民主主義を錦の御旗に軽減税率をねだるマスコミ⇒民主主義は私権要求の方便である
「社説で軽減税率を主張する読売と毎日」
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「自由市場の幻想~国家が大衆から収奪した税金を注入することで生き永らえている金融機関と大企業」では、次のことを明らかにしました。
【1】国家が税金を注入することで生き永らえているのが金融機関や大企業であること。
その結果、国の借金はますます膨れ上がり、国家が金融機関や大企業救済に注入した分だけ、庶民の生活は貧しくなってゆくこと。
【2】これがこの20年間の市場の真相であり、現在の市場は、国家による資金注入という輸血装置によって生き延びている人工市場なのであって、決して自然な需要と供給に委ねられた自由市場なのではないこと。
【3】そして、消費税など大衆からの収奪法制を煽っているのが、民主派の急先鋒であるマスコミである。このことは、マスコミが大衆の敵であることの何よりの証明である。
今回は引き続き、マスコミの正体が如何なるものかを明らかにします。
いつも応援ありがとうございます。
『永田町異聞』「軽減税率をねだる読売社説の恥知らず」より転載します。
経営陣の魂胆が見え透いていたとはいえ、読売新聞の18日付社説を読んで、良識ある新聞人は、顔が赤らむ思いだったのではないだろうか。
消費税増税の必要性をあれだけはやし立てておきながら、自らのことになると下記のごとく「新聞は軽減税率にすべきだ」と主張してはばからない。新聞は民主主義と活字文化を支える重要な基盤だ。消費税率引き上げでは、新聞に対する税率を低く抑える軽減税率を導入すべきである。(中略)
新聞は、全国で誰もが安く手に入れて活用できる特色があり、公共財的な社会インフラだ。コメなどの食料品と同じような必需品として、新聞の重要性を認める読者は少なくないのではないか。毎月4000円近い料金を支払わねばならない新聞が公共財、社会インフラだというのは、さすがに業界トップクラスの給料を誇る新聞社だけのことはある。所得格差が広がるばかりのこの国で、低収入にあえぐ庶民の痛みなど、どこ吹く風だ。
大手新聞ほど、国家権力に庇護されている民間企業はない。
国有地を安く払い下げてもらってそこに本社を建て、電波利権を与えられてテレビ局を開設し、なおかつ新聞だけは公取委に再販制度を黙認させて、新聞価格を高く維持している。
官庁まるがかえの記者クラブに入ってさえいれば、放っておいても記者会見がセットされ、役人が提供してくれた資料に少し手を加えただけで一本の原稿があっという間に出来上がる。記者クラブがなかったら、現有の記者数では新聞紙面の半分以上を白紙で出さねばならないだろう。
まさに利権の巣窟であるがゆえに、金繰りの苦労を知らないど素人が経営者になっても、会社を存続できているのだ。
そういえば、週一回出している筆者のメールマガジン2011年2月10日号で「消費増税をあおる新聞界の策謀」と題する記事を書いた。読売の今回の社説を予測したような内容なので、あらためて以下にその一部を転載しておきたい。
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大新聞と財務省の関係をうかがわせる人事があった。昨年(2010年)11月16日、丹呉泰健氏が読売新聞の社外監査役に就任するという小さな記事が各紙に掲載された。
丹呉氏といえば、2009年の政権交代直前に財務事務次官となり、2010年7月に退任したばかり。OB人脈を含めた財務・大蔵一家のなかでの影響力は大きい。
読売新聞がなぜ、丹呉氏を必要とするのか。読売グループのドン、渡邊恒雄の意思がはたらいているとみるのが自然だろう。この人事の背後に、「消費増税」への新聞界の思惑が透けて見える。
消費税が数%でもアップされると、ただでさえ人口減、インターネットの台頭、広告収入の大幅ダウンに見舞われている新聞業界はもたない。
そこで、渡邊氏ら新聞界のトップが考えているのが、英国のように食料品など生活必需品の税率をゼロ、もしくは軽減するよう世論を誘導し、その生活必需品のなかに、さりげなく新聞をもぐりこませるという算段だ。
