2012年12月16日

衆院選の暫定分析~権力中毒と化した民主党は見限られた。自民党もいずれ見限られ、数年後には新勢力期待が顕在化する

今回の衆院選は、自民の圧勝・維新の躍進、民主・未来の惨敗という結果で終った。
自民が圧勝したのは、マスコミの世論操作のおかげである。
「解散総選挙報道に要注意!⇒マスコミの露出度に騙されるな!」
「解散総選挙報道に要注意(2)⇒世論調査という名の世論操作に騙されるな!」
「衆院選の焦点=民主主義の騙しと不可分一体の共認支配(世論操作)を、大衆がどこまで撥ね返すか?」
しかし、維新の躍進はそれで説明できるとしても、今回の異常とも言うべき民主の惨敗と自民の圧勝はそれだけでは説明できない。
政党別得票率が公表されていない段階ではあるが、その背後にある民意を推し測ってみたい。
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【1】まず、民主党が惨敗したのは何故か?
『るいネット』’09年8月29日「潮流8:自民党は、なぜ見限られたか?」
09年総選挙で自民→民主への政権交代した時の投稿である。

特権階級の暴走は、社会の表層に現れた先端現象にすぎない。
暴走を続ける社会の深層では、私権原理から共認原理への移行が着々と進んでいる。そして、社会の表層で進行する格差の拡大と権力の暴走は、この深層の充足志向→実現志向およびそれらが生み出した共認収束の大潮流と根本的に対立する。
つまり、彼らの言動は時代に逆行したハネっ返りの反動行為そのものである。
従って、特権階級が暴走すればするほど、彼らの無能さと邪心が見え見えになり、白日の下に曝け出されてゆく。
こうして、’05年のマスコミを使ったやりたい放題の郵政選挙を経て、’09年、遂に「何が何でも自民を引きずり降ろせ」という脱自民(反特権)の潮流が顕現した。
これまで好き放題に格差を拡大し、権力の乱用を繰り返してきた特権階級に対する大衆の怒りと不信と危機感こそ、自民党が見限られた理由である。
その権力中毒を直せない限り、もはや永久に自民党に未来はない。
この点は、次政権も同様で、彼らが権力中毒に溺れる時、彼らも忽ち支持を失うことになる。

おそらく、今回の選挙結果を受けて、財界や自民党や官僚の少なくとも一部には反省の気運が生じるだろう。しかし、何の反省もしない特権階級が生き残っている。この厚顔無恥な最後の特権階級こそ、今回の暴走をリードしてきたA級戦犯であるマスコミ人に他ならない。

検察・マスコミをはじめとする特権階級が暴走しようとも、それは社会全体の表層現象、あるいは一時的現象にすぎない。社会の深層では共認収束が着々と進んでいく。
’09年衆院選で自民党が大敗北を喫したのは、特権階級の暴走が大衆に見抜かれて総スカンを喰らったからに他ならない。
そして、’09年自民党が見限られたのと同様、権力中毒と化し暴走を重ねた民主党は大衆から見限られた。
ましてや、今回の衆院選は、3・11以降はじめての選挙である。大震災と原発災害で、民主党政権の無能ぶりが誰の目にも明らかになった。
見限られた民主票の受け皿となったのが自民党である。
(しかし、それは消去法的な選択であり、自民党に対する積極的な支持ではない。)
これが今回の民主惨敗→自民圧勝の理由である。

【2】では、日本未来の党が惨敗したのは何故か?
『るいネット』’10年8月5日「否定の論理しか持たなかったが故に、民主党は敗北し転向した。」
民主党の小沢-鳩山体制が転覆した直後の投稿である。

