2010年09月28日

9/23なんでや劇場 (4)~新たな期待=本源期待とは何か?

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画像はこちらからお借りしました。
この「私権意識の衰弱構造」図解をよく見れば、’70年豊かさの実現の段階で、現代の構造の原型は揃っていることがわかる。
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’70年~は私権収束力<共認収束力
そこから40年近く経った’08年~は私権収束力<本源収束力
よく似た構造が現れているが、共認収束力と本源収束力はどこが違うのか?
まず、’70年~の私権収束力<共認収束力とはどういうことか?
それまで私権収束力が強力な時代は、指揮系統=上からの命令は絶対であった。ところが、共認収束力の時代に代わると、上からの命令では人は動かなくなり、それよりも「みんな、どうする?」とみんなの共認を羅針盤にするようになってきた。
問題はみんな共認の中身で、それはマスコミによって支配されている。マスコミの垂れ流す旧観念(近代思想)や私権観念によって中身は染上げられままであった。つまり、羅針盤が上からの命令からみんな共認に代わったものの、その中身は旧態依然なままだったのである。
中身が新しい本源共認に転換するのに40年かかったということだが、その転換を成したのは、’08年私権観念の消滅である。古い観念は消滅したが、それに代わる新しい観念は与えられていないので、潜在思念(本能・共認機能)でもって新しい可能性を探索している段階である。
このように新たな可能性⇒期待が芽生えつつあるが、それは未だ朧げである。それを図解では「本源期待」と仮表現しているが、その中身は一体何なのか?(これは、豊かさ期待に代わる新しい期待の中身は何か? 次の社会の意志は何か?つまり、社会はどこに向かおうとしているのか?という問題と同義である)

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例えば、’99年頃の癒しブームは本源期待の先駆けであろうし、’09年~の節約志向も本源期待の一部であろう。また、農業・介護・企業の共同体化はその明らかな実現現象の一つであろう。人と人との繋がり欠乏や、あるいは小沢一郎の「共生」というスローガンも包摂されるかもしれない。
また、学生の大多数は特権階級を目指しているわけではない。 「良い仕事」=社会の役に立つ仕事をしたいと思っている。ところが、その思いと現在の社会評価とはズレがあり、その中で学生は葛藤し混迷している。そこで、社会期待に応えられる、それを実現する場をどうやって作るか?が課題となる。
その土台となるのが、与えられた場を充足する場にしたいという思いであり、それが活力の源泉となる。
その次に来るのが、勝てる場にしたい⇒勝てる方針を発信することである。
ここまでは、与えられた場の中でも可能だが、その延長線上に、従来の事業を超えて、新事業をつくるor新しく起業するということも考えられる。
このような充足期待を原点にした「集団をどうする?」「社会をどうする?」から生まれる場づくり期待が、豊かさ期待に変わる新たな社会期待になるのではないだろうか。

私権観念の消滅による、本源期待から本源共認に向かう流れというのは人間本来の共認存在を考えると、必然の流れだと思われますが、だがしかし、本源共認がどういう形で人や社会に対して、像を結ぶんでいくのか又は形成されるのかは今のところ漠としており、興味があるところです。

List    投稿者 tabtab | 2010-09-28 | Posted in 12.現代意識潮流1 Comment » 

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コメント1件

 hermes dark gray | 2014.02.02 22:02

hermes shipping usa 日本を守るのに右も左もない | 地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【2】次々と明るみに出る特権階級の無能・暴走ぶり