ニクソンショックから37年、多極化への道
ドル信用不安増大から、ドル基軸通貨体制が揺らぎつつあるようにも見える。
ドルの価値を守るより、多極化によって実利を上げる方向へ国際金融資本家は舵を切ったのではないかとも言われている。
その伏線は、1971年のニクソンショック(金ドル交換停止)にも見られるようだ。
今後、ドル基軸通貨体制がどうなっていくのかを予測するためにも、37年前のニクソンショックについて考えて見たい。
世界多極化:ニクソン戦略の完成 2007年12月18日 田中 宇
からの引用です。
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▼金ドル交換停止
ニクソンの3つ目の多極化戦略は、1971年8月の「金ドル交換停止」(ニクソン・ショック)である。これは以前の記事で分析したように、1944年のブレトンウッズ体制(ドル基軸制)の開始以来、米政府が25年間、世界と米国内に対して経済援助や戦費、補助金や公共事業などの大盤振る舞いを続けた結果、財政赤字と経常赤字(貿易赤字など)が巨額になり、ダメ押しとしてベトナム戦争の戦費急拡大でドルの信用不安が強くなり、米政府保有の金が流出して空っぽになったため、ブレトンウッズ体制の根幹をなしていた金ドル交換の保証をニクソンが放棄し、ドルの体制が崩壊した事件である。その後は、金本位制を切り離した疑似変動相場制(スミソニアン体制など)が採られ、今に至っている。
ニクソンによる金ドル交換停止はやむを得ない措置だったという見方もできるが、私はそう考えない。ニクソン政権は金ドル交換停止の直前まで戦費の大盤振る舞いを続けており、意図的にドルの信用不安を悪化させたと見るべきだと思っている。金本位制を離脱したことにより、アメリカはドルを際限なく刷れるようになったため、金ドル交換停止はアメリカの通貨覇権拡大が目的だったという説もあるが、私はそれも採らない。
(中略)
ニクソン・ショックは、レーガン時代のプラザ合意と並び、日本の円とドイツのマルクを強化したという点で、世界を「米欧日露中」の5極体制に転換させようとした多極化策の一環である。通貨の多極化は、ニクソンの時代には実現しなかったが、レーガンが冷戦を終わらせて欧州諸国に統合を勧め、ユーロが誕生したことで、世界の通貨体制は多極化し始めた。日本については1970年代以来「円の国際化」が騒がれたものの、日本は対米従属下で経済発展した状態を続けたかったので、円の国際化は掛け声だけに終わった。
通貨の多極化は、最近のドルの信用不安な世界的なインフレを受け、中東産油国(GCCとイラン)がドルペッグを止めて独自の通貨統合をするかもしれないということで、新たな段階に入ろうとしている。ニクソンがブレトンウッズ体制を壊し、レーガン(とパパブッシュ)がユーロ誕生を誘発し、今のブッシュが中東や東アジアの通貨統合を誘発しているのが、国際通貨体制の30年史である。
▼多極化は資本主義100年の計
アメリカの多極主義の政権によってドルが自滅させられるのは、多極主義の黒幕がロックフェラーなどの資本家であることと矛盾しているようにも見える。石油危機を誘発してアメリカ経済を自滅させたりするのも、資本家の行為としては奇妙である。
しかし同時に、多極化を阻止してきた米英中心主義者が永続させようとした「冷戦」は、世界経済のうち、中国、ロシア周辺、インドなど(非同盟諸国)の地域を「敵」として封じ込めの対象にして経済発展を阻害し、欧米の資本家がそれらの「敵地」に投資することを禁止した。米英中心の世界体制を維持するためには、大国として勃興するかもしれない中露印などの発展を阻止する必要があったので、冷戦によって敵味方が作られた。
これは、国際的な資本家にとっては、市場や投資対象が大きく制限されていることを意味する。資本家は「消費者」の増加を望むが、冷戦構造は、中印露など人類の半分を「消費者」にできない状態である。資本家が「アメリカの経済発展」「今年の儲け」などの狭義の儲けだけを希求するなら、米英中心主義やドル基軸制の永続でかまわないが、世界の100年規模の経済成長を考えた場合、冷戦や米英中心体制へのこだわりは、むしろ壊すべき対象になる。
1971年のドルショックの直後、1974年にウォーターゲート事件でニクソンが失脚させられたことを考えると、30年前にはまだ多極派と一極派は拮抗していたのだと思われる。
田中宇氏が指摘しているように、30年の動きを概観すれば、多極化の方向へ向かっていることは明らかなように思う。
国際資本家は、一つの強い国家に寄生する段階を終え、より多くの国家に同時に寄生して儲けを叩き出そうとしているようだ。
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