2013年11月15日

マスコミ・政治といかに付き合うか~山本太郎を反面教師として

「マスコミの嘘を切り、新認識で時代を開く」シリーズ、今回は山本太郎の園遊会「手紙」事件を取り上げたい。山本太郎参議院議員が天皇に「福島の実情を知ってもらうために」手紙を書いたことが「天皇の政治利用」にあたるとして批判されている一件である。
TWITTER上では「そもそも山本太郎を園遊会に入れたのが間違いだ」といった右の発言から「いってることはまっとうだ。皇室の政治利用というのならオリンピックの方が問題だ」といった意見まで、賛否両論、飛び交っている。しかし、実質的に天皇に政治権力がない以上、今回の一件で直接、原発問題が進展するようなことはない。そんなことは山本太郎サイドも十分分かった上での行動であろう。「マスコミが騒ぐから政治問題になるのだ」と山本は開き直ったがこれは一面の真理であり、山本はあきらかに意図的にこの「マスコミ利用」を行っている。(手紙を渡した場所がカメラがセットされた場だったというから意図的であったことは間違いない)これは一種の炎上ビジネスであるとみるのが妥当だ。つまり賛否両論を巻き起こしつつお騒がせ屋として注目を集めるという手法であり、そのことによって存在意義を確保するということである。
ay_ymmt01.jpg

にほんブログ村 政治ブログへ


●「山本太郎をスルーする技術」すなわち「マスコミから自由な自前の思考力=自考力」の必要性
以下は、クマムシ研究家、堀川大樹氏のブログ記事「山本太郎をスルーする技術」からの引用だが、堀川氏は「マスコミから自由な自前の思考力=自考力」の必要性についての記述である。
http://d.hatena.ne.jp/horikawad/searchdiary?word=%2A%5B%BC%D2%B2%F1%5D
*****************
2013年10月31日、参院議員の山本太郎氏が赤坂御苑で開かれた秋の園遊会で、原発に関わる問題を記述した手紙を天皇に手渡した。国会議員によるこの行為が、憲法で定めた「天皇の政治的利用の禁止」に抵触するのではないかと問題になっている。
確かに、山本太郎氏がとったこの行動は突飛なものであり、憲法違反にあたるかどうかグレーのものだ。しかし私は、あえて本件とそして山本太郎氏については過剰に問題視せずに、スルーすることを提案したい。
今回の行為が、山本氏本人のアイディアなのか、それとも山本氏の陣営の参謀によるコンサルティングによるものなのかは、わからない。しかし、ほぼ確実に言えることは、この行為は国民やマスコミの注意を集めるための炎上ポリティクスであるということだ。どこかの飲食店のアルバイト店員が冷蔵庫に入った画像を、意図的にネットに流すようなものだ。
仮に今回の山本氏の行動が憲法に抵触するとしても、この問題は日本が抱えている他の数多くの懸案にくらべれば、とるに足らない、きわめて些細なものである。
マスコミが公共の電波を使ってこの問題を大きく取り上げたり、有識者が何時間もかけて議論するような問題ではない。人的、そして時間的リソースを大量に費やして、炎上アルバイト店員の処分について延々と議論するようなものだからだ。そんなことよりも、経済や福祉、そして外交に関わる根本的な懸案事項について議論したり、国政に大きな影響力をもつ与党の動向を注視したり、クマムシの飼育をしたりする方が、数億倍有意義である。
今回の件で国民が騒げば騒ぐほど、山本太郎氏の不支持者は増えるが、一方でシンパシーを感じる支持者も増えるだろう。これが炎上マーケティング効果の特徴だからだ。そして、山本氏の陣営はこれに味をしめて、さらなる炎上ポリティクスを仕掛けてくるだろう。それも、より先鋭化した過激な形で。支持者も当然先鋭化するので、一種のカルト的な集団が形成される可能性もある。

***********************
●「有名人による大騒動が起こるときは、必ず、その背後でもっと大きな事件がひっそりと進められている」
おそらく山本太郎(のバックにいる元活動家たち)はこうした戦略性をもって押し進めたのであろうが、結局、反原発運動のシンボルと化した山本太郎がカルト化し、大衆から遊離することは、結果的に、運動を自滅へと向かわせるだけである。と同時に、そのようなメディア戦略自体が、もっと裏のある連中によって仕組まれている可能性もあると、考えべきであろう。
20130913_minomonta_21-300x168.jpg
突然の島田紳介引退引退報道も人権擁護法案の審議隠しだったといわれている
下記のブログ主さんは「有名人による大騒動が起こるときは、必ず、その背後でもっと大きな事件がひっそりと進められている」という。そして、実は今回も山本太郎園遊会お手紙事件が注目を集める一方で、逆に重大事件がスルーされているのだ。そうだとすれば山本太郎を単なるお騒がせやとしてスルーするだけでは済まなくなってくる。
http://kizuki99.com/yamamotoura.html 
*******************

