2019年04月04日

「権力」と「権威」は何が違うのか~「権力」の上に「権威」を置くことで争いを抑止してきた日本~

皇室と闇勢力や金貸しとの関係が注目されています。今回の譲位も闇勢力の暗躍があったという推測もあります。
彼らは、「権力」ではなく「権威」を利用する事で、支配基盤をより盤石にしようとしています。

4月1日には新元号が発表されました。
お祭りムードの中、新元号の発表を譲位前に行った事に異を唱える人がいます。
曰く、改元は天皇の権限の元に行われるものであり、政府が仕切るのは、天皇の権威を踏みにじるものだ、という意見です。
そう言えば、皇室典範の改正や女系天皇容認に対する議論の時も、皇室の権威と伝統に対する冒涜である、と批判する声がありました。

一体、天皇の権威とは何なのか、そして「権威」「権力」はどう違うのでしょうか。

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まずブログから、西村慎吾さんの記事を紹介します。リンク

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「皇室典範」とは何か。
それは、明治二十二年二月十一日に定められた天皇家の家憲である。
しかもこの「皇室典範」は、大日本帝国憲法七十四条に定められているとおり帝国議会が改正することはできず、憲法と同等の効力をもつ家憲だ。
「皇室典範」は、帝国議会が決める「法律」ではないのである。
つまり、我が国の皇位継承などの皇室に関する制度は、権力の介入を排除して、皇室の自律のもとに万世一系継承されてきたものであり、この伝統を受けて、明治二十二年二月十一日に、現在の「皇室典範」ができあがっている。

我が国の歴史を振り返れば、藤原道長も平清盛も織田信長も、如何にときめく権力者であっても、皇位の継承にくちばしをいれることはできなかった。
この不文律が堅持された上で、皇室は存在し続けてきた。
それ故、天皇は「権力」とは次元を異にする「権威」であり続けた。つまり、「権威」とは「神聖にして侵すことのできない存在」である。天皇は、そういう存在として現在に至っている。

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以上、引用終わり

日本もまた世界の国々と同様に、政争や内乱を繰り返してきた歴史があります。
しかし日本人は、こうした闘争を続ける「権力」の上に、絶対不可侵の「権威」を置くことで争いを抑止し安定を得てきました。
「権威」である天皇は、時に争いを調停し、時に権力に公的なお墨付きを与えてきました。
天皇中心と思われがちな明治憲法でさえ、その意図は「権威」をもって新国家の統合を行う事であり、決して天皇をして「権力者」たらしめようとしたのでは無い事が分かります。

しかし「権威」を抑止力ではなく支配と正当化に使ったとき、様々な歪みが生じます。昭和の軍部の暴走然り、GHQの占領政策然りです

今日、皇室と闇勢力や金貸しとの関係が注目されています。今回の譲位も闇勢力の暗躍があったという推測も少なくありません。
その詳細は今後の追求によりますが、重要なのはこうした巨大勢力が、今や政治家や大企業といった「権力」を飛び越えて「権威」に照準を定めている、という点です。

権力の暴走は、ある意味わかりやすい。
しかし「権威」の濫用は分かりづらく、それゆえ水面下で浸透し洗脳するという、非常に危険である事、今日それが現実となりつつある事を私たちは認識しなければなりません。
(by:yamakow)

List    投稿者 nihon | 2019-04-04 | Posted in 05.染脳国家日本No Comments » 

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