2017年07月13日

日本人の活力を再生するには? ~近代思想・自分観念から徹頭徹尾対象認識へ~

最近の記事
プロによる観念支配 ~近代観念による全面閉塞~
世の中を動かしている力の正体は? ~「観念支配の歴史」と突破口~
の続きです。

いままでの記事から、日本人と社会を全面閉塞に陥らせている犯人は「観念支配」であり、その中核は「近代観念」であること、それを植え付けているのがプロ(学者・官僚、マスコミや学校)であることが分かってきました。

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人類にとっての観念を振り返ってみると
●原始時代:適応欠乏⇒ひたすら追求⇒ついに精霊を見出す(力・エネルギーのかたまり)
※自然の力に対してどうにもならない⇒どうする?⇒自然に対して果てしない追求と同化。
追求の果てに見出した精霊とは、自然エネルギーの塊であり、それ故に究極の追求・同化対象、人類にとっては主体性の中心軸となった。
※私権時代黎明期、ギルガメッシュ叙事詩の如く精霊殺しが行われたのは、精霊を上回る力を王が身につけたということを示すため。
●武力支配 ⇒古代宗教へ:仏教・キリスト教・儒教・・・宗教はいずれも絶対的な固定観念として存在
●資力支配 ⇒近代思想へ:自我発で形成された架空観念、自我・私権追求へ。
※原始時代の精霊信仰との違いは、古代宗教は国家による強制圧力→共同体崩壊・奴隷化により、現実に可能性見出せず、ひたすら内面探索と現実否定に陥っていること。その結果、排他的・絶対的な観念(唯一神や愛)に収束。しかし、それでも収束先の観念が存在することで、人々は一定の活力を持っていた。近代思想も同じ構造。

●現代は、豊かさの実現により近代思想が用済みに。→無思想・無関心、活力どん底。
※これは、人類にとって意識の統合軸としての観念が不可欠であることの証拠。

近代思想の時代が終わった。では何故新しい観念が登場してこないのか?

★ネックになっているのは近代思想→自分観念
・近代観念は、個人主義の原点である“自我発”で形成された架空観念であり、その一つ一つの観念が、自己正当化観念として働いていること。
・その結果、近代観念に染まったものは、無数の自己正当化観念に囲まれたその中心に強固な「自分」という観念を形成し、あたかもその「自分」観念こそが自分の本質であるかのような錯覚に陥ってしまうこと。
・従って、いったん強固な「自分」観念を形成してしまうと、その「自分」観念を崩すことは自己の崩壊を意味することになる。
参照:リンク
※職場でも、学校でも自分のことばかり言う人がいたり、声高に主張する人がいたりする。権利だからとそれを制御できなくてイライラしたりするが、全部近代観念の成せる業。そして何よりも問題なのは、「自分第一」なのでだれも変えようとしないこと。

★頭を対象発に切り替える
精霊信仰が徹頭徹尾対象発であったように、頭を対象追求へと切り替えること。

現代は時代が変わっている。1970年の豊かさの実現。それによって物的な欠乏はどうでもよくなった。
それまでは、物的欠乏 ⇒自分のお金や私権が第一の価値
今や、   本源充足の時代 ⇒相手が喜んでくれる ⇒人々の期待は?社会が求めているのは?・・・を追求する時代

近代思想の時代(≒お金の時代、自分第一の時代)から大きく転換している。それにつれて、需要構造(仕事)も大きく変わっている。
物的な欠乏から誰もが孕む本源的な欠乏への転換。だから対象の欠乏を掴まなければ生きていくことも出来ない時代へと大転換したのだ。
思考が対象の構造を掴むことに向かうことで、思考は解放され、日本人の活力も再生されていく。そういう人が生き残っていく。
面白い時代になる。

(by Hiroshi)

 

 

List    投稿者 nihon | 2017-07-13 | Posted in 05.染脳国家日本, 13.認識論・科学論No Comments » 

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