2011年04月05日

地震も気候変動も、地球内部の熱的変動によって起こる?

2011年03月30日「プレートテクトニクス理論は、もっともらしいウソではないか?」で紹介した『心安らかなる日々』ブログ主(釈愚さん)は、地震の発生メカニズムと地球の気候変動を統合的に解明しようとされています。
まず、その課題意識を紹介します。
「東北地方太平洋沖地震の発生機構 再考(1)-地球内部の熱的変動と気温との関係において」から引用します。

とりあえず、中小地震については2~3日前ぐらいにほぼ95%近い精度で、そして大規模地震については1ヶ月前ぐらいにほぼ、70%程度の確率で予測できそうなところまでは到達した。しかし、地震予測の現実問題として、中小地震については2~3日前でも十分だが、大規模地震で1ヶ月でかつ70%というのは十分な数値ではない。世界中の気候を分析することによって70%の確率を95%近い確率で予測できることは可能になる。しかし、どうしても1ヶ月より以前に予測することは困難である。そのためには、さらなる知識が必要になってくる。その知識とは地球の内部に関する知識であり、現在のところは推測によって想像するしかないというなんとも頼りのない話である。
しかし、以前にも書いたように、これについては、地表からあるいは気象から逆問題として推定することは可能である。10年ぐらいの気温変化を地球の内部の状況と対応させて、これと矛盾することなく説明できるようになれば、5年以前には警戒警報を出すことができるようになり、3年前にはほぼどこでどの規模の地震がいつごろ生じるということを言い当てることができるようになるだろう。

確かに、地球の内部構造については正確なことは、ほとんどわかっていないのが現状です。だから、地震の発生メカニズムが解明できず、地震予測もできないのだと考えるべきでしょう。
従って、まず地球の内部構造の仮説を構築することが先決で、その叩き台として『心安らかなる日々』の釈愚さんの説を紹介します。
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『心安らかなる日々』の釈愚さんは、現代科学では太陽のエネルギーに比べて地球内部の熱エネルギーがほとんど無視されていることに警鐘を鳴らしています。
「地球内部から地殻への到達熱エネルギーと太陽からの到達熱エネルギーに関する無茶苦茶な常識!?」から引用します。

太陽から地表面に到達する熱量と地球内部から到達する熱量を比較したデータをようやく見つけた。
ただ、そこで、展開される議論は無茶苦茶であった。常識というのはつくづく恐ろしいものだと思った。
わたしが、滅茶苦茶だと思ったのは、気象現象に及ぼす影響度の話において、地表面に及ぼす影響は太陽の方が圧倒的(2500倍)も大きいので、地球内部の熱というものが気象に及ぼす影響は無視できる、という科学的考察である。
しかし、地球のほとんどはどろどろに融解しており、地下50kmのところ、地盤のすぐ下の我々の足元には溶けた岩がある。こいつが、地球を作り上げてきて、気象現象のまずは根本となる陸地と海の配置の決定的要因となっている。
それにもかかわらず無視できるというのは、どんな神経をしているのだろうか?
どんなことにも懐疑の目を向けるのが、そして、一番何よりも常識を疑うのが科学者の態度ではないだろうか?
たしかに、地殻の表面にふりそそぐ太陽光は、地殻を貫流してくる地熱に比べればはるかに大きいだろうが、逆に地殻を貫流し、地殻の裏側の表面にまで到達してくる太陽エネルギーはゼロである。太陽エネルギーは、地球の内部熱エネルギーに比較すれば小さなチリにも該当しない。
これは、逆に考えると、地殻を貫流してくる熱貫流エネルギーが地表面の気温を1度変えたら、それは、すさまじい地下での熱エネルギーの変動があったと考えたほうがよい。
大規模地震や津波や暴風雨は気象現象ではないのであろうか?
仮に50km下のマントルと地殻の境界領域の温度が1500℃だとする。そして、我々地表面に近い地中の温度が仮に15℃だったとする。50kmも離れているから、関係ないと思うかも知れないが、熱貫流というのは線形勾配をもっているとすると10km直下は、315℃である。ぐらぐらと湯だっている温度である。5km下で165℃、1km下でも、45℃である。体温よりも気温よりもまだ熱い。
30℃が気温だと夏の暑さだ。20℃前後の気温なら気持ちがいい。さて、20度の気温というのは地中で言えば、地下170mの距離となる。170mと言えば目と鼻の先である。
これが、気象に影響を及ぼさないという地学の常識とは一体何なんだろうか?
