2019年11月21日

「統合」なき「分化」は諸問題の根本解決には至らない~東洋医学と江戸時代の統治機構に学ぶ~

西洋と東洋では、自然観、人間観、社会観等が大きく異なると言われます。
一言で言えば「統合」と「分化」の違い。

例えば東洋医学は、人体を精神まで含めた全体で把握し治療する、「統合」の思考、西洋医学は、人体の部位や臓器を細分化し個別に追求して原因を突き止める、「分化」の思考です。
明治以降の日本は西洋医学が主流となっていますが、高度に専門分化した西洋医学は逆に相互の関連を見失い、本来の「治療」とかけ離れた「学術」になり果てています。そして現在、東洋医学、「漢方」や「鍼灸」あるいは「気脈を整える」といった治療方法に注目が集まっています。
この東洋的、日本的なるものへの回帰は、「統合」なき「分化」が諸問題の根本解決には至らない事に皆が気付き始めたことの一つの証左です。

この違いは、日本と西洋の政治形態、社会統合様式にも表れています。

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西洋の近代文明は、政治も軍事も経済も、徹底的に細分化し専門追求する事で発展してきました。三権分立や議院内閣制もその一つです。
近代観念の勃興以降は、こうした専門分化されていない統治機構は「遅れている」とされました。

一方日本では、明治時代まで政治・軍事・経済は一体であり、且つ極めて簡潔な構造をしていました。
江戸幕府の「老中」や「奉行」といった官僚機構も、各機関の相互の補完関係によって成り立っていたし、なによりセクションの数自体が少なく、専門性よりも統合力が求められました。
そもそも最高権力者である「征夷大将軍」自体が、政治と軍事が一体となった存在でした。  

「政治」、「公安」、「司法」が混然一体となっていた事は、多少の脚色があるとはいえ「大岡越前」や「遠山の金さん」等を見るとイメージがつきます。
行政機関である町奉行所が捜査・捕縛し、奉行所で裁いて一件落着。市役所と警察署と裁判所が一緒になったようなものですが、都市行政全般が統合されており、市政の安定の上では非常に機能的なでした。

しかし明治になり、近代国家の必須条件は高度に専門化された省庁制や官僚制にあると見た明治政府は、これに倣った行政機構を構築します。
それでも明治期はまだ、江戸期の教育を受け統合的統治の視点を持った政治家や元老が睨みを効かせていた分、政府も十全に機能しました。
しかし彼らが皆鬼籍に入った昭和に入ると、統合的視点のない、狭窄視野で自己本位な官僚や軍人達の手で国家は大混乱と未曽有の悲劇に見舞われます。
戦後、GHQは省庁をさらに解体・細分化し、さらなる日本の弱体化を狙います。
そして「復興と豊かさ追求」という大きな目標を失った現在、政府や官僚が根本的な答えを出せないのは、近代日本の歴史の必然と言えます。  

現代、行き過ぎた専門分化は個人主義と無関心の温床となり、激変期にあっては全く機能しない、統合的な思考なしには答えが出せない事に皆気づいています。
これは教育現場でも企業組織でもいえる事ですが、もっとも顕著に表れているのが行政機構です。
しかし歴史認識に学べば、日本では統合的な教育や政治、共同体経営が行われていた時代があったことも事実なのです。
現代は、答えが出せない近代観念を捨て、こうした歴史的事実を紐解き、謙虚に学び、そして新たな可能性の追求が求められています。

List    投稿者 nihon | 2019-11-21 | Posted in 04.日本の政治構造No Comments » 

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