十字軍以降、市場拡大と私権獲得を正当化する近代思想をデッチ上げるために、金貸しが大学を作ったのでは?
「金貸し支配の構造5~エリート支配」では、エリートとは余力という特権を与えられた、金貸しの手先であることを明らかにした。
そして、金貸しのエリート養成の場が大学である。
例えば、金貸しは、医療品を使う医師を作り出すために大学に医学部をつくり、大卒の医薬品を使う医師のみにお墨付き(免許)を与え、近代医療(薬物治療)以外の医療を排除していった。
「近代医療が金貸しに乗っ取られる過程② ~大卒の医薬品を使う医師のみにお墨付きを与え、他の医療を排除する~」
崎谷博征氏の『医療ビジネスの闇 ”病気産生”による経済支配の実態』よりポイントを紹介します。
■近代医療を乗っ取ったロックフェラー
ロックフェラー財閥(以下「ロックフェラー」)はロスチャイルド財閥が考案した連邦準備銀行(FRB)設立に関与し、そこから潤沢な資金を得ています。そして20世紀初めには、世界中の石油利権の大半を手中に収めることに成功しました。
そこから上がる数兆ドルといわれる資金を元に次の大きな投資先を探します。彼らが目をつけたのは、私たちの”人体”でした。彼らの石油産業から派生した製薬によって人体をターゲットにした独占的市場を”創作”したのです。この石油から作られた医薬品はもちろん特許という独占権で守られ、利益が保証されます。そして、ロックフェラーは、労働者を科学的に治療する「近代医療」の中で、自らの利権である医薬品を中心に据えようとしました。
医薬品への投資で利潤を上げるために最も重要視されたのは、医学関係者に彼らの影響を行き渡らせることでした。1910年、ロックフェラー財団の理事長であるフレデリック・ゲイツは、ロックフェラー医学研究所所長の兄弟であるアブラハム・フレクスナーに命じて、あるレポートを作成させました。作成のための調査資金は、ロックフェラーが関与していないように見せかけるため、ロックフェラーが実質的に支配しているカーネギー財団を迂回して提供されました。
このレポートは、90日間で全米の69の医学校を調査し、独自の尺度で格付けしたものです。代替医療をおこなう医学校を「信用のおけないマヤカシの学校」と非難し、排除する目的で作成されました。実際に25校は閉鎖の憂き目に遭いました。一方で、ロックフェラー財団の意にかなった学校には、財団から潤沢な研究資金が提供されたのです。このレポートは「フレクスナー・レポート」と呼ばれ、その後のアメリカ医療の将来を決定付けるターニングポイントとなりました。
つまり、1910年に、ロックフェラー・シンジケートが近代医学の乗っ取りに成功したのです。
■「患者中心」から「専門職中心」の医療へ
1848年、AMA(アメリカ医師会)という組織が形成され、「アロパシー」と呼ばれる治療以外の医療行為が執拗に攻撃されていました。アロパシーとは、症状を打ち消す薬や手術を施す治療法のことで、分かりやすく言うと「対症療法」です。現代医療はこのアロパシーを基本としています。ロックフェラーはアメリカ医師会に目を付けました。なぜなら、ロックフェラーがアロパシーで使用する。”医薬品”に莫大な資金を投入していたため、それらの薬を使用する医師を必要としていたからです。
フレクスナー・レポートののち、医学教育、医師免許、治療法、治療費は、ロックフェラー財閥の後押しを受けたアメリカ医師会の寡占状態となり、医療の自由市場は消滅してしまいました。たとえば、民間の助産婦は排除され、アメリカ医師会に所属する病院の産婦人科での出産が義務付けられました。また、料金とサービスの面で一般の人々から好まれていた検眼士は”イカサマ治療士”として排除され、眼に関することはアメリカ医師会に所属する眼科医の独占となりました。
さらにロックフェラー財団は、所有する製薬会社を通じて資金を投入し、メイヨークリニックをはじめ、ハーバード、イェールなど「アイビーリーグ」といわれる全米エリート大学に医学部を創設しました。医学校には、資本家階級の信奉する科学的医療を教え込むというフレデリック・ゲイツの思惑を実践するために、大学院レベルの教育を施すフルタイムの医療教育者が置かれました。これらの”正規”の医学部で教育を受け、卒業しないと医療行為は法的に禁止されたのです。
これは医師免許の独占権を手中にしたことを意味します。これらのいわゆる一流の大学の研究機関や病院には、今や世界の医学をリードする医師たちが集っています。彼らが発信する情報は、医学論文や学会を通じて世界中の医療機関に大きな影響を与え続けています。また、この”エリート医師”たちの組合であるAMAが、臨床では絶大な力を持っています。もちろん医学の遅れた国、日本でも、彼らの作ったガイドラインや治療法が数年遅れで拡がっていきます。
ロックフェラー財団はこれら医学研究、医師の教育・トレーニング、医薬品の製造、公衆衛生政策に豊富な資金を供給することで「患者中心」の医療を廃止し、患者を顧客として扱うという「健康の産業化」を完成させていきました。すべては自分たちの医療品を売るためです。
そして第二次世界大戦前後からは、ロスチャイルド財閥やロックフェラー財閥のコントロール下にある連邦政府が、薬物治療中心の近代医療に介入するようになりました。資本家同様、国家も「健康な兵士を戦場に送るために、そして負傷した兵士を回復させるために」医療の利用価値を認めるようになったからです。ここで、近代医療は「患者中心」医療から、大資本家、アメリカ医師会、連邦政府の三頭支配による現在の「専門職中心」医療へと変貌を遂げたのです。近代医療と資本主義は手を携えて発展してきたのです。