気象気候のベースのところは地球内部の熱に100%依存しているのである。これを忘れてはいけない。したがって、これによる気温の変動や気象現象の変動は、地中で何か起っていることの反映なのである。
マクロな判断をするには、電磁波とか水位とか圧力とかいろいろな物理パラメーターに頼る必要はまったくない。

では、地球内部の熱エネルギーの変動はどのようにして起こるのか?
同じく、「東北地方太平洋沖地震の発生メカニズム(その11) - とまらない地球内部の暴走」から引用します。

われわれが居住する地殻上の気温があまり変動しないのは、大気があることはもちろんであるが、地球内部から一定した温度供給があるからであり、もし、地球内部からの温度供給がなくなれば、夜になると何十度という急激な温度低下に見舞われるであろう。
この地球の熱源となるコアの温度は、5000℃から6000℃と言われている。しかし、この熱源については実はよくわかっていない。地球の年齢が50億歳として、絶対零度に近い宇宙空間内おいて熱放射を50億年間継続しているにもかかわらずこの温度を維持するためには地球の中に発熱機構が必要である。(そんな熱源がたったの5000℃などという低い温度なのだろうか。それについては別の機会に論じるとして、さらに次に進もう。)
氷河期というのがある。これは、地球全体が冷えた状態になったときだが、最近の氷河期は、450万年前に始まり、100万年周期で四回気温が低下している。非常に安定的かつ規則的な動きをしている。
太陽からの熱供給があまり変わらないとすれば、氷河になるのは、地球側の事情によるものである。その理由は、太陽からの供給熱量はすくなとも450万年ぐらい前からは変わっていないからだ。地球内部の発熱機構が変化することによって、氷河期が生まれると考えることが妥当である。
では、なぜ、このような発熱機構の変動が生じるのか。しかも周期的な変動をもって現れるのであろうか?
そのためにはコア部分の発熱機構そのものについての知識が必要である。しかし、現在のところわれわれには地球内部を見る手段がない。したがって、地球の内部がマントルを通じて地殻表面にあらわす現象を観察し、そこからは逞しい想像力とそれにもとづく思考実験によって知識に換えるしかない。
アインシュタインの特殊相対性理論の副産物として、人類はE=mc2というとてつもなく大きなエネルギー源についての知識を見出した。核分裂と核融合である。相対的な話ではあるが核分裂は比較的制御しやすいのに対して、核融合はそのコントロールが難しいようである。巨大な核融合炉である太陽は、水素原子二つからヘリウムを作ってその安定化のプロセスにおいて巨大な熱エネルギーを放射するが熱暴走してしまい、あまりの高温で表面が固まることができない。
一方、地球においては、その表面が固まるぐらいの発熱機構であるとすると、核分裂していると考えるのが妥当であろう。ニュートリノを検出する装置においては核融合を検知できるのであるが、地球自身からのノイズがなかったことを考えると、核分裂が生じていると考えるのが妥当であると思われる。
すると何千度などという低い温度ではなく、ほぼセンターのもっとも温度が高いところでは、局所的には何十万度というような高温になっていると考えることは、かならずしも荒唐無稽ではない。ただ、それは局所的な炉心部分だけであって、コア全体の平均的温度あるいは、コアとマントルの境界においては5000℃程度に下がっているということだ。
この熱源はきわめて安定である。安定であるからこそ、この地球が生まれ、生命が生まれることになったのだが、その安定度も微妙に規則的に揺らぐようである。そのゆらぎの極端な場合が周期的氷河期をもたらす熱源の周期的性能低下である。
周期的な変動というのは、基本的には回転運動によってもたらされるものであり、コアの内部における熱源の周期的移動というものが考えられる。地球全体としての自転運動があるように、地球のコアにおける中心部分の移動というもが百万年ちかい単位で周期的に移動し、それが地球の温度を変動させてきた。これは初期不整(imperfection)の問題と呼ばれるものであるが、この初期不整が多様性にあふれる地球を作り出してきた。
