2012年06月12日

江戸時代の思想19 開国以前に登場した富国強兵・脱亜入欧論

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(画像はこちらからお借りしました。) 
18世紀中頃以降、『蘭学』が西洋から入ってきた辺りから、徐々に西洋からの外圧を意識し始める人物が現れ始めます。また、当時は飢饉が多発している時期でもあり、幕藩体制への危機感も高まっている状況でした。
こういった状況での農民の窮乏から『富国強兵論』が生み出され、『軍事的経世論』『商業的経世論』が登場する。こうして、他国への侵略が始まっていく流れを今日はまとめていきます。

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■経世家と幕藩体制の動揺
『概説 日本思想史』(編集委員代表佐藤弘夫 ミネルヴァ書房刊)より要約します。
享保の改革(1716~45)以後の商品経済の発展に伴い,近世的自然経済の原則が動揺した結果、幕府・諸藩の財政難や一般武士・農民の凶窮が深まり、その一方で都市を中心に商人が躍進するに至ったことで、幕藩体制における政治的・社会的制度疲労はいっそう顕在化していった。このようななかから,経世済民を論ずる在野の知識人(経世家)が現れたのである。
経世済民論(経世論)とは、早くは太宰春台(1680~1747)が「凡天下国家を治るを経済と云う。世を経して民を済ふと云義也」(『経済録』1729序)と定義しているように、政治・経済・社会のありようを論じ、ときにその英践を主張する論説である。このような経世論の展開は軍事・商菜・農業の三つの分野に大別される。

①軍事的経世論
『概説 日本思想史』(編集委員代表佐藤弘夫 ミネルヴァ書房刊)より要約します。
18世紀中葉以降,ロシアの東方経営の情報は、日本にもしだいに伝わり、蝦夷地を中心とした北方に対する関心が高まった。仙台の林子平(1738~93)は,そのような現状を軍事面で説いた経世家であった。
彼は,日本を取り巻く蝦夷・琉球・朝鮮の三国と小笠原諸島を国防的観点から地理・風俗について解説した『三国通覧図説』(1786)を著した。とくに,『海国兵談』(1787~91)では、「細かに思へば江戸の日本橋より唐、阿蘭陀迄境なしの水路也」と指摘し,日本全体を「海国」ととらえた統一的な海防に関する世論の喚起に努めた。
子平の軍事的経世論は、あくまで国防の次元にとどまっていた。しかし、やがて「全世界悉く郡県と為すべく、万国の君臣皆臣僕と為すべし」(『混同秘策』1823)と主張する佐藤信淵(1769~1850)のように、国学などに由来する自民族中心主義(エスノセントリズム)を軍事的経世論に結びつけた経世家が現れるようになり、これが幕末における海防論・攘夷論へと展開していったのである。

②商業的経世論
『概説 日本思想史』(編集委員代表佐藤弘夫 ミネルヴァ書房刊)より要約します。
このような軍事的経世論と同時に、蘭学などの新しい知識から影響を受け、交易による富の蓄積を主張する人も現れた。工藤平助(1734~1800)は、林子平と同じ仙台藩の藩医であり、『赤蝦夷風説考』(1783成稿、赤蝦夷とはロシアのこと)を著して、ロシアの南下を警告し、開港交易と蝦夷地経営を説いた。
彼の主張は、当時の政権担当者であった田沼意次(1719~88)に影響を与え,北方探検隊の派遣や蝦夷地の開発計画などがなされたが、田沼の失脚により頓挫してしまった。
この工藤平助と同様に北方への関心から蝦夷・カラフトの開発を唱えた人物に、算学者の本多利明(1743~1820)がいる。彼は、算学的思考に基づく人口増大論の立場から,植民開発や万国交易論を主張するなど重商主義の先駆者であった。彼の主張は、その弟子で幕府の北方探検に参加した最上徳内(1754~1836)に承け継がれ、その後の蝦夷地開発の緒をつけることとなる。
これらの経世論家の特徴は、国家の理想像をそれまでの中国からヨーロッパ列強へ置き換え、またそれまで藩を意味していた「国家」ということばを、「日本」という全体に読み替えて、統一的な施策を主張する、その視野の広さにあった。その一方、活動の基盤を藩に置き、現実的な経済政策を説く海保青陵(1755~1817)のような経世家もいた。
彼は封建社会における諸矛盾を、商業社会の発展によって解消すべきことを説いた。商業利益の肯定論や藩よる専売制などの経済政策を展開した。彼の主張は藩単位の重商主義であり、それは近世社会が、農本的な「米遣い」の経済から大きく転換していたことを背景にするものであった。