それを可能にするために、財務省の増税路線を大いに支援して恩を売っておく必要がある。いざというときの橋渡し役として、丹呉氏はうってつけだと考えたに違いない。
新聞にとって、もうひとつの恐怖は、再販制度と特殊指定の特権を剥奪されることだ。現在のところは、再販制度によって高価格に維持できているからこそ、まがりなりにも新聞の経営はなりたっている。
ふつうの商品なら、価格を決めるのは小売であり、メーカーが価格を押しつけると独禁法違反になる。新聞は特殊指定によって、メーカーである新聞社が価格を決めることができる数少ない商品だ。
渡邊恒雄氏ら新聞業界トップには再販制度をめぐるこんな前歴がある。
2005年11月、公正取引委員会が、再販制度について新聞の特殊指定を見直す方針を打ち出した。実はそれよりはるか前の1998年にも公取委が「基本的に廃止」の方針を固めたことがあったが、新聞協会会長だった渡邊氏らの政界工作で、「当面見送り」にさせた経緯がある。
05年の見直し方針に対しても同じだった。新聞協会は猛反発し、各政党への働きかけによって政界の支持を得た新聞協会に公取委が屈して、方針を取り下げた。
記者クラブの独占的取材体制など新聞協会の既得権に手厳しい小沢一郎氏は、マスメディアにおもねる体質が色濃い政界にあって異彩を放っており、それが異常なバッシング報道を受ける大きな要因であることは確かだろう。
ちなみに、再販制度を所管する公正取引委員会の委員長、竹島一彦氏は大蔵省OBであり、読売新聞の社外監査役となった丹呉氏が、この方面でも一定の役割を果たすことになると推測される。
こうしてみると、強大な予算配分権の維持をめざす財務省は国家財政の危機を過大に喧伝して増税の必要性を唱え、現実に経営危機が迫りつつある新聞社とその系列のテレビ局を抱き込むことで、世論調査という擬似国民投票に右往左往する菅内閣が財務省の言いなりになる形をつくることに成功したといえる。
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18日の読売社説によると、日本新聞協会が青森市で開いた今年の新聞大会で、全国紙から「民主主義、文化の最低のライフラインを守るためには、軽減税率の導入が必要だ」との訴えがあったという。
もちろん読売だけの問題ではない。全国紙みな、そろいもそろって、恥知らずというほかない。
ライフライン、インフラ、民主主義、公共財…などと思いつく限り、我田引水の美辞麗句を並べ立て、国民をあざむいて、特権を守りたいという腹が透けて見える。
民主主義を守る公器として、新聞の軽減税率の適用を訴える読売新聞(2012年8月3日)
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新聞社が消費税の軽減を主張する理屈が民主主義である。。
一方で消費税増税を煽りながら、自社への課税については軽減を主張するマスコミ。
これは私権派の要求そのものであり、その方便が民主主義である。
つまり、今回の新聞各社の軽減税率要求によって、マスコミは私権派であり、民主主義は私権要求の方便であることがますます浮き彫りになった。
民主主義が私権要求の方便であることは今に始まったことではない。
民主主義はその成立過程から私権要求の方便であった。
民主主義の起源であるギリシアの民主制が、略奪集団の戦利品の分配制度であったことは、「民主主義と私有権は不可分一体であるが、大衆のそれは支配者の都合によっていつでも剥奪され得る」で明らかにした。
そして、如何にも大衆の味方であるかのような顔をして民主主義を唱導してきたマスコミは’00年以降、公平性も中立性もかなぐり捨てて権力(金貸し)の手先の相貌を露にしている。つまり、「民主主義の権化=マスコミは権力の手先である。つまり、民主派の正体は私権派である」
「私たちは騙され続けてきた」
中でも最大の騙しの一つが、「民主主義が大衆のための思想」という騙しなのではないか。
しかし、民主主義は大衆の側に立った理屈ではなく、ギリシアの昔から私権派(私権要求)の方便にすぎない。これが事実である。
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