さて、熱源が移動していると考えられる理由は、温度の下がり具合が地球全体で一様ではないからである。ある地域では、気温が急上昇しているのに対して、ある地域では気温が下がるからである。また、あるところでは暑い時期寒い時期が大きくずれ始めている。これは、発熱機構の中心が地球のセンターではなく中心から離れたところで、位置を移動していることを意味している。
現在は、第四氷河期が終わり1万年以上たつが、気温がぐんぐんと上昇する期間あるいは安定期間に突入しつつある期間にある。そして、ある程度落ち着いて後に数万年間の安定の後再び気温か急激に下がり氷河期が始まる。
熱源自身の強弱も時間的変動があることは無視できないがそれはあまり大きな変動とは考えにくい。大きな変動があるならば、それは熱源中心の運動とは独立のものであって、過去四回の氷河期があのように規則的に現れることは有り得ないからだ。
現在は、そのコアの部分が地球自身にとって、温度が上がるような位置すなわち、マントルに近い位置にきていると考えられる。そしてそれが熱帯のアジア地区のあたりに来ているように思われる。
そして、この部分に接したマントルの動きは以前よりも活性化し、結果として地殻に対して大きな圧力を加え、また、ある地域の地殻の温度を高めることになるであろう。一箇所におけるマントルの動きの活性化は、そもそも粘性が高いマントルのことであるから地球全体のマントルの動きに影響をおよぼし、他の部分も活性化するであろう。
それは、極端な例を用いて説明すれば、たとえば、水槽に入れた冷たい水の一番底を一箇所強くあたためれば、それが原因となって一部の水が対流を始めるであうろ。そして、もしその水が粘性の高い流体であったとするならば、その対流によって、いくつもの渦がつくられ渦が渦を生み出すという形によって、その粘性流体全体が運動を始める。
思考実験による仮説ではあるが、現在の地球の内部はこのような状態になっていると思われる。表題に書いたように、とめられない内部地球の暴走、というのは以上のような内容を指している。

「太陽エネルギーは、地球の内部熱エネルギーに比較すれば小さなチリにも該当しない」とまで言い切れるかどうかは、今の所、断定まではできませんが、従来の気候変動学説が太陽エネルギーばかりを取り上げ、地熱を無視してきたというのは事実だと思います。
加えて、地球内部の熱的変動によって、地震の発生メカニズムも気候変動も統合的に説明しうる可能性を有する、注目に値する仮説だと思います。
るいネット
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コメント2件

 通りがけ | 2012.01.13 23:29

まさにそのとおり。
そして現在の現実問題。
「オールマスゴミ米軍スパイ」
米軍の日本全土核兵器牧場化および対米攻撃防御盾化戦略が進行中である。
マスゴミがこれを報じないのはマスゴミも霞ヶ関同様米軍が地位協定治外法権で日本から搾り取る搾りカスからこぼれる甘い汁に群がる卑しいスパイだからである。
長周新聞の最新記事を全文転載する。
>>http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/kouhosyasibarusiminnotikarakeltusyuuhe.html
候補者縛る市民の力結集へ
岩国市長選・29日投開票
               裏切りぞろいの各陣営     2012年1月11日付
 
 米軍再編問題を最大争点とする岩国市長選が29日に迫っている。岩国市では、民主党政府のあからさまな公約裏切りのもとで、二井知事、福田市長が愛宕山開発用地を米軍住宅用地として国に売却することを表明し、厚木基地からの空母艦載機部隊の移駐を事実上容認してきた。市民の怒りはうっ積しているが、選挙戦はしらけきっている。自民党に続いて民主党が裏切り、「日共」集団が市民の運動を引きずり回してすっかり沈滞させてしまった。かれら既成の政治勢力がなにかいいことをしてくれることを期待することはできない。それなら市民はどうするか。岩国市民の声を調査し、整理してみた。
 22日の告示が迫っているが、市内では選挙に向けた目立った動きが見られない。今回の市長選では、現職の福田良彦市長、四年前に「艦載機移転反対」を唱えて市長の座を追われた井原勝介元市長、そして、「日共」集団が擁立した元高教組委員長の吉岡光則氏の3氏が立候補を表明している。
