【日本の活力を再生する】新たな集団関係(1) ~契約と贈与の関係~
当シリーズでは、地域自治の未来の追求を通じ、私権統合に代わる新たな社会・集団統合の可能性を探ってきました。
その中で前回記事で「贈与ネットワーク」の可能性を深堀し、「信頼」「認識」で集団を「つなぐ力=贈与」こそが本源時代の勝ち筋ではないかと提起しました。
(過去記事はこちら)
・地域自治の未来③ ~集団間の新たな関係を築く「贈与」の力~
大きく人々の意識が変容し始めた現代。集団と集団の関係、企業間闘争(同類闘争)、市場や金融のパラダイムはどのように変わっていくのか。当シリーズは地域自治に限らず、新たな集団関係の在り方を追求していきたいと思います。
今回は、次代の可能性として提示した「贈与ネットワーク」が現実社会で市場原理を止揚し統合していく可能性を持っているのかを検証・追求したいと思います。
■契約関係と贈与関係
前回までは、贈与関係とはどんなものか?というのを追求しましたが、これからの時代を語る上で、これまでの集団間や企業間の関係がどのように成立してきたのかを押さえておきたいと思います。
①皆殺しの掠奪闘争による共同体の消滅
5500年前に乾燥とそれに伴う飢えを契機に始まった掠奪闘争は、東洋西洋で大きな違いを見せた。
イラン高原を起点とするこの戦いは、飢えの危機ゆえに皆殺しとなる。(中略)
西洋おける掠奪闘争は、コーカサス、小アジア、地中海の一体に波及し、およそ3000年にわたって断続的に展開されるが、共同体を失い、バラバラの個人に解体された人々は、掠奪闘争の圧力の中で生きるためには、「他人」と人工的な集団を形成するしかない。しかし、共同体を失い「自分」しかない人々を統合するには、「裏切りは死」と「分け前の平等」=利益の約束を核とした契約(観念)の共認しかしかない。これが西洋人の契約収束の起点であり、同時に東洋人や日本人との決定的な違いである。
(中略)
③支配階級含めて契約観念に収束したのはなぜか
武力を制覇力とする力の原理の世界では、契約は通常絶対ではない。なぜなら力の世界では、仮に契約で明記されておろうが返済は絶対ではなく、力のあるものにとっては「いざとなったら踏み倒したら終い」だからである。
ここで西洋が支配階級も含めて、社会全体で契約が絶対となったのも同じく西洋の歴史と特異性が大いに関係している。
一つは、前述したように「自分しかない、私益第一の個人」を統合するには、契約観念しかないという土壌。さらにはバラバラの個人とそれらが徒党を組んだ集団しかいない西洋では、支配階級側も雇い兵に頼るとしかないこと。雇い兵との間には「裏切らないことと、成功時の利益の保証という契約」しか成立しない。(中略)
これらが西洋社会が契約社会になった理由と考えられる.
信頼と信用だけが基盤となる贈与関係とは真逆で、信頼・信用のおけない他者を前提とした「利益の相互約束」を元にした関係構築が「契約」関係。これは現代においても変わらない普遍構造です。
では、現代が契約関係でしか社会が成立していないのか?と言えば、そうでもありません。
第2章 見えない資産の価値
○協力会社とのコミュニケーションは
私たち(堀場製作所)では、50年以上前から、社員だけでなく外部の協力会社や販売会社とのつながりを重視してきました。
ここ数年、業績の上がった際に、かなりの受注残を抱えながら、さらに大きな発注が来たとき、それに対応する製品供給力があるかが問われました。しかし、協力会社は私たちへの供給を最優先してくださり、厳しい納期要求にも対応することができました。
その際、協力会社は、何も私たちが部品を高値で購入するからといった理由で助けてくれたわけではありません。長年の信頼関係の醸成がもとになっているのです。
2009年度は、半導体向け製品の生産量が急激に減り、協力会社が厳しい状況に置かれました。わが社に対する彼らの売上比率は全体の2~3割で、残りは他社や競合メーカー向け。私たちとは資本関係もありません。しかし、私たちだけが生き残っても、協力会社が生き残れなければモノづくりに支障を来すことになります。私たちは苦しい状況のなかにあっても発注を続け、協力会社の経営を支えることができました。
上記の事例は、資本や契約関係を超えた長年の信頼関係が、永く生き残っていく企業の実現基盤であることを示唆してくれている実例です。まさしく、その場限りの利益追求ではない、感謝や恩などの「認識」をお互い苦しいときに贈り合うことで成立している集団関係だと言えます。
現代におけるコロナ禍で、厳しい環境に置かれた企業は多くあります。(倒産件数は、直近で2800件以上になりました。)
一時の利害のみで、求められた内容を履行するだけで構築された契約関係では、こうした先行きの見えない時代を生き残っていくことができないことは、社会が強く認識したことと思います。
本源の時代かつ人類がこれまで経験したことのない未知だらけ大転換の時代。求められるのは、答えのない未知に挑戦する仲間・同志をつなぐ力。それこそが、現代必要とされる贈与ネットワークが目指す集団関係のカタチだといえるのではないでしょうか。
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