中曽根康弘元首相の葬儀
日本におけるディープステート殲滅作戦が、2020年8月14日から、実施されていました。地下基地の攻略戦が難航する中、地上のディープステートの掃討作戦は一足早く終了していたようです。
その終了の合図となったのが、2020年10月17日に行われた、中曽根康弘元首相の葬儀です。
その一週間ほど前に、内閣府から、中曽根元首相の葬儀を行うという布告が出た時、私は、あれっ、と思いました。中曽根首相って、すでに何年か前に死んでたんじゃなかったっけ、という意味です。
中曽根元首相3度目の葬儀
というわけで、さっそくネットで調べていましたが、やっぱり私の記憶は間違ってはいませんでした。
中曽根首相の訃報については、まず、2016年9月2日のものが見つかりました。
リンクを張ろうと思ったのですが、現在2020年12月時点で、10月にたくさんあったほとんどのリンクが消去されています。
とりあえず本文のコピーを引用しておきます。これは2016年9月2日のライブドアnews です。
元政治家で第73代内閣総理大臣を務めた中曽根康弘氏が今日未明、群馬大学医学部付属病院で亡くなったことがわかった。98歳だった。
中曽根氏は東大卒後、旧内務省に入省。後に国会議員となり、運輸大臣、防衛庁長官、通産大臣等を歴任、82年には内閣総理大臣に任命され、87年まで務めた。
03年に政界引退後も度々メディアに登場し持論を展開、90代半ばを過ぎても雑誌や新聞に長文を寄稿するなど健在ぶりを示していたが、
先月中頃から体調を崩し、地元の群馬大学医学部付属病院に入院していた。通夜、葬儀の日取りは未定だが、喪主は息子で参院議員の中曽根弘文氏(70)が務めるという。
つまり、中曽根氏は2016年に98歳で死去しており、その時一度葬儀が行われています。
次は2019年11月29日の朝日新聞の記事です。こちらはリンクを張っておきます。
これによると、中曽根氏は、2019年11月29日の早朝、2度目の死を迎え、その数日後に、2度目の葬儀が行われています。
そして2020年に出された、内閣府の告示です。
これによると、2020年3月15日に行われるはずだった中曽根氏の葬儀が延期されていて、それを改めて10月17日に行う、ということのようです。
あれ、確か11月の死の直後に葬儀やってなかったっけ?と思いましたが・・・。
というわけで、中曽根康弘元首相は、2回死亡し、その葬儀は3回にわたって行われたというわけです。
葬儀の不自然さ
この葬儀は、葬儀自体も、その前振りも、不自然なことこの上ありませんでした。葬儀が実施される前から、通常では絶対あり得ない事態が頻発します。
1.国民への葬儀参加の布告
葬儀の2~3日前、内閣府が各政府機関に中曽根氏葬儀当日の黙祷と国旗の掲揚を通達します。
さらには文部科学省が、国立大学をはじめとする国公立学校に対して、中曽根氏の葬儀に対し、弔意の表明を行う通達を出しました。
これはさっそく問題となり野党が一斉にかみつきましたが・・・。
それもそのはず、以前にも福田赳夫、小渕恵三、橋本龍太郎などの元首相の国葬が行われましたが、こんな通達は出されていません。
唯一、弔意表明の通達が出されたのは、昭和天皇の葬儀の時です。
2.儀仗兵の参列
葬儀は10月17日午後2時から、高輪のホテルグランドパレス新高輪で行われました。
この写真の奥にあるホテルです。ホテルの前にずらりと人が並んでいますね。
これは自衛隊の儀仗兵(陸上自衛隊の第302保安警務中隊)です。儀仗兵というのはウィキペディアによると、
(前略)戦後は自衛隊がその役割を引き継ぎ、栄誉礼や天皇などの葬礼を行う際の礼式を儀仗と称し、それを行う部隊を儀仗隊と呼称する。
つまり、「天皇の葬礼」を行う部隊です。元首相の葬儀に儀仗兵が出ることは通常あり得ません。出たのは一番最近で、昭和天皇の葬儀ですね。
しかも政府は、この直前に、防衛省令を改正し、わざわざこの葬儀だけに限って、儀仗兵を使える法律を作ってまで、儀仗兵を参列させています。
3.秋篠宮殿下の参列、皇室行事の中止
さらに私が驚いたのは、この葬儀に秋篠宮殿下が参列したことです。
一週間ほど前の10月8日、秋篠宮殿下の立皇嗣の礼が11月8日に行われることが決まり、殿下はそれを心待ちにしていたはずです。
立皇嗣の礼はそもそも4月19日に行われるはずだったのが、コロナ騒動で延期され、殿下は早期の開催を強く要求していました。
しかし急転直下、この式典は中止となり、翌週中曽根康弘氏の葬儀が行われました。秋篠宮殿下は、文句ひとつ言わず、これを受け入れ、葬儀に参列しています。
普通に考えれば、元首相とはいえ民間人の葬儀をやって、立皇嗣の礼が中止というのは変です。
しかも葬儀が行われた10月17日は、宮中では、その年に収穫された初穂を天照大神に捧げて感謝する神嘗祭(かんなめさい)の日であり、靖国神社では、秋の例大祭の初日に当たる日です。