 しかし「ウソのように静かだ」「選挙の話題にもならない」と語られている。自民党福田市政は艦載機移駐の容認、愛宕山の米軍売り飛ばしを強行してきた。対する井原陣営は民主党平岡代議士側が裏切るなかで米軍再編問題を争点とすることを避け対決姿勢が乏しい。「日共」集団はこの間、市民の大衆的な運動を沈静化させ、福田市政の暴走を助けることに貢献してきたが、立候補で福田陣営を喜ばせる役回りとなっている。
 前回市長選で敗れた後、米軍再編反対の市民運動のリーダー的な存在として持ち上げられてきた井原元市長は、「市民税の10%減税」「市長報酬の五割削減」「市議会議員定数の3割減」などをうたい、最大の争点である米軍問題については「現職市長が容認している現状を踏まえる」「基地問題は争点にならない」と公言してきた。後援会パンフレットでも米軍問題に触れていなかった。
 しかしこれに「堂堂と米軍再編反対を掲げろ」「逃げるな」と市民が総反発してきた。年明けに配られたパンフレットのなかでは「愛宕山の売却の阻止」が加えられ、「これ以上の機能強化には反対」「民意を無視し一方的に進められる空母艦載機の移駐にも反対」と明記した。だが、わざわざ「現在の米軍基地の存在は認める」と強調する及び腰的な態度。井原陣営は市民からの突き上げで引きずられている関係となっている。
 「日共」集団が独自候補を立てているが、市民のなかでは米軍再編反対の市民世論を分断し福田陣営を助けるものとして批判を受けている。住民が語っているのは、昨年の県議選において井原夫人との票の奪い合いで対立を深め、「日共」集団が議席を失ったことへの仕返しということである。岩国市民全体の利益は二の次で、自分たちの党派の利益しか考えない姿への怒りは大きい。
 「日共」集団は、前回市長選後、愛宕山現地の座り込みなどに乗り込み、その旗振りをしてきたが、それは市民を運動から遠ざけるのに決定的な役割を果たした。かれらは市民の目には届かない愛宕山現地での座り込みや爆音訴訟など、運動の枠を基地や愛宕山周辺の地域的な直接利害だけに切り縮め、全市的に発展した運動を片隅の運動にするのに役割を果たしてきた。
 「市民のためではなく自分の党派の票集めのための運動参加だ」「選挙目的の自己アピールに嫌気がさして住民が参加しなくなったが、はじめから市民のためではなく、自分たちのためではないか」「運動の私物化にもほどがある」として信用を失っている。
 自民党もダメ、民主党もダメ、「日共」集団もダメで市民はどうすることもできないのか。市政、県政であれ、国政であれ、今どき既存の政党が市民のためにみずからすすんでいいことをすることはない。政治を動かす最大の原動力は市民の大衆的な力であり、その力が全国と団結することで、だれが市長になってもその首に縄を掛け、市民のいうことを聞かせるようにするかどうかが分かれ道だという関係になっている。
 「岩国はおとなしい」といわれてきたが、近年は空母艦載機移駐に反対して一万人規模の市民大会を開いたり、住民投票で圧倒的な拒否を表明してきたりした。この市民大衆の世論と運動を、この選挙でふたたびとり戻すかが大きな焦点となっている。
 米軍占領支配との対決 空襲で基地奪い拡張
 6年前の住民投票で「艦載機移駐反対」が圧倒して以来、市民の中では60年に及ぶ米軍支配に縛られた戦後を根底から見直す論議が発展した。これまで「基地容認」だった井原元市長をして「移転反対」を表明させる強力な市民世論が形成されてきた。安倍自民党政府(当時)が交付金の凍結という経済制裁をかけ、金力・権力の総動員で襲いかかるなかでおこなわれた前回市長選では、有形無形のあらゆる謀略が飛び交う中で1700票差という僅差となり、福田陣営が「勝利」とはいえない状況をつくった。その後の衆院2区補欠選挙、09年の総選挙では自民党候補を大差で叩き落とし、米軍再編への市民の怒りを突きつけるものとなった。
 だが「米軍再編見直し」を掲げて与党となった民主党はすぐに公約を投げ捨て、「米軍再編ロードマップの遵守」「自民党路線の継承」を表明。岩国への艦載機移転の受け皿である米軍住宅用地として愛宕山買いとりの予算を計上した。「草の根ネットワーク」などの市民団体を立ち上げた井原元市長も、「現状容認」の色合いを強めて「地方自治」などへと問題をそらしてきた。当初は米軍再編反対で結集していた市民団体でも「井原氏の後援会のようになって嫌気がさしてやめていく人が増えた」「市民の声を聞くのではなく、井原氏の政治信条を押しつけるもので市民の要求からずれている」と離れていく市民が続出した。井原批判の「日共」集団も市民の運動破壊では共通した。
