2010年09月26日

9/23なんでや劇場 (1)~大衆と特権階級を繋いでいた、豊かさ期待という社会意志

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前回8月10日のなんで屋劇場では、現代社会を分析する基本的な視点が展開されました。現代社会は経済原理で動いているのではなく、金貸し支配によって動かされているのです。そして金貸しの中の2大勢力である、ロックフェラー勢力とロスチャイルド・欧州貴族連合の闘争によって世界的な経済変動は引き起こされているのです。

両勢力の争いは、ロスチャイルド勢が優勢になってきており、ロスチャイルド勢であるオバマ大統領がアメリカの軍とCIAを完全に掌握した時点で、ドル米国債暴落の幕が切って降ろされ可能性が高い状況になってきています。

追い詰められたロック勢の手先である日本の官僚・マスコミが、暴走をはじめ、ネットでは小沢待望論が起こってきていますが、日本の政治闘争も両勢力の代理戦争に過ぎず、目先の民主代表選でロック勢の菅が勝ってもロスチャ勢の小沢が勝っても、このままでは日本には展望がありません。

このような状況の中で、日本の可能性として示されたのが、特権階級は暴走を超えて断崖を飛び出し空中浮遊の状態に入ったという認識です。官僚、マスコミの暴走に対して日本の大衆は全く無関心であり、特権階級と大衆は断絶しているのです。

そして劇場の最後に、特権階級が自滅の道を突き進む一方で、これと無縁な大衆は、脱マスコミから草の根の共認形成の場へ向かい、ネット収束を強めており、遠からずこのような大衆意識を受けた新たな政治勢力が登場してくることになるという展望が示されました。

今回9月23日のなんで屋劇場では、このような大衆的活動がどのような意識潮流の中で形成されていくのかが追及されました。その様子を5回シリーズでお届けします。第1回目は、「大衆と特権階級を繋いでいた、豊かさ期待という社会意志」です。

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本日のテーマは「豊かさ期待は、どのような段階を経て消えていったのか?その段階ごとに、どのような新しい潮流が生起してきたのか?」。
このテーマを扱う理由をまず説明する。

最近の10年間で、我々の認識が大きく変化してきた。認識転換の最初の契機となったのは、’01年小泉フィーバーに始まるマスコミの偏向・扇動報道、さらに自作自演であることがすぐに知れ渡った米9・11事件などである。次に’08年リーマンショックに始まる金融危機。
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我々も最初は経済法則に基づいて分析していたが、スイス・イタリア国境での10万ドル紙幣事件を契機に、この世界は経済理論ではなく、金貸しによって支配されており、その手先として特権階級(官僚・マスコミ)が動かしているという認識に至った。実際、追い詰められたデビッド・ロックフェラーと検察・官僚・マスコミの暴走が至る所で頻発し、そこから、近代は金貸しによる騙し共認の時代であったと考えるべきであるという認識が生まれた。これが最も大きな認識転換である。

ところが、大衆は暴走する特権階級の動きには無関心である。そこから、大衆の世界と特権階級の世界は断絶してしまったのではないか? だとすれば暴走している特権階級はすでに断崖を飛び出て空中浮遊しており、あとは奈落の底に落ちるだけなのではないか、という見方が登場した。

だとしたら、これまで特権階級と大衆はどのようにして繋がっていたのか?ここで豊かさ期待説と私権意識説という二つの仮説が提起されたが、一見似たように見える、この二つの概念を厳密に整理する必要があるだろう。

戦後の大衆運動や学生運動を担った者たちの動機は、潜在意識では私権追求であるが、顕在意識では「大衆のため」というのがその動機であった。つまり、潜在意識では豊かさ期待の実現という社会的な期待に応えるという大義名分を以って闘っていたのである。豊かさ期待は社会の意志(ベクトル)であり、この中に大衆も特権階級も包摂されていた。その点では大衆も特権階級も一体であり、だからこそ両者は繋がっていたのである。この見方は、’70年豊かさが実現され、豊かさ期待が衰弱すると同時に大衆運動が衰弱したという流れとも合致している。

また、豊かさ期待は時代を貫く社会意志なので特権階級も逆らえなかった。政治家も真正面からこれに応えるという姿勢が要求された。その代表が田中角栄であり、それを引き継いだのが小沢一郎である。逆に言うと、豊かさ期待がなくなると、それを良いことに好き放題やる連中が登場する。例えば、小泉~仙石といった連中だが、豊かさ期待があった時代はあのような輩が登場する可能性は全くなかったのである。
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ここで、次のような仮説が生まれる。

現在は特権階級が暴走して社会をグチャグチャにしている。それに対する大衆的活動は、豊かさ期待に代わる新たな社会的期待(意志)が生起してはじめて登場するのではないか?

本日のテーマはここからスタートする。
「豊かさ期待は、どのような段階を経て消えていったのか? その段階ごとに、どのような新しい潮流が生起してきたのか?」

これを明らかにするためには、豊かさ期待の中心的な推進力であった私権意識に焦点を当て、そもそも私権意識とは何なのか?、その成立構造(発生過程)と衰弱構造を明らかにしておく必要がある。

現代の大衆が、特権階級=官僚・マスコミの暴走に対して無関心なのは豊さ期待に変わる新たな社会的期待を明確に意識できていないからです。大衆が、新たな社会期待を明確に持つようになれば、それに応える政治家はおのずと登場してくるでしょう。

次回以降は、豊さ期待という古い社会期待がどのように消滅し、それに変わる新しい社会期待が登場して来る構造を解明します。ご期待ください。

List    投稿者 nodayuji | 2010-09-26 | Posted in 12.現代意識潮流2 Comments » 

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コメント2件

 Black Joker | 2011.05.21 18:23

D.ロックフェラ派ーとロスチャイルド派の勢力争いという観点で見ておられますが、米国全体の視点で捉えると別の姿も見えてきます。 「対テロ戦争」はブッシュ大統領を再選させ、イラク・アフガニスタンへの侵攻(戦費の拡大)と減税政策もたらし、さらにサブプライムローン問題・リーマンショックによる金融危機を経て、オバマ大統領を誕生させました。 オバマ氏は、医療制度改革や雇用維持のための膨大な財政出動を行なっています。
結果的に、米国は財政破綻に追い込まれました。 従って、もし 9.11が無ければ、ここまで米国経済が傷んでしまうことはなかったと考えられます。(その意味では、結果的に9.11の目論見は達成されたとも言える。) 今後、おっしゃる所の「世界を巻き込んだ金融資本家の勢力争い」が、米国の財政危機をどうするのかについて、大いに興味があるところです。

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