本来ならば天皇陛下は神嘗祭を取り仕切るはずであり、これが中止されて、民間人の葬儀が行われ、これに皇族が参列する、なんて通常ではありえない話です。
4.勲章の並べ方
決定的だったのは、勲章の並べ方です。
国葬においては、葬儀対象者が受賞した勲章が遺影の下に並べられます。そもそも勲章をもらっていなければ、国葬の対象になりません。
最初に掲載した葬儀の写真で、中曽根元総理の遺影の下を見てください。
勲章が並んでいます。まずはこの勲章の数に驚きますね。確かに中曽根元総理は大勲位を受賞していますが、これはいくらなんでも多すぎます。
しかも、パネルが3つに分かれていますね。通常は遺影の下に一直線に勲章が並べられるだけなのに、なんでこんな表示の仕方にしたのでしょうか。
いろいろ考えて、勲章の種類を調べていくうちに・・・すべての謎が解けました。
いったい誰の葬儀だったのか
まずこの3つのパネルですが、これはこの葬儀が、実は3人(4人?)の人物の合同葬儀であることを意味します。
左右のパネルの勲章は特に多い。民間人ではこんな数の勲章をもらうことはできません。もらえるのは・・・皇族だけです。
皇族は外交儀礼のために、自国の最高位の勲章と、外交を樹立した国の最高位の勲章を無条件で授章しあいます。
たとえばイギリスのエリザベス女王が来日したときは、エリザベス女王が日本の勲章を、天皇陛下がイギリスの勲章を身に着け、たがいに敬意を示すわけです。
首飾り型の勲章は、大勲位菊花大綬章で、これは原則として、一人につき一個しか送られません。
右のパネルの勲章を拡大してみてみましょう。
首飾り型の菊花大綬章をはじめ、勲章の形と数が大体一致していますね。
次に左のパネルを見てみましょう。右から2つ目は男性用、一番右は女性用で、一昔前のデザインの菊花大綬章です。
2人の写真の勲章の合計で、色も形もぴったりですね。
3人目は誰?
では中央のパネルの勲章の対象者は誰でしょうか。
2つあるようですが、これはセットで一つです。右が大勲位菊花大綬章そのもの、左は菊花大綬章頸飾で、大勲位を受賞すると2つセットでもらえます。
この勲章の数は、対象者が皇族ではなく、民間人であることを示しています。
真ん中の書状には、中曽根康弘に2019年12月27日に授与されたと書いてあります。
しかし、中曽根氏は以前にすでに一度、大勲位を受賞しています。
引用記事がスポーツ新聞で恐縮ですが、11月以降、中曽根氏の以前の大勲位授章のネット上の記事がすべて削除され、これしか残っていませんでした。
大勲位菊花大綬章は、民間人の場合は通常死後に授与されます。吉田茂元首相や佐藤栄作元首相が死後に授章しています。
しかし中曽根康弘氏は例外的に生前に授与され、「大勲位殿」と呼ばれていたのです。
では2019年の受賞は、なんだったのでしょうか。大勲位菊花大綬章は原則として一人につき一回だけです。
中曽根氏は例外的に2回受賞したのでしょうか。それよりも、2019年は他の人物に対して贈られたものを、カモフラージュしたのではないでしょうか。そこで、私は9月に起きたある事件を思い出しました。
https://www.youtube.com/watch?v=GWItrnjwhX0
2020年9月13日、TBS系の「ひるおび」に出演した、桜田元運輸大臣が、安倍元総理のことを聞かれたときに、
「あの方、突然亡くなられ・・・あっ、お辞めになられたんで・・・」
と口走ってしまいました。桜田元大臣は口が軽いので有名で、これまでも数々の失言を行い、真実をばらしてしまっています。
彼は「安倍首相は死んだ」ということをすでに知っていて、思わず口走ってしまわれたのでしょう。
これですべてはつながりました。2019年に贈られた大勲位菊花大綬章は安倍晋三首相に送られたものです。
中曽根元首相の葬儀における中央パネルの勲章は、安倍晋三元首相のものだったわけです。
中曽根元首相葬儀の真実
というわけで、2020年10月17日に行われた国葬は、中曽根元首相の葬儀の名のもとに、上皇夫妻、今上天皇(すでに亡くなられているので令和天皇と呼ぶべきでしょうか)、および、安倍晋三元首相の合同葬儀が行われたのです。
つまりこの4人は、ディープステートの幹部として、すでに逮捕され、処刑済みであり、日本政府はそのことを知ってはいるが、公にできないために、元総理の国葬というカモフラージュをかけて、葬儀を行ったということです。
こういうことであるならば、天皇陛下の国葬なのですから、葬儀参加の布告や、儀仗兵の参列は当然であり、宮中行事よりも優先され、皇族も参列するのが当然です。
この10月17日に行われた、上皇夫妻および天皇陛下、安倍元総理の国葬をもって、日本のディープステートの幹部たちの殲滅は、終了したとみてよいと思います。