18世紀に富国強兵を論じた、海保青陵・本多利明・佐藤信淵の思想の中身をみてゆく。

『江戸の思想史』(田尻祐一郎著 中公新書刊)より要約します。
「経世済民」の実学も、儒教的なエトスによるものから、〈日本の後れ〉を克服するという危機意識に立つことで、西洋をモデルとして大胆に制度や価値観の転換を主張するものへと変化し、それはまた幕末に近づくほど軍事技術の導入という契機を強めていく。
農本主義的なモデルは放棄されて、市場主義の発想が押し出されてくる。これによって、それまでの学問や思想が身に帯びていた倫理的な使命感は拭い去られ、国家利益の公然たる追求を価値とする思考法が打ち立てられた。
国益の追求は自己目的であって、あらゆる制度や学問には、そのための手段として有用であることが求められる。政治体制や武士の存在にも、国益の観点から容赦ない批判が加えられる。

①海保青陵―売買は天理
『江戸の思想史』(田尻祐一郎著 中公新書刊)より要約します。
青陵は、徂徠の唱える礼楽制度論が、もはや現実に対して見極めることから思索を始めた。でほ「今の世」を動かしているものは何なのか。青陵によれば、それは「経済」である。 
「経済」は「経世済民」の略語として、社会を公平に運営して民衆を生活の苦難から救済するという、エリートを担い手とした倫理的な性格を帯びていた(それ以前の用例もあるが、この語が)般化したのは太宰春台の『経済録』からであろうか)。
しかし青陵の言う「経済」は、商売という意味に近い。「阿蘭陀は国王が商いをする」と説いて、「物を売て物を買は、世界の理也」(『稽古談』)とする。大名や武士は、自分の生活が米(年貢米)の売り買いによって成り立っているにもかかわらず、売り買いを下等な行為のように思って軽蔑している。しかし、そのように軽蔑している商人から、借金をしていない大名はいくらもいない。
売り買いの連鎖こそ、「今の世」を動かしている力だと見る青陵は、「売買は天理也」と喝破し、武家社会の君臣関係も、一種の売り買いではないかと主張する。君臣関係でさえ本質は「うりかい」なので、そこから目を逸らすなというのである。
さて、青陵は「後の儒者は〔中略〕富国の事を嫌う、富国は悪敷事也という也」(養蘆談))として、儒者には「富国」(国を富ませる)という発想がないと批判する(青陵の前には、春台が『経済録』で「富国」を論じだしたに過ぎず、蕃山や狙裸に「富国」の視点は見えない)。
これは、青陵に、農村からの発想がないことと関わっている。倫理的な色彩を帯びた農本主義に、青陵は何の関心ももたない。

②本多利明 -カムチャッカ国家建設
『江戸の思想史』(田尻祐一郎著 中公新書刊)より要約します。
浅間山の噴火などもーつのきっかけとなって、東北地方一帯で厳しい天明の飢饉が起こり、江戸で塾を開いた市井の学者であった本田利明の思想の原点は、奥州への旅によってこの飢饉を実際に見たことにあった。
しかし利明は、農本主義では農村も立ち直れないと考える。農業をはじめとする産業のために、国君が発揮すべき指導性はどこにあるのかという発想が使先されるべきで、国内産業を支える大きな枠組みを「渡海・運送・交易」の発展に見出しているのである。
利明の見るところ、西洋(「西域」)の制度がそうである。国家を興隆に導く国君を「大家傑」と呼んでいる。利明のイメージの中には、ロシアのエカテリナ二世があったらしい。国家を興す学問の根本は「算数」だという把握も、儒教を基盤としたそれまでの経世済民の学との違いを如実に語っている。
利明の目は、カムチャッカ半島を中心とした北方に向けられる。放置しておけは、みすみすロシアに占有されてしまうが、日本が積極的に「開業」させれば、まだ日本に帰する可能性があるとする。そして、カムチャッカに理想の国家建設の夢を託すのである。
          
蝦夷地の開拓を説く議論は、工藤平助、仙台藩士や林子を先駆とするが、利明はさらに視野を広げて、カムチャッカに「大日本」を名乗らせ、有能な官僚たちを身分を問わずに登用して「郡県」、つまり集権的な国家を作るというのであり、そのモデルはオランダだという。
その一方で利明は、武国としての日本の伝統を讃美してやまない。秀告がもう少し長寿であったら、「支那までも日本の属国となるべき勢い」(『経世秘策』)であったのにと述べる利明は、ここには、強い国家こそ国家だという思考が隠すことなく表明されている。

③佐藤信淵-中国・朝鮮の支配構想
『江戸の思想史』(田尻祐一郎著 中公新書刊)より要約します。
佐藤信淵は関東・東北・蝦夷地を巡見して、天明の飢饉の惨状を詳しく巡見したという。
そして、日本が「大地の最初に成れる国」として「世界万国の板木」であるから、「全世界悉く」を「郡県」となし、「万国の君長」を「臣僕」として従えて、万国の頂点に立つべき使命をもっていると力説する(『混同秘策』)。構想は、さらに具体的に膨らんでいく。
                                      
