2010年01月19日

金貸し主権の法制度1~国家VS教会の対立が秩序不安定化の原点

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2010年01月05日の記事「近代市場は近世欧州社会の特殊事情の中から生まれた」には、次のようにある。
「200年以上に亘る十字軍遠征により、富の大半を領有する貴族や騎士の大半が交易に関わり、商人(投機)貴族化した。その商業(私益収束)の拠点として、ベネチアetc.商業国家で金貸しに都合の良い法制・芸術・思想が生み出された」。これによって欧州では持続的な市場拡大が実現し、自我・私権収束のパラダイムが確立した。
これが、市場の力>国家の力に転換させた力の正体である。
とすれば、現在の法制度全体が金貸しに都合良く作られたものではないか、という疑いが出てくる。

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現在では絶対であるかのように思われている憲法も、近代の産物であり、たかだか300年程度の歴史しかもたない。そもそも憲法や三権分立をはじめとした近代法の精神は、民主主義(国民主権)であるが、本当の意味での民主主義は実現された例がない。民主主義を口にするのなら、日々の生産の場=企業を、真っ先に皆のもの=合議体に変革するのが本当ではないのか。誰もが日々エネルギーの大半を費やしている生産の場を権力統合体のままにしておいて、遥かに遠い国会に何年かに一回投票するだけの西洋式の民主主義など、全くの偽物である。
『実現論 序文』「徹底した現実直視と事実の共認」
だとすると、民主主義(国民主権)という近代法の精神も、金貸しが国家を都合良く改造するためのものだったのではないか? 現在の検察の暴走もその延長上にあるのではないか?
本ブログでも「司法をどう改造する?」というテーマを追求しているグループがあり、そこでは現代的な問題を中心に扱っている。それと並行して、憲法・三権分立をはじめとする近代法が、どのように(金貸しに都合よく)作られて来たのか。歴史的に追求してゆきたい。それと現代的な問題を重ね合わせることで、「司法をどう改造する?」という答えが出せるはずである。
『民主主義とは何なのか』(長谷川三千子著 文春新書)第三章「抑制なき力の原理-国民主権」に、次のような記述がある。

民主主義は「不和と敵対のイデオロギー」である。
現代では、18世紀後半にあった典型的な「革命」は見かけなくなったが、薄められた形で、この「不和と敵対のイデオロギー」は民主主義の社会を支配し続けている。例えば、先進国におけるフェミニスト運動やその他さまざまの「反体制運動」という形を取ることもある。そこには同じ「不和と敵対のイデオロギー」~一つの共同体の内側に、常に上下の対立を見出し、上に立つものを倒さねばならないとするイデオロギー~が存在し続けている。
近代民主主義においては、「不和と敵対のイデオロギー」は、「国民主権」という原理として表明されており、そして「国民主権」は「人権」という概念によって根拠づけられている。

国家間や国家内部、あるいは社会的に対立を作り出して秩序を不安定化させ、そのスキに付け込むというのが金貸し支配の常套手段の一つである。
2007年12月10日の記事「ウォール街金融資本が作り出す歴史構造 アントニー サットン ~左翼右翼の対立、戦争etc~」
『るいネット』「市場拡大に必要なもの」
民主主義・国民主権も、対立を作り出し秩序を不安定にするためのイデオロギーだったのではないか?
だとしたら、驚くべき疑問が浮かび上がってくる。
本来、法制度は社会を秩序化するためにあるはずだ。が、近代の民主主義や国民主権とそれに基づく法制度は、秩序の不安定化という、全く逆のベクトルを内在させているのではないか?
但し、近代の民主主義以前にも、中世~近世のヨーロッパでは国家・王権と拮抗・対立する権力が存在した。国家(武装権力)を凌ぐ共認権力を確立したキリスト教会である。
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『キリスト教封印の世界史~西洋文明のダークサイド』(ヘレン・エラーブ著 徳間書店刊)からの引用。