 岩国市民の米軍再編に反対する運動が盛り上がった要因はなんであったか。それは米軍に占領支配されてきた戦後六十数年の経験であった。日本の降伏がわかっている8月14日にやられた残虐な岩国空襲の体験。それは岩国駅を中心にして上下線の列車がちょうど停車している時間帯にB29による集中的な爆撃をやり、1000人近い市民を惨殺した。しかし海軍の飛行場は無傷で残した。米軍が基地として占領するために、市民を惨殺して脅し上げるものであった。
 戦後の全経験は、米軍が日本人を虫けらのようにしか見なしてこなかったことである。米軍が日本を守るのではなく、日本が米軍を守る関係であることは岩国市民みんなが経験してきたことであった。9・11ニューヨークテロ事件の際には、基地は厳戒態勢で、米兵が市民に銃口を向け、自衛隊は市民から基地を守るために動いた。
 岩国では政治も行政も経済も、道路や鉄道、港湾も、電気や水道、学校や文化もすべてが米軍優先で、市民は片隅におかれてきた現実である。日本政府が出す国民の血税で、5000万~6000万円もかけた豪華な米兵住宅が建てられ、1年中エアコンはつけっぱなし、米兵子弟の学校も同じ贅沢三昧。
 そして今度の空母艦載機移駐に至る基地の沖合拡張は、はじめから基地拡張をもくろみながら、危険性を少なくするための沖合移設と市民をだましてすすめた。愛宕山の米兵住宅建設も岩国市民の住宅開発とだましてすすめた。ふたを開けてみれば、基地を2倍に拡張し、空母が接岸できるような港まで建設。基地問題をめぐってはいつも市民をだますのが常であった。
 対中国戦争を企む米国 岩国はじめ日本盾に
 そしてアメリカは中国、朝鮮との戦争を準備してきており、その最前線基地に日本の米軍基地を位置づけてきた。日本を鉄砲玉にし盾にして戦争をする態勢をすすめてきた。岩国基地を前線基地にし、標的にするというとんでもない計画である。
 オバマ米政府が最近打ち出したアメリカの新国防戦略では、国防費の大幅な削減を迫られるなかで、これまでの中東、アジアの「二正面作戦」をやめて、アジア・太平洋地域重視へと見直し、日本に対するさらなる負担を求めている。そこでは中国を「アメリカにとっての潜在的脅威」と名指しし、アジアでの戦争準備を強める方針である。
 有事の際には軍事基地がミサイル攻撃を受けることを想定し、海兵隊をオーストラリアなどに分散させる。つまり岩国をはじめ在日米軍基地がミサイルの標的になることがアメリカの戦略上の前提であることを隠さない。第二次大戦で原爆まで投下して占領した日本を再び核戦争の火の海に投げ込むというものであり、岩国市民のみならず日本人民全体にとって「仕方がない」では済まされない事態となっている。
 民主党政府は、アメリカの要求に従ってTPP(環太平洋経済連携協定)への参加を推進し、日本ではさらなる市場原理改革を加速させて日本の富を根こそぎアメリカへ吸い上げるとともに、経済ブロック化を進めて中国に対抗している。戦後の対米従属の下で、国の食糧確保であり国土保全、水資源確保、歴史文化の継承にとって重要な農林漁業を潰してきたが、今では工業も海外移転を促進して空洞化させ、日本社会を成り立たないようにしている。国内の雇用はなくし、文化も教育も日本全体がアメリカの植民地のようにされて国民生活が破壊されている。岩国の米軍支配による植民地的な状態は、日本全国の縮図であり、岩国市民が基地の撤去を求めるのは、日本の独立と平和、繁栄を実現する全国民的な課題となっている。
 米軍基地を増強し、岩国を丸ごとアメリカ村にすることは、日本全国を同じようにすることを意味する。そして日本社会がさんざんに食いつぶされ、あげくの果てにはアメリカの国益のための原水爆戦争で、再び火の海に投げ込まれるという屈辱はすべての日本民族の許すことのできないことである。
 岩国の市民の大衆的な運動が強いものになったのは、この民族の命運をかけた争点が鮮明だからである。「日共」集団その他の市民の運動に抱きついた諸勢力の特徴は、この大きな争点をそらして、特定地域の危険性や環境問題に限定したこと、それによって岩国全市に広がった運動の結集体をつぶしたことである。かれらの票集めのために利用したということでもある。