ここには、満洲を奪い、それを足がかりとして中国の衰弱をさそって、最終的には中国・朝鮮の全土を手に入れようとする構想が明け透けに語られている。しかも信淵は、軍事的手段を使って、相手を殺戮してでも目的を果たすべきことを主張する。
信淵は、このような強権的な国家を作るために、国内の政治体制を中央集権的な専制体制(郡県制度。利明のカムチャッカの理想国家も郡県だった)にしなければならないと考えた。それは、神祀台・教化台・太政台の三台を置いて、その下に本事府(農業)・開物府(鉱業と林業)。製造府(工業)・融通府(商業)・陸軍府。水軍府の六府を置き、人々を「草・樹・鉱・匠・更・傭・舟・漁」の八つの職業に区分させてその管轄に配当するという整然たるものである(『垂統秘録』)。

 

④富国・強国・脱亜への志向
『江戸の思想史』(田尻祐一郎著 中公新書刊)より要約します。
青陵と利明の二人はほぼ同時代を生き、信淵は次の世代である。今の飾り物(まるで「破魔弓」だと青陵は譬える)のような武士では、かりに「乱世」になっても、何の役にも立たないとも言う(稽古談))。利明は、「阿蘭陀有用の実学」「実測の実学」に心酔して、儒教をはじめとする伝統的な学問へは関心を向けない。信淵は篤胤の門人として、天文学を核とした蘭学の知識を融通無碍に組み込んで、国学の世界観を膨らませていった。
この三人を並べる時、営利の追求をよしとしない倫理的な農本主義の発想から切れて、「国益」(この語を儒教の古典に見ることはできない)の追求という太い線があることに気付くし、そして利明から信淵へと進めば、「国益」と一体の関係でもって「武国」「強国」への傾斜が加速する。
青陵は、もはや国君の徳望や教化などには何も期待しない。青陵は、中国を「支那」と呼び、「天竺のかたすみ」の「貧」で「淫」の国としてイメージした(『善中談』)。利明や信淵も、中国を「支那」と呼んでいる。蘭学者は、西洋の発音(China)を受けて「支那」の語を好んだが、そこにほ、中国(漢民族)を文明の中心(淵源)とする感覚が完全に振り落とされているばかりか、文弱の国、異民族に侵されるままに誇りを失った民族という負のイメージが付きまとっている。
蘭学者の中からは、オランダを通じて西洋の文明を積極的に吸収している日本こそが、停滞しているアジアをリードすべき使命をもつ国だと考える者も現れる。
例えば玄白は、「カムシカツトカより南」を虎視眈々と窺っている、人間でいえば「血気壮の最中」とでも言うべきロシアに対して強い懲戒感をもち、空にも日本がロシアと戦うことになれば、「老廃」の日本の武士では勝負にならず、「東国大名、年々の戦に軍役労れ果、内証(表の財政)尽果る時は〔中略〕恐らくは内乱生ずべし」(野捜独語)とまで危惧した。そして玄白は、武士を都市の享楽的な生活から引き離して農村に土着させて、武士を鍛え直すことを緊急の課題だとした。その玄白は、「支那」を異民族支配に甘んじて恥ない「俗の弱なる」ものと評価し、「支那もまた東海一隅の小国なり」(『狂医之言』)と言う。西洋の科学を知った者の視野の広さが、足元のアジアへの見方を微妙に歪めていくのである。
青陵や利明から信淵、ある種の蘭学者たち、これらに共通するのは、停滞のうちに沈むアジアから離陸・脱却しなければ日本はどうにもならないという危機感であり、国家利益の追求を至上価値とする即物的な合理主義の台頭であり、その立場からの武士支配への不満の高まりである。

明治時代になって日本は富国強兵・脱亜入欧論に傾斜してゆく。
福沢諭吉の『脱亜(入欧)論』は次のような趣旨である。

西洋諸国の急速なアジア侵略の中で、西洋文明を取り入れて近代化しない限り国家の独立は維持できない。中国と朝鮮は儒教主義から抜け出ることができず、道徳は地に落ち、政治的にも古い専制体制から抜け出ていない。従って、両国は数年で西洋諸国に分割され、亡国と化すことは明らかである。日本は両国の近代化を待ってアジアを興す余裕はない。近代化を成し得ない中国・朝鮮を見捨て(脱亜)、西洋諸国の仲間入りし(入欧)、アジアの悪友(中国・朝鮮)に対しては、西洋流のやり方で接する他ないというものである。

しかし、富国強兵論・脱亜入欧論は明治になって登場したものではなく、江戸時代後期、18世紀の後半には、既に登場していた。
これは明治時代の富国強兵・脱亜入欧思想より100年近く先行しているが、それは何故なのか? どのような意識だったのだろうか?(続く)

List    投稿者 yoshi23 | 2012-06-12 | Posted in 04.日本の政治構造9 Comments » 

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コメント9件

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