これは20世紀の大学の事例であるが、大学が金貸しの手先養成機関と化したのは20世紀に始まったことではない。
大学の起源を探ると、中世後期、キリスト教の権威付けのために大学が制度化され、神の手先として神学者が権力を持つようになる。そして同時に、学者という知的特権階級の身分が登場する。「科学はどこで道を誤ったのか?13」
一方、神聖ローマ皇帝は、ローマ教皇に対する自らの正当性を確立すべく、ローマ法の整備と、それによって国家を統合するための官僚育成に着手する。これが最古の大学と云われるボローニャ大学である。それに対抗してローマ教皇は、傘下の神学校を格上げする形で大学を設立。最初に設立されたのがノートルダムのパリ司教座教会付属神学校を起源とするパリ大学である。 ボローニャ大学にしろ、パリ大学にしろ、神聖ローマ皇帝とローマ教皇との勢力争いにおいて、それぞれが自らの正当性を主張する(詭弁を作り出す)ための機関として設立されたということだ。つまり、設立当初から大学は、いかにして相手を説得するか、騙せるかを追求していたのであって、事実追求とは正反対のベクトルだったのだ。 「金貸しによる洗脳教育史②~皇帝と教皇の詭弁合戦から大学が生み出された」
皇帝、教皇という最高権力者直轄の治外法権=特権が大学に与えられたことにより、まさしく大学が聖域化され、その中で、学者や学生はとことん自我を肥大させ、それが最高権力者によって守られてゆく。「学生」になりさえすれば、好き勝手できる身分が自動的に与えられ、卒業後も、好き勝手できる地位・身分が補償されている。そして、特に詭弁能力に優れた者が学位を取得し、エリートとして、国家や教会の中枢になっていった。「金貸しによる洗脳教育史③ 特権化された大学が壮大な騙しの社会を創っていった」
現在、13歳~18歳の少年を教育する英国の私立学校の中で、トップ10%を構成する10数校は「パブリックスクール」と呼ばれるが、その中でもエリート中のエリートが通うのがイートン校。卒業後は大半がオックスフォード、ケンブリッジへ進学する。イートン校の創設目的は、英国全土から下級階層の秀才70人を集め、英才教育を施すことであり、彼らの学費は王により全額免除された。さらにイートン校設立の翌年、ヘンリー6世は卒業生たちの進学先として、ケンブリッジ大にも学費免除のカレッジ(King’s college)をつくった。
つまり、国王による優秀生奨学生制度である。この奨学生制度は現在のイートン校にも受け継がれており、選ばれた70名(1学年14名)の生徒は「王の学徒(King’s scholar)」と呼ばれる。彼らは、カレッジの中心にある特別寮に住み、王の学徒の証として黒のガウンを着用し、毎日、教授らとともに三ッ星レストラン並の食事をとると言われる。
貧しい少年のための英才教育校としてスタートしたイートン校は、その後、時代が下るにつれて現在のような支配階級の人間が大半を占める学校に変貌してゆく。この結果、突出した才能を持つ一握りの人間だけが下流・中流階層から抜擢され、その他多くを占める支配階級のサークルに組み込まれる構造が出来上がったのである。これは、「数万人に1人の天才を発掘・養成・懐柔する」という、現代の「フルブライト留学制度」や「ローズ奨学金」にも見られる金貸し支配の仕組みの原型とも言えるものだ。「金貸しによる洗脳教育史④ 数万人に1人の天才を発掘するエリート教育の起こり」
そして、近代に至って、金貸しが中央銀行制度によって国家支配を完成すると、国家や教会に代わって金貸しが大学を支配するようになる。その代表例が、冒頭に挙げた 「近代医療が金貸しに乗っ取られる過程② 大卒の医薬品を使う医師のみにお墨付きを与え、他の医療を排除する」であるが、12世紀の大学の設立段階から、大学は金貸しが作った疑いが濃厚である。
市場時代と金貸し支配は11世紀末の十字軍遠征に始まったが、注目すべきは、金貸しがローマ法王をけしかけて十字軍遠征が始まった直後に、ボローニャ大学・パリ大学を皮切りに西欧で大学が設立されたという点である。
武力支配時代の支配観念はキリスト教であり、その教宣機関は教会である。市場時代の支配観念は近代思想であり、その教宣機関は大学(を頂点とする学校とマスコミ)である。
つまり、大学とは市場時代に固有の教宣機関であり、ということは、神聖ローマ皇帝やローマ教皇だけではなく、市場に立脚する金貸しが大学の設立に関わったはずである。
対立する両勢力をけしかけ金を貸すことによって、どちらが勝っても金貸しは必ず儲かるというのが常套手段である。そのようにして金貸しは世界中の国家の支配権力を握ってきた。とすれば、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の対立も金貸しがけしかけたものであり、それぞれの正当性を主張する大学も、金貸しが皇帝や教皇をけしかけて作らせたものである可能性が高いのではないか?
古代宗教も近代思想も架空観念である点では同じだが、違いがある。
力の序列原理と永世固定の身分支配の苦しみから救われたいという大衆の救い期待に応えて登場したのが古代宗教である。苦しみの原因が私権意識にあることは明白なので、古代宗教は間の醜い部分(私権意識)を捨象した本源風の普遍的な価値を掲げることになる。
それに対して、自我私権の獲得⇒市場拡大を正当化するのが近代思想である。
つまり、十字軍によって市場拡大の可能性が開かれた。そこで、私権獲得を正当化する近代思想をデッチ上げるために、大学という機関を金貸しが作り上げたものだと考えるべきだろう。
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