2008年01月26日

『アメリカの共和党と民主党』3・・・市場拡大の歴史は略奪史

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『アメリカの共和党と民主党』プロローグ・・・市場拡大のための国家
『アメリカの共和党と民主党』1・・・アメリカ独立戦争が起きたのはなんで?
『アメリカの共和党と民主党』2・・・南北戦争が起きたのはなんで?
に引き続き、シリーズ第3弾です。
これまでは、独立戦争 南北戦争の背景を見てきました 🙄
ここでは、アメリカが独立から西へ西へと侵略を続け、領土を広げていく過程を追っていきます。

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1 1775 北部13州
2 1783 ミシシッピー以東のルイジアナを独立戦争後のパリ条約で英より割譲
3 1803 ミシシッピー以西のルイジアナをフランスから購入
4 1818 英より割譲
5 1819 フロリダ:スペインから購入
6 1845 テキサス:36年にメキシコから独立。45年併合。
7 1846 オレゴン:英とのオレゴン協定で獲得
8 1848 カリフォルニア:1846年アメリカ・メキシコ戦争、1848年カリフォルニアを獲得
9 1853 ガズテン購入
欧州史より)

1783年 ミシシッピ以東ルイジアナ獲得
イギリスの植民地だったアメリカは、本国イギリスからの貿易を制限する法や重税に耐えかねて独立戦争 を起こし、1776年に独立宣言。
この戦争にはフランスやスペインがアメリカ合衆国軍を軍事的に支援。イギリスは外交的にも軍事的にも孤立し、劣勢となる。1783年のパリ条約により、大陸13州は完全に独立し、ミシシッピー川以東の広大なイギリス領ルイジアナ植民地を獲得

1803年 ミシシッピ以西ルイジアナをフランスより購入
この時期フランスは、砂糖のプランテーション島である植民地のハイチを独立で失っている。三角貿易の拠点であるハイチを失ったことでルイジアナの価値も落ち、かつ、フランス(ナポレオン)はイギリスとの戦争のため資金が必要だったことも重なり、ルイジアナをアメリカに売却した。

その間、中立の立場をとったアメリカに対し、イギリスは海上封鎖で報復。アメリカ議会とジェファーソン大統領は封鎖解除を狙い、1807年に外国との貿易を停止したが、イギリスは他国からの農産物輸入に切り替えてしまう。そして、1812年にイギリスに宣戦布告し、米英戦争(1812~1814)が勃発。
この間貿易はストップし、経済的・文化的に欧州から孤立したアメリカではナショナリズムが高まり(第二の独立戦争といわれる)、保護関税を図って自国内の工業を発展させる。そして1823年、モンロー大統領は欧州とアメリカ大陸の相互不干渉を唱えるモンロー宣言を発表、この後100年近くも※モンロー主義(アメリカ合衆国の孤立主義)が外交方針となった。

※弱小国であったアメリカに、なぜモンロー宣言などできたのか
当時欧州はナポレオン戦争などでゴタゴタしており、自国のことだけで精一杯。植民地支配を堅持する余力はありませんでした。さらに中南米では独立運動が盛んになり、そういった背景があって、モンロー宣言があるのです。
途上国であったアメリカは、欧州に目を付けられたらおしまいなので火の粉がかからないように中立の立場をとり、ゴタゴタに乗じてちゃっかり「干渉しないで」と宣言したのです。

米英戦争直後、ルイジアナへの移住が始まる。

1819年フロリダをスペインから購入
当時スペインはナポレオンの侵攻や内戦、革命でアメリカどころではなかった
スペイン領の西フロリダに開拓者を送り込み、独立させ、3ヵ月後にアメリカに併合する。さらに、東フロリダにもたびたび侵入するようになり、当時ナポレオンの侵攻や内戦、革命でアメリカどころではなかったスペインはアメリカにフロリダを売却することになる。
フロンティア誕生。

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1845年テキサス併合
テキサスメキシコ領土であるテキサスにアメリカ人を入植させた後、独立運動を起こさせ、独立を勝ち取った後にアメリカに併合。(アメリカの常套手段 😡 )

1830年インディアン移住法
1830年代頃、アメリカも産業革命を迎え、鉄道や航路が発達し、国内市場が拡大。労働者が大量に暮らす大都市圏が生まれ、企業経営者や出資する資本家が登場し、資本主義社会の時代を迎える。
1820年、大統領ジャクソンは、「先住民は民衆の敵だ 」と主張して、インディアン移住法を議会に認めさせた。多くの先住民の血が流れ、無理やり居留地へ連行された。