山本太郎議員へのマスコミのバッシングがあまりにもすごいのがわかったことから、裏で何かがひっそり進んでいるのはないかと警戒していました。これまでも有名人の大騒動が起こってマスコミ(や政治家)が大騒ぎをした時には、その裏で必ず何かがひっそりと進んでいたからです。
と思っていたら、こんな法案がひっそりと通っていました。それもなんと、ちょうど山本太郎氏の騒動の渦中だった、昨日1日に通過しています。
※ ※ ※
自衛隊法改正案、衆院委で可決 海外での邦人陸上輸送
http://www.asahi.com/articles/TKY201310310485.html 
海外での緊急事態で邦人の陸上輸送を可能にする自衛隊法改正案が、10月31日の衆院安全保障委員会で、自民党、公明党、民主党などの賛成多数で可決された。1日に衆院を通過し、今国会で成立する見通しだ。
※ ※ ※
やはり、山本太郎氏の天皇陛下への手紙の件は、目くらましに使われたという見方が濃厚でしょう。国民の目から隠したい何かが起こる時に、マスコミ総出の大騒動が起こります。目くらましをさせるために、作られた騒動。だからその内容がなんであれ振り回されて一喜一憂するのではなく、「何が進められようとしてるのか」に着目することが大事だと思っています。

****************
上記のブログさんも仰っているように、いっていることの良し悪しの問題ではなく、なんであれマスコミが騒ぐということに警戒しなくてはならないのです。
●考察すべきは「天皇の政治利用はか否か」ではなく「大衆運動にとってマスコミを利用することは是か否か」「草の根の運動は既存の政治活動に関与すべきなのかどうか」
したがって、今回の一件を通じて考察すべきは「天皇の政治利用はか否か」と是いったマスコミが用意した枠組みで考えることではありません。(天皇の歴史や日本における存在意義そののものは議論に値しますが、その地平で言えば天皇には権威はあっても権力はないのであって、その地平から言っても「天皇の政治利用」は本質的には意味がありません)しかし、現行の政治制度の中でこの問題を捕らえる限り、左右対立という古臭い思考の枠組みでしか考えられなくなり、現在の閉塞状況を突破するような新たな運動の地平を切り開いていくことはできません。まさに「分割して統治する」http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=260849 の罠です。
ですから考察すべきは「天皇の政治利用」ではなく「大衆運動にとってマスコミを利用することは是か否か」ということであり、もっといえば「草の根の運動は既存の政治活動に関与すべきなのかどうか」という問題であるように思います。
この観点から、THINKER鶴田ナオキ氏が非常に面白い問題提起をるいネットに投稿してくれています。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=283195
*************
元CIA諜報員で現在は活動家として知られるロバート・スチール氏が講演でメッセージを発信している。「今後は地方に分散した市民のネットワークが必要になるでしょう。今こうして私があなた方に話しているのはそのためです。今の社会で、問題解決の手段やその予算が足りないということはありません。必要なのは、われわれの大多数が天賦の権利を行使して、社会を運営することに深く関わっていく気概なのです。以前、FOXニュースで、「地球にはびこるテロなど存在しない」と発言したら、出演できなくなりました。私の夢ですが、みなさんひとりひとりが登録番号のようなものを持ち、毎週レポートで自分の見解を提出するネットワークを作りたいと考えています。これらの意見がネット上や口コミでどんどん社会に広まっていくのです。私は、過去18年にわたり陰の政府のために働いてきましたが、ある同僚に言われました、「古いシステムを修復するよりも新しいシステムを作った方が良い」彼の言うとおりです。今の政府に関わらないでください。どうせ、それは破綻しますから。」
 彼のメッセージのポイントである「市民が社会に関わる気概を持つこと」「マスコミに頼らず情報発信していくこと」「ネットワークを作ること」「今の政府に関わらないこと」などは非常に的を得ていると思う。その点、るいネットは彼の主張する所と重なる点が多い。
政治に関わらないことの大切さは、最近の山本太郎氏が反原発の立場から天皇に手紙を渡したことがマスコミの格好のネタにされていることからも知ることができる。現行の日本政府とマスコミも生き残るため必死なので、このような騒ぎになってしまうのだ。まったく無意味とは思わないが、このような論争は不毛に感じる。
 社会と関わることは、必ずしも政治的活動が必要であることを意味しない。ときとして、政治と無関係でいることは難しいこともあり、その場で奮闘されている人達には敬意を示したい。しかし、一般市民がまず優先していくことは真実の情報を共有していくためのネットワーク作りである。既存の政府が止めようがないレベルまで、市民のネットワークが構築されてしまえば、政府もマスコミも用済みになるだろう。それが、新しい社会を作る道筋と考える。

