メシのタネ化)させているのではないか?宣長を始めとする、追求者である江戸時代の思想家とは全く相容れないのが、現代の学者ではないだろうか?
4.宣長の古道論は、極端ではあるが、その基本的正しさは認めざるを得ないという空気が形成されていた。
『日本政治思想史』より

彼のいう「道」は普遍的に妥当する。したがって、宣長は、各国それぞれでよいという相対主義も認めない。ある人を厳しく批判して、彼はこう述べている。
「各人各国がそれぞれ信じたいものを信じればよいでないか」などと言ってはならない。そういうあなた自身は、何を正しいと思っているか。そう宣長は迫る。正しいことなら正しいと、全人類が認めるべきなのである。
 
さてかくのごとき本朝は、天照大御神の御本国、その皇統のしろしめす御国にして、万国の元本大宗なる御国なれば、万国共に、この御国を尊み戴き臣服して、四海の内みな、此まことの道に依り遵はではかなはぬことわり・・・(「玉くしげ」)
以上の主張は、それなりに論理的かもしれない。しかし、いささか正気を疑わせる。だが宣長の古道論について、やや極端ではあるがその基本的な正しさは認めざるをえまいという雰囲気が、当時徐々に広がったようである。深く宣長の影響を受けた水戸学の支持者が増え、宣長がしきりに用いた「皇国」という語は、すみやかに通用を広げた。そして徳川末期(から1945年まで)にはどの政治的立場の人も用いるようになった。この国は一貫して天皇を戴く特別な国なのだ、という誇りを込めた自称である。

宣長の古道論は、極端ではあるが、その基本的正しさは認めざるを得ないという空気が形成されていた。
これは何故か?
あるいは、尊王論が登場するが、その中核となったのは宣長の国学であるが、それだけではない、山鹿素行も山崎闇斎も浅見も伊藤仁斎も、その思想から尊王・倒幕的な思想が登場している。
これだけ多くの思想家から尊王論が登場し、それが基本的に正しいと考えられていたということは、この時代の意識潮流であったと考えられる。
江戸時代中期までの尊王論の中身は、
日本は平和なよい国である(戦乱と王朝交代に明け暮れる中国より優れている)、
ということを誰もが感じていた。
そして、戦争がないのはなぜか? 王朝交代しない天皇がいるからである。・・・と
日本が平和なのは縄文体質(共同体質)故である。
全く新しい仮説であるが、言い換えれば尊王論とは縄文体質の肯定or探求であったのだ。
そのために歴史を遡ったが、しかし、「縄文時代」という概念すらなかったため、「古事記」によって『尊王論』でとどまった。
そして、多くの思想家が日本の縄文体質⇒平和を肯定し、その原因を探求したのはなぜか?
しかも、多くの思想家が追求の結果、既成観念を否定し、共認統合、さらには縄文体質を対象化する方向に追求が向かっていったのも縄文体質(共同体質)故である。
イエという共同体(経営体)を母体とした、社会をどうする?意識⇒社会統合秩序の形成とそれを導く社会統合理論の必要性を感じていた。
共同体を母体にした追求が、それを導く観念として縄文体質(共同体質)へと向かっていくのは必然であった。

List    投稿者 ihiro | 2012-05-15 | Posted in 04.日本の政治構造12 Comments » 

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