2011年08月25日

民主主義の欠陥4~旧パラダイムで「反原発運動」をしても社会変革はできない~

「民主主義の欠陥3~なぜこれまで本当の市民運動が実現されなかったのか。では、これまで市民運動によって社会変革が実現されたことなど無かった理由を

①これまでの市民運動は私権欠乏をエネルギー源にしていたから。
②近代思想に立脚していたから。
③大衆の意識以外に何も実現基盤を持っていなかったから。

とまとめました。
今回の「民主主義の欠陥4」では、今、一部の人々による運動やツイッターで多く発信されている「反原発運動」を、上記のこれまでの市民運動(フランス革命、明治維新、全共闘運動etc.)の総括と比較しながら、社会変革の実現可能性を見ていきます。
写真1 反原発運動の写真
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写真はココからお借りしました。
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①’これまでの市民運動は私権欠乏をエネルギー源にしていたから→今回の「反原発運動」はどうか?

反原発デモやツイッターなどで「反原発」を発信する人の共通項は、電力会社・政府・マスコミに対する「反」「否定」となっているのがほとんどです。その「反」の意識はどこから生じているのかを、【人々の「活力」と「集団統合原理」】の図解をつくることで考えてみると・・・
【人々の「活力」と「集団統合原理」】図解
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上記の図解から、人々の活力源が私権収束から共認収束へと転換しつつある今にあっても、「反原発運動」は私権序列上位に対する「反」「否定」であり、これまで実現しなかった市民運動となんら変わらないことが見えてきます。

②’近代思想に立脚していたから→今回の「反原発運動」はどうか?

そもそも「反原発派」「原発推進派」という対立構造が生まれること自体がおかしいのです。この対立構造が生まれた時点で、お互いの権利・要求のぶつかり合いにしかなりませんし、本当の答え=解決に行き着く前に妥協案で決着という流れになります。
「日本国内での原発問題は一旦棚上げしておいて、原発推進派の権利を守るために海外への輸出は継続~毎日新聞ニュース~」などは、妥協案以外なにものでもありません。
個人の権利・要求という、私たちが小さい頃から当たり前のように刷り込まれてきた近代思想に立脚しているという点では、これまでの市民運動と今の「反原発運動」は同じです。

③’ 大衆の意識以外に何も実現基盤を持っていなかったから→今回の「反原発運動」はどうか?

は反原発デモを呼びかけるチラシです
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写真はココからお借りしました。
「社会を変えるために人をたくさん集結させてデモをする」
これは、大衆の意識以外に何も実現基盤を持っていないということに他なりません。
しかも。これらの運動がなされていることをほとんどの人が知らないという事実(確かにマスコミが報道していないということもあるかもしれませんが・・・)は、人だけ集めても≒大衆の意識だけに依拠していても何も実現しないということの証拠なのでしょう。

これまで書いてきましたように、今の「反原発運動」は、これまで一度も実現された試しがない市民運動と全く同じパラダイムでの運動であり、新たな(=みんなが望む)社会変革の実現可能性はほとんどないといえるのではないでしょうか。
さらには、

共認革命6 チンケな運動(要求運動の終焉) より
もともとこの社会(市場社会)は、近代思想(恋愛・自由・個人・人権etc)に導かれて成長してきた。その同じ思想に立脚して、体制を転換させることなど出来る訳がない。にも拘らず、(新しい思想を構築しようとはしないで)「運動」を存続させようとすれば、身近で具体的な運動目標を結集軸にするしかなく、(もともとが体制と同じ思想に立脚しているので)身近な運動目標に埋没すればするほど体制に絡め取られて、体制の補完物になってゆく。

とあるように、体制と同じ思想(=近代思想)で運動すればするほど、体制を維持するための運動(体制の補完物)にしかならずに、社会変革は遠のくばかりです :cry:
これまでの「民主主義の欠陥1~4」の追求から、旧パラダイムでの市民運動に実現可能性がないことがわかりました。次回からは、「民主主義の欠陥1」でもお伝えしたように、大衆によるものとして史実に残るいくつかの運動とはなんだったか?を調べた結果から、そもそも「民主主義」とは一体何なのか?の追求に入っていきます

List    投稿者 kura | 2011-08-25 | Posted in 05.染脳国家日本No Comments » 

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