教会自身は当時利益を上げていた数少ない組織の一つだった。だから男たちにとって教会は金になりそうな就職口だった。教会のヒエラルキーで出世するのに欠かせないのが金と力だった。それが中世の教会の諸悪の根源だったのだ。教皇の椅子を金で買った者が少なくとも40人はいたという。教皇の座をめぐる殺人などの犯罪も後を絶たず、次から次へと新しい教皇が誕生した。100年間で40人以上が教皇になっていた。891年から903年までの12年間だけで、なんと10人もの教皇が誕生していたのだ。
教会は暗黒時代に巨万の富を築いた。代々受け継がれる教会の所有地は西欧の1/4から1/3を占め、無税で軍役を課されることもなかった。こうした土地のほかに、司教が封建領地をもっていることも多く、軍役を課せられたときは伯爵や男爵に義務を押しつけた。教会の収入源としては、各国の王からの税収入、裁判で没収した財産、「免罪符」の販売、「聖職売買」などがあり、ときにはたんに暴力で土地を奪うこともあった。

以上は、11世紀末から始まる十字軍遠征より以前の話である。
以下が、十字軍遠征と重なる11世紀~13世紀の話である。

(教会は)独自の法体系を確立し、至上の権威を声高らかに訴えたのだ。教皇は、行政・諮問機関である教皇庁の規模を拡大し、司教に対する監督権を強め、公会議の召集を再開し、重大局面では教皇特使を派遣した。特使は司教や大司教にまさる権限をもつ官吏だった。
教会が法典をつくり、信頼のおけるものにしようと必死になったのは、王権にまさる教皇権を確立するためだった。教会は「至上権」を訴え、教皇は聖俗の全権を合わせもつキリストの代理者であると謳った。教皇は王国の領土内で秘蹟を行うことを禁じたり、王を破門し退位させる権限をもった。
古代の手紙がどこからともなく「発見」され、教皇権が王権にまさる証拠として教会法に組み込まれた。「コンスタンティヌスの寄贈」はそうした手紙の一例だ。それはコンスタンティヌス帝から教皇シルヴェステル宛てに送られた手紙で、皇帝が教皇の権力に屈していることを示しているという。それにはこう書かれていた。「万能の教皇シルヴェステルに・・・ローマの都およびイタリアと西域のすべての領地を・・・進呈する」。16世紀には、これらの手紙がまったくの偽者であることが明らかになった。
教皇はしだいに政治紛争や侵略問題に首を突っ込むようになった。教皇ボニファティウス8世は、オーストリアのハプスブルク家のアルブレヒトにこんな手紙を送った。「西方の王が支配するフランス国を我が至上権によって貴下に寄贈する」。12世紀の教皇ハドリアヌス4世は、イギリス国王ヘンリー2世にアイルランド侵略を許可する手紙を書いた。
<ご承知のとおり、まぎれもなくアイルランド諸島はキリスト教に改宗し、ローマ教会の支配下にあります。アイルランドに進軍し、はびこる悪を追放し、人々を法に従わせ、各家庭から税金を徴収することをお望みなら、喜んであなたにお任せしましょう。>
歴史家のフィリップ・シャフによれば、中世の教皇はこんなことをしたという。
<王子を退位させる。王に対する臣民の忠誠心を失わせる。神聖ローマフリードリッヒ2世への反乱をけしかける。南フランスに非難の目を向けさせる。王位を剥奪する。教会法の最も厳しい刑に処すと脅して献金させる。異端者を終身禁固刑に処す。あるいは、死刑になることを承知で異端者を世俗の官憲に引き渡す。十字軍を派遣して聖戦を仕掛ける。世俗の裁判権を侵害し、マグナカルタ(大憲章)の例に見るように、国家の法典を無効にする---これらは教皇が実際に行使した特権である。>

金貸しにとって、絶対権力たる教会は絶好の買収対象となったことが伺える。
そして、金貸しに買収された教会VS国家・王権の対立こそ、金貸しが対立構造を作り出し秩序を不安定化させ、そのスキに付け込んで支配する原点ではないだろうか。
ちなみに、ローマ帝国崩壊以降、ヨーロッパに大帝国ができず、小国家群に分裂したままだったのも、国家間の対立で生じるスキに付け込む金貸しの戦略だったのではないだろうか。
いつも応援ありがとうございます。
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2010-01-19 | Posted in 08.近現代史と金貸し1 Comment » 

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コメント1件

 norway hermes | 2014.02.01 20:06

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