 問題は、岩国基地増強をめぐる全市民的、全国民的な死活の争点を鮮明にすることで、全市民の大衆的な世論と運動を、この選挙のなかでどう強めるかであり、その力で候補者をいかに縛り付けるかである。政治勢力が市民を引きずり回すのではなく、市民大衆が政治勢力を縛り付け引っ張っていく関係をつくることである。
 深刻な経済の疲弊 米軍への売り飛ばし政治4年間で加速
 川下地区では12月31日に酒に酔った米兵2人が70代の一人暮らしの婦人の家の窓ガラスを割って侵入した事件や、米兵がうさ晴らしのために店のドアのガラスを蹴り割った経験などが語られている。「米軍もアフガンで失敗、イラクでも失敗で市民めがけてストレス発散をする。アメリカ国内でも雇用が悪化し、刑務所あがりを軍に入れたりしているので精神がすさんでいる。市民がおとなしければ米軍は増長する」と語られている。
 「福田市長は昨年から川下小学校や高森みどり中などで基地内のペリースクールとの交流をさせている。給食食器にまで“米軍再編交付金”のラベルを貼らせた。米軍美化のために子どもを利用するなどパフォーマンスがすぎる。ゲート前では、他県ナンバーの車が米兵のエスコートで基地内に入っていくが、“本場の英語が学べる”とか軽薄な勘違いをした女学生などがひどい目にあっている。米軍が“イエローキャブ(売春婦)”といっているのを知っているのか」と怒りをもって語られている。
 さらに、今岩国では経済の疲弊が4年前からさらに深刻になっている。昨年には市内では最大企業である日本製紙が生産量の15%削減と従業員100人、関連企業100人を含める200人の解雇を発表した。「年間7000㌧の生産能力をもつ工場を停止するので下請の打撃も大きい」「50代を中心に早期退職が促されているが、新規採用はなくなる」といわれ、さらなる雇用状況の悪化が懸念されている。
 これまでにも米軍機の飛行ルートにあたる帝人岩国工場の煙突は切られ、生産拠点を松山に移転。錦川水系の豊富な水資源と港湾を持ちながら、騒音や治安の悪化、港の軍用化のなかで商業港として発展の道が閉ざされた。三菱レーヨン、東洋紡などの繊維産業も縮小、その他の製造業や石油産業なども撤退の流れが加速している。今の大企業の海外移転の流れに加えて、基地に制限されることによって経済的な疲弊が強まった。今後20年で、人口総数は3割近く減少し、なかでも生産年齢人口(15~65歳未満)が4割近く減ると試算されている。
 雇用が厳しくなるに従って岩国のメイン通りである駅前商店街はシャッター通りとなり、老舗小売店が雪崩を打つように廃業していった。ただでさえ岩国市の一等地である川下地区を基地として占領され、愛宕山も米軍住宅にする。固定資産税も入らないうえに「見返り」としてつくられる運動施設も米軍施設であり、そこに市民の自由はない。はじめから赤字がわかりきって進められた愛宕山開発事業を見るまでもなく、まちづくりも米軍優先で市財政はいつも火の車におかれ、わざとでも市民を住みにくくさせて米軍に売り飛ばすという政治が進行してきたのが岩国の現実であった。
 駅前の商店主は、「客層に若者がいなくなり、ほとんどがお年寄りになった。売上は年年落ち込んで、経営者も高齢化して後継ぎがなければ廃業していく。そんなところで駅前開発などをしても、徳山をみても全国どこでも失敗例ばかりで幽霊屋敷のようになるのはわかりきっている。駅舎建て替えもJRは最初から金は出さないと明言し、発頭になっているのは工事に関係する業者や地権者など少しでも利益を得ようという部分だけ。国の補助金や税金にまぶり付くだけで、本気で市の将来のためになると思っているものはいないからみんながしらける。米軍問題は“来るものは来るのだから仕方がない”と思いがちだが、ご無理ごもっともで好き放題にさせていたら子どもの教育も含めて岩国はズタズタになっていく」と思いを語った。
 川下地区や麻里布地区では日本人用の飲食店が減り、米兵目当てのワンショットバーなどが増え始めた。4000人もの米軍が移転してくることでアメリカ村になり、米兵が我が物顔で市民が片隅におかれることが危惧されている。