1846年オレゴン獲得
オレゴンはイギリスと共同で占有していて、領有権の紛争が絶えなかった。そこでアメリカはイギリスに領有権の放棄を要求。一触即発になったがイギリスが譲歩し、1846年に両国はオレゴン協定を締結。現在のカナダ国境を境界線とすることに合意。
これで、大陸の最西にまで到達する。
1840年頃からオレゴンへの移住者が激増。西部開拓が盛んになる。

1848年カリフォルニア獲得
アメリカは太平洋岸に自国の港を持ちたかった。(領土拡大主義者たちは、カリフォルニアを手に入れて、オレゴンをもっていた英国を押さえ、かつ太平洋に港をもって、アジアとの貿易に乗り出したかった)
1846年、テキサスとの国境をめぐってメキシコと対立し、イギリスと協定を結んで米墨戦争が勃発。この戦争によってカリフォルニアを獲得。メキシコは1/3の領土を失う。
同年カリフォルニアで金鉱が発見され(ゴールドラッシュ)、一攫千金を狙って多くの人が移住。※ドイツ人、アイルランド人、英国人がこの時期多数移住
このゴールドラッシュと土地寄付法(移住者に無料で土地を与える)によって西への移住者が激増した。

南北戦争(1861~1865)
工業が発達した北部の資本家は、労働力不足を南部の豊富な黒人奴隷で補おうとしたのと、欧州からの輸入品に関税をかける保護貿易を求めて南部と衝突。
そのため、奴隷解放を掲げ、南北戦争が勃発。(北の勝利)

西部開拓時代領土は太平洋へ到達したとは言え、東西交通手段は馬車か船舶に頼っており、馬車は移動に半年を要し、大平原やロッキー山脈、インディアンの襲撃などもあって危険な交通手段だった。船舶は南米大陸の南を回る為、移動に4ヶ月を要し、海が荒く事故が多発。こうした交通網の未整備により、ゴールドラッシュによって人口が急増したとは言え、西部には基幹産業も無く発展が遅れ、陸の孤島のような有様だった。これは、南北分裂の上に、西部まで分裂する可能性を含んだ問題であり、リンカーン大統領は南北戦争中から、東西交通の機関となる大陸横断鉄道の建設を進めた。
横断鉄道の完成によって西部との物流・交流が活発になり市場が拡大(西部開拓時代が到来)。
少ない人口で効率よく生産するため機械化が進み、大規模農業をすることができた。鉄道・道路網の拡大によって西部との一体化が進み、国内市場の拡大は工業産業を飛躍的に高めた。
こうして19世紀後半にはアメリカは、イギリスに次ぐ世界第2の工業国となる。
(このころロックフェラーやカーネギー、モルガンなどが登場)

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(大陸横断鉄道)

1890年フロンティア消滅
西部開拓が進んだことで西部の人口はさらに増加し、急速に生活圏を奪われたインディアンは一斉蜂起するが、鎮圧され居住区へ移される。
先住民の掃討が完了したとして、フロンティア消滅を宣言。
アメリカが領土を西へ広げるということは、先住民であるインディアンの土地を奪うということです。それがどれだけすさまじかったか・・・
・インディアンの虐殺はたびたび行われたが、サンドクリークの虐殺が代表的。これは酔っ払ったアメリカ騎兵隊が白旗を掲げていたジャイアン族を襲い、女子供を中心に133人を虐殺 その死体を叩き砕き、頭の皮を剥ぎ、妊婦の腹を切り子供を引きずり出したり、子供を標的に銃の腕を競い合った
・白人が最初に来た当時のインディアンの人口は400万人であったのですが、迫害の結果1900年頃には10分の1のたった40万人まで激減していた

アメリカの発展はインディアンの屍の上に築かれたものだったのです 😥 😥

市場拡大の要素は、
  略奪
 だまし
 科学技術
 勤勉性 ( 日本はこれですね)
の4つが挙げられますが、ここまでアメリカの開拓の歴史を見てきて、アメリカが拡大してきた要因は であることがわかります。

アメリカ市場拡大の歴史は、原住民を清掃する略奪の歴史と言い換えることができそうです 🙁

List    投稿者 pingu | 2008-01-26 | Posted in 03.アメリカの支配勢力と支配構造No Comments » 

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