人々の意識 vs 社会空間を支配する言葉・制度
>福島原発事故の後、主人公が福島を訪れた後で鼻血を出した描写(これは雁屋氏が現地を取材した際に本人が体験した事実)を通じて、政府やマスコミがこぞってこれを糾弾した。この出来事を通じて彼が抱いたのは、腐敗した支配階級にみる日本という国家の末期症状だ。 リンク
マスコミは庶民の味方みたいな振りをするが、完全に支配階級の一員であることが上記の記事で分かる。彼らが社会に流す「言葉」が社会空間を支配している。
「中立・不偏不党」など全くのお題目で、いざと言うときは政府と歩調を合わせて牙を剥く。(そのバックにはスポンサーである闇勢力がいる。日本の闇勢力とは?)
●支配階級だけではない、現代社会を構成する仕組み・・・・
最近の都内、選挙の演説がすごい音量でせまってくる。ピンとこないからうざく思ってしまう。これも一種のマスコミ。選挙となれば同じような言葉・観念を“これでもか”と垂れ流す。
彼らが“自分”が当選することに汲々としていることも伝わってくる。
それ以上に感じてしまうのは、この幾つかの政党に拠って立候補している人も、ある同じシステム・制度に乗った“演者”にしかすぎないということ。だから何回選挙しても本質は何も変わらない。多分人々もそういうのが直感的に分かってきたので、投票率も次第にさがっていく。
選挙によって生まれた様々な政党、制度によって生まれた様々な団体・・・それらが支配制度維持の補完システムとして作用している。
・・・僕らが求めていることとは決定的に乖離している現実。
現代の“常識(民主主義や学校etcあらゆる既存制度)”が意識と決定的に乖離している。
★意識と行動はどこに向かっていく?
僕はもっとこの乖離が大きくなればいいと思う。選挙でわめけばわめくほど乖離が大きくなる。マスコミが騒ぐほど乖離が大きくなる、どんどん分離していく。
求められているのは
本源潮流 → 充足・共同性を求める意識(本源意識)であり、本能的な欠乏を充足させてくれるもの
3.11以降、人々の意識
意識の求めている本体=時代の方向性を見極め、その実現体をどれだけ作っていくか?
by Hiroshi
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2019/04/8771.html/trackback