旧陸軍系の錦の御旗(裏天皇)=堀川辰吉郎
大本教と旧陸軍、フリーメーソンのつながりを調べていくと、いわゆる裏天皇・堀川辰吉郎が、彼らの精神的支柱であったことが分かる。堀川辰吉郎が孝明天皇の世に隠れた直系なのか、否かは定かではないが、南進に転じた、海軍・昭和天皇とは違う、北進推進の陸軍派の錦の御旗として堀川の存在があったことは確かなようだ。
以下のブログによると東京へ遷都した明治以降の皇室とは別に、京都の残った公家たちの思惑が、玄洋社や大本教を媒介に陸軍を突き動かし、薩摩を中心とした海軍との対立構図に発展して行ったようだ。そして、この対立構図は、現在も続いているとみるべきだろう。
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彼(堀川辰吉郎:引用者注)は明治天皇の側室、千種任子の子供で、大正天皇の生誕と重なったため、混乱を避けるため民間人の頭山満に預けられたと言う。その堀川は杉山茂丸(引用者注:頭山満と同じ玄洋社のメンバー)に補佐されながら何をしていたのだろう。この杉山は薩摩ワンワールドとは少し立場が違う人間なのである。(派閥的には後藤新平、児玉源太郎系?)
つまり、戦争前、日本には二つのワンワールド思想があったと考えられるのだ。世界はひとつ人類は皆兄弟、のワンワールドでも、英国製とモンゴル製があったと考える。英国製は上原元帥を筆頭とする薩摩南進派、今ひとつは頭山満、杉山、後藤、児玉達が描く五族協和のモンゴル体制、つまり北進派である。
モンゴル体制と言うのはフビライが築き上げた大カアンによる世界支配構造である。モンゴルは当時、大元国といい、大元天聖大可汗(大カアン)から各地に派遣されたカーン(可汗)が地方自治を行なう緩やかな中央集権構造で、広大な中央アジアを支配したモンゴルが作り上げた世界平和体制(ワンワールド)のひとつの形である。憶測として、堀川は中国へ行き、世界紅卍会を組織し、大アジア共栄圏を作ろうとしたのではないか。
さて、堀川辰吉郎を応援するグループに京都勢力があったという。これは江戸へ行くことを拒んだ、もしくは行けなかった公家衆と、社寺、即ち、本願寺大谷派、大徳寺の臨済宗、さらに聖護院などだという。さらに、もうひとつ丹波大江山系霊媒衆がいた。彼等は全国を回り、情報を収集する禁裏に雇われる情報部族と考えられる。その中に大本を起こす出口家、そして石工部族である穴太衆の上田家が含まれていた。
偶然と言うのはめったにあるものではない。突然神が憑いた出口なおへ上田家から王仁三郎が養子に入る。そして中国で組織された世界紅卍会がたまたま神示をうけ、日本へやってきて大本教と連帯する。そして満州で理想の国家を築き上げようとした。これは偶然ではないとみるべきだ。出口も、上田家も、もともと大江山霊媒衆であり、明治天皇のご落胤である堀川辰吉郎が彼等に指令し、昭和天皇にモンゴル流ワン・ワールドを勧めた。しかし、薩摩ワンワールドに取り込まれていた昭和天皇にとって彼等の動きは迷惑であった。だから大本教は弾圧されたのだろう。それとも昭和天皇にとっては自分の立場すら危うく感じたのかもしれない。
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