菅直人首相、千葉景子法相、辻元清美議員の例を以って「左翼はすぐに転向する」という捉え方もできないことはありませんが、民主党が敗北し転向した本質的な理由は、否定の論理しか持たなかったことにあります。
’09年の衆院選で民主党は、脱自民(反特権)の潮流を追い風に、自民党批判・官僚批判と「政権交代」をスローガンにして圧勝し政権を獲得しましたが、政権を獲得するというのは何事かを実現する立場になるということであり、そこでは批判するだけでは済まされません。ところが、民主党には自民党批判・官僚批判といった否定の論理はあっても、「では社会をどのようにして変えてゆくのか?」という実現の論理はありませんでした。
例えば、事業仕分けをするのであれば、あるいは郵政民営化を差し戻すのであれば、「では、国家財政や郵貯350兆円を社会再生のためにどう使うのか」という答えが求められます。また、普天間基地を沖縄から移設するということは脱米路線に舵を切ることと同義ですが、であれば脱米後の外交や国防をどうするのかが課題となります。あるいは官僚批判をするのであれば、官僚支配に代わる社会統合の仕組みをどう構築するかが課題になります。
ところが、「民主党マニフェスト2009」には、官僚批判⇒「政治家主導」「国民の生活第一」といったスローガンやバラマキ政策はあっても、「社会をどのように変えようとしているのか?」その実現イメージすら読み取れません。さらに、本気で社会を変えようとすれば、その実現基盤が発掘できるまで社会の構造を掘り下げ解明する必要がありますが、そのような実現ベクトルに貫かれた追求の形跡は見当たりません。
そして、否定の論理しか持たず、実現基盤はおろか実現イメージさえ持たない民主党がいざ政権を担うことになっても、これまで社会を統合(支配)してきた官僚組織を解体することなどできるはずがありません。
逆に官僚たちに縋らざるを得ず、その言い成りになって政権交代から1年も経たずに転向者が続出するのは、当然の成り行きだったのです。
このように、否定の論理だけで実現の論理を持たなかったこと、それが民主党が敗北し転向した原因ですが、では、民主党が否定の論理しか持ち得なかったのは、何故なのか?

私権時代の全ての既成観念(古代宗教と近代思想)は、この異常な現実否定意識に基づいて作られている。その証拠に、これまで現実を否定する意識は、常に暗黙の内に正(義)として意識され、現実を否定する意識そのものを疑うような意識は、全く登場してこなかった。これは、現実否定→倒錯思考が、私権時代を貫く思考のパラダイムである事を示している。
このパラダイムの内部では、それによって作られた観念群をどう組み変えても、又、どれだけ深く思考を巡らせても、決してパラダイムそのものを否定することは出来ない。だからこそ、これまで現実を否定する意識に対する懐疑(例えばデカルトの「我、思う」ことそれ自体に対する懐疑、例えば、思い続けている自分がおかしいのではないかという懐疑)は、針の先ほどさえ全く生じ得なかったのである。「現実否定の倒錯思考」

つまり、現実否定意識に基づく近代思想から脱却できない、従って否定の論理しか持ち得ないことが、民主党が敗北し転向した根本原因なのです。

同様に、未来の党も否定の論理しか持ち得なかった。
一方、意識潮流は実現の時代に入っている。そこでは「どうする?」⇒実現方針が問われることになる。だから近代思想に立脚した否定の論理しか持ち得ない(実現可能性を感じさせない)未来の党は惨敗したのだ。

【3】今後、どうなるか?

市場拡大は至上命題であるという固定観念に囚われた学者・官僚・マスコミ・政治家および財界は、不足する需要を補う為に、国家に巨大な借金を作らせてその資金を市場に注入し続けてきた。それが、’70年代の公共投資であり、それが限界に達すると’80年代は福祉バラ撒き、それも限界に達すると’90年代はバブル化(日本は’86年から)と、次々と市場の人工的な拡大を演出してきたが、それらの原資は全て国の借金に依っている。そして’00年に入ると、バブル化による見せかけの経済成長も限界に達したことによって、彼らは遂に打てる手が無くなり、あろうことか自分たちの作り出した借金を国民に穴埋めさせるべく鉾先を国民に向けて暴走し始めた。
それが’10年代、国民生活を守ろうとする勢力(小沢)を排除しようとする司法とマスコミの独善と横暴、あるいは原発や消費税やTPPに見られる学者・官僚・マスコミの騙しと暴走である。今やこの社会の統合者たちは、自分たちの権力を維持することしか眼中になく、彼らの飼い主たるアメリカ(金融勢力)の云いなりになって国民からとことん毟り取り、その国富をアメリカに献上することしか考えていない。

アメリカ(金融勢力)の云いなりになって長年、市場拡大を続けてきたのが自民党であり、今回の衆院選で自民党政権に変わっても、権力中毒と暴走は変わらないだろう。
だとすれば、数年後、再び自民党は見限られることになる。
その時には、見限られた自民票の受け皿となる政党は存在しない。
従って、数年後には新勢力の登場期待が顕在化するであろう。

今も大衆は根源回帰⇒共認収束のベクトル上で、じっと先行きを注視している。
このまま自民党政権下で権力が暴走を重ねれば、いずれ大衆の間で秩序収束が強まり、統合期待が一気に高まる可能性が高い。そして、その期待は、脱私権(脱エリート)社会へと収束する。更に又、その期待は、そのような潮流を導く新理論へと収束してゆき、新理論に導かれた新勢力の登場期待が顕在化し始めるのではないだろうか。

List    投稿者 staff | 2012-12-16 | Posted in 10.日本の時事問題No Comments » 

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