*************
rds-crop.jpg
ロバートスチール氏
●今なすべきことはマスコミにかわる新たな共認形成の場作りであり、その中核となる新認識の形成と伝播
全く、同感である。当ブログ及びるいネットでは一貫して「マスコミにかわる自前の共認形成の場をつくっていくこと、そしてマスコミ・学者・官僚の拠所たる近代思想を超える新認識を大衆自身が作り出し発信していくことこそが、国家と市場を乗りこえる活動であり、それなしにはいかなる市民運動も体制の補完物になっていくしかない」と提起している。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=32087 
***************
社会は、人々の共認によって形成されている。実際、この社会を動かしているのも、この社会を統合しているのも、全ては人々の共認に依っている。従って、社会を統合し直すために最も重要なのは、人々の共認内容=認識を変革し、新たな共認内容を形成してゆくことである。なぜなら、共認こそ人類の命綱であり、その共認内容は人類の命運を左右する(例えば、共認内容を誤れば人類は滅亡する)ものだからである。また、人々の認識さえ変えることが出来れば、それに応じて社会制度や体制を変えるのは簡単だからである。要するに、認識形成こそ、社会形成の生命部なのである。従って、認識形成の場に参加すること(=場を構築すること)が、求められる真の社会活動となる。
従って、今成すべきことは、新しい社会統合機構(の中核)となるべき『認識形成の場(まつり場)』の構築に参加することに尽きる。具体的には、まつり場に入って皆の投稿に親しむこと(ロムし続けること)、そして新しい認識に得るところがあれば知人にも参加を勧め、できれば自分も発信することであり、それこそが最も豊かな唯一の実践活動である。それに対して、これまで一部の「社会派」が関わってきた既存の「社会」運動や「実践」活動は、全て偽物である。それは、彼らの「運動」が、結局、社会を閉塞させただけで何の突破口も示せなかったことが証明している。それどころか、むしろ彼らこそ、この社会をここまで閉塞させた張本人なのである

**************
1972_08.jpgマスコミに取り上げられて時代の寵児となった新左翼運動も次第にカルト化し、崩壊へ向かっていった。写真はあさま山荘事件
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=9235
**************
社会に関心を持つ人の多くが、未だに社会変革と云えば身体を張って行動することだという行動信仰(古いパラダイム)に囚われ続けている。しかし、(云うまでもないことだが)社会を変える為に必要なのは人々の意識を変えてゆくことであり、従って旧思想に代る新理論を構築することが何よりも急がれるのであって、旧思想に依拠したままチンケな運動をいくら続けても社会は全く変わらない。
とりわけ心すべきは、今も何らかの社会活動をしている人々である。彼らの多くは、自分たちの行動が社会の役に立っていると信じている。だが、旧思想に依拠した体制の補完運動は、いつまでも体制を維持させ、社会をますます閉塞させているだけなのである。むしろ、社会変革の志を抱く貴重な人材をことごとく体制補完運動に収束させ、一切の変革の芽を摘み取ってゆく既成運動こそ、社会変革の最大のガンになっていると云うべきだろう。
疾うに武力支配の時代は去り、今や(貧困の消滅によって)私権そのものが衰弱してゆく時代である。そこでは、武力でも資本力でもなく、文字通り人々の共認力が全てである。従って、人々の意識を変えることさえ出来れば、社会は変わる。逆に、旧思想(恋愛・自由・個人・人権という支配観念)に支配された人々の意識が変わらない限り、社会は(基本的には)変わらない。人々の意識を支配観念から解放する共認革命だけが、閉塞状態に陥ったこの社会を根本から変えてゆける。今、必要なのは共認革命である。

**************
山本太郎の一件、マスコミに踊らされるのではなく、既成運動の総括とそれを踏まえてなにをなすべきかを一人一人が熟考すべきでしょう。

List    投稿者 staff | 2013-11-15 | Posted in 10.日本の時事問題No Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/11/2653.html/trackback


Comment



Comment


*