 別の市民は、「フジやイズミも売上が減り、商店街の組合費の値下げを要求してくる始末。市内で働く現役世代が少なくなり、飲食店がなくなるに従って、米屋や酒屋などの業者も減っていく。基地の交付金で市役所だけは豪華になったが、酒販組合や周辺の商店組合は解散した。岩国は交付金で成り立っていると強調されるが、その金はどこに消えているのか」と思いをぶつけた。
 際立つ福田市長の孤立 栄えるのは米軍だけ
 このようななかで福田市長の孤立ぶりは際だっている。選挙戦は井原陣営と「日共」陣営のケンカが頼りとなっている。前回市長選では米軍再編容認を迫る自民党政府の「経済制裁」や市議会による予算否決に便乗し、「このままでは岩国市は倒産する」「保険料や税金も値上がりし、国立病院の移転も白紙になり、福祉バスも廃止になる」と吹聴。「現実的対応(容認)すれば医療費無料、保育料無料、給食費無料になる」などといって、県から補助金を受けている各種団体、創価学会などの宗教団体、山銀などの金融機関に依存する土建企業、医療機関などを締め上げて総動員し、1700票差でかつがつ当選した。
 しかしこの4年間で、その化けの皮が剥がれて、求心力はまったく衰えた。前回までは熱心に動いていた商工会議所青年部なども鳴りを潜め、基盤であった中小企業からは「地元企業に仕事が回るといわれたがだまされただけ」「選挙応援どころの話ではない」と冷ややかに語られている。
 基地内の沖合拡張事業や、最大の目玉である民間空港開港も利権を独占しているのは、広島からやってくるゼネコンや第三セクターの空港ビル社長に就任した商議所ボスの柏原伸二氏(カシワバラ・コーポレーション社長)の関連企業だけで「地元には孫請も回ってこない」状態。同時並行で福田市長の自宅が新築になったり、賃貸マンションが建てられるなど左うちわの生活ぶりが市民の中では語りぐさになっている。「明らかな癒着関係ができあがっている。だれのための市政なのか」と不満が絶えない。
 ある自営業者は、「昨年9月まで土木事業がまったく動かず、廃業した業者もいる。震災の影響で資材が高騰し、防衛省の予算も下りないため、防音工事も全面ストップしている状況で市内の建設業者がさらに淘汰されるのは時間の問題だ」と語る。
 「民空や愛宕山の運動施設という鼻先にニンジンをぶら下げて建設業者を煽っているが、市役所庁舎や防衛省の仕事が決まったとたんに県外から暴力団系の業者がどんどん乗り込んできて数百万円をぼりとられた話や、大部分をピンハネして下請けに丸投げするなど結局バカを見るのは地元業者だと話題になる。年収200万円以下の人間ばかりで市内が活性化するわけがない。一時的に仕事が回ってもこれで岩国の経済がよくなると考えている市民はいないし以前の“夢物語”にはみんな冷め切っている。“だれのおかげで市長になったのか!”といってやりたい」と収まらぬ胸の内を語っていた。
 別の自営業者は、「この4年で福田市長の無能ぶりが嫌というほどわかった。結局は柏原など一部経済人のいいなりで艦載機を容認し、民間空港などでもうけるのは息のかかった一部の人間ばかり。市内では雇用がなく、若い者は県外へ出て行く。東北のガレキ撤去作業に出て行ったりして、食いつないでいる同業者もいる。子どもに仕事を継げとはいえない状況になっている。大規模な公共事業をゼネコンに流すだけでなく、中小企業の育成をやるべきだ」と話した。
 「基地による繁栄」や「共存共栄」などを真に受けるものはおらず、米軍が栄えるに従って進む市民生活の疲弊が実感されている。
 さんざん市民を欺瞞し、暴走したあげくの孤立であり、選挙を前にして市民の中に直接入る勇気もない様子で、市内では「早く回ってこい。いってやりたいことは山ほどある」と手ぐすねを引いて待っている市民も少なくない。
 全国と連帯力の結集を 市政動かすのは市民
 こうしたなかの市長選であるが、有能な人物を市長に据えればうまくいくというものではなく、だれが市長であろうがこれを市民の運動によって縛り付けていく市民の力がなければ市政を動かすことはできない。福田市長の暴走は、国の強権をバックにしたものであるが、同時にそれは市民の運動をつぶす役割をしてきた党派の助けによるものである。市長選は、そういう仕掛けを突き破って、独立、平和、繁栄を求める全国と連帯した岩国市民の力をどう結集するかが最大の焦点となる。
(転載終わり)

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