次代の社会統合の場を考える6~市場の拡大限界は国家の統合限界でもある~
前回、「市場は社会を統合する機能を持たない」という事実を紹介しました。それは、国家が集団にかかる圧力に対して集団(闘争)適応の原理で存在しているのに対して、市場は、そもそも集団にかかる圧力からの抜け道として存在しており、最先端機能ではない。そのため、市場は全体を収束⇒統合することができないからです。(詳しくは前回投稿を参照ください)
一方で、社会が混迷を極め、社会統合が期待される中、政府は市場拡大を推し進めている状況です。一体社会はどうなるのか?どうすればいいのか?
それを考える上でまず必要なのは、社会の状況を正確に認識することです。
そこで今回は、社会状況を鋭い切り口で分析している、るいネットの注目記事「超国家・超市場論12」を用いて
1.市場はそれ自体に拡大限界を孕んでいるという認識。
2.市場の終焉は、私権闘争の終焉を意味し、その結果、私権闘争の統合体としての国家が迷走しているのが現実である。
3.人類の命運をわけるカギとは?
の3本立てで市場拡大を進めた国家がどういう状況になったのか?、今後どうしていくべきなのか?を考えていきたいと思います。
その前にぽちっと応援宜しくお願いします。
1.市場はそれ自体に拡大限界を孕んでいるという認識。
「超国家・超市場論12」より引用
市場は、社会を統合することが出来ないという決定的な統合限界を刻印されているだけではない。市場は、自分自身の内に絶対的な拡大限界をも孕んでいる。
市場は、生存圧力(実体的には貧困の圧力)に基づく私権闘争を圧力源=活力源にしている。従って、市場活動によって物的な豊かさが実現すれば(=貧困の圧力が消滅すれば)、必然的に市場は活力源を失って衰弱(=縮小)してゆく。そして、むしろこの矛盾と限界こそ、市場の現実に差し迫った絶体絶命の限界である。
もし、国家(国債)による延命策がなければ、(バブル化もせず)市場はすんなり縮小過程に入った筈である。要するに、このまま市場を放置すれば市場は急速に縮小し、国家が延命策を施し続ければ国家が崩壊する。一体、どうすれば良いのか?
物的豊かさ(=私権の獲得)を目指してきた人類ですが、最も早く物的豊かさを実現したのは日本でした。実際、日本では‘70年以降市場は縮小過程に入っています。それは、’70年以降国債が増加の一途を辿っているのを見れば明らかです。
なぜ、豊かになったのに国債が発行されるのか?
それは、物的豊かさが実現されてから、人々の消費活動が減退し、モノが売れなくなってしまったので、景気を刺激するために、大規模の公共事業や、福祉を手厚くするなどの政策が採られましたが、その財源として国債が用いられたからです。つまり、国債は縮小する市場の延命策に過ぎないのです。では、物的豊かさを実現し、縮小する市場を援護し続けた現在の国家はどうなっていったのか?
(画像はこちらからお借りしました)
2.市場の終焉は、私権闘争の終焉を意味し、その結果、私権闘争の統合体としての国家が迷走しているのが現実である。
「超国家・超市場論12」より引用
もともと国家は、私権闘争を圧力源=活力源とする、力の序列原理に貫かれたその統合体として形成された。しかし、生涯固定の身分制度の下では、私権拡大の可能性は封鎖されて終う。そこで、私権闘争の抜け道としての市場が形成され、繁殖してきた。そして今、その抜け道としての市場さえ活力を失って終った。
これは、明らかに私権闘争の終焉を意味する。そして、私権闘争が終焉したということは、私権闘争の止揚・統合体である国家の命運も、遂に尽きようとしているということに他ならない。実際、バブル期以降の国家の迷走ぶりは、すでに誰の目にも明らかである。
そもそも私権闘争の止揚・統合体として国家は存在していたのですから、私権闘争が終焉すれば、国家の存在基盤が喪失することになります。その結果、国家はどうすればいいのかわからず、ただひたすらにこれまでと同様の市場拡大しか考えられずにいる。実際、エコポイントや、子供手当て、地域振興券などで経済刺激をするという一辺倒な策しか講ぜられずにいますが、私たちの生活は全く変わりません。エコポイントについては、CO2削減を標榜しておきながら、消費活動(=CO2排出)を促すという政策であり、まさしく国家は迷走していると言えるでしょう。
では、この迷走した状態から脱却する為にはどうしたらよいのでしょうか?
(画像はこちらからお借りしました)
3.人類の命運をわけるカギとは?
「超国家・超市場論12」より引用
カギは、新たな活力源⇒圧力源の創出にある。貧困が消滅した’70年以降の30年間がそうであったように、今後更にそれを上回るスピードで私権の強制圧力が急速に衰弱してゆく以上、もはや人類は、生存圧力を背景とする私権闘争を圧力源=活力源として生きてゆくことは出来ない。
人類の命運は、次の新たな活力源⇒圧力源を自らの手で作り出せるか否かにかかっている。
私権闘争という圧力源=活力源を失った結果、国家が迷走している以上、私権闘争に変わる新たな圧力源=活力源を生み出せるかがカギとなってきます。逆に考えれば、新たな圧力源=活力源さえ生み出すことができれば、うまくいく!!
では、その圧力源=活力源とは何なのか?次回紹介します☆
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コメント4件
アイフォンの使い方 | 2013.09.18 7:17
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哲学はなぜ間違うのか? | 2012.05.18 20:57
現実の中に社会を作る
現実世界はこのようにはっきりとここにあるわけで、感じられるもののすべてはこの世界