2009年04月26日

警察・検察権力と報道権力が一体化したファシズム

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ブログ「植草一秀の『知られざる真実』」の2009年4月25日の記事「人間の運命を左右できる警察・検察の『裁量権』」で、警察・検察の「裁量権」が極めて恣意的に運用されていることが指摘されている。
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小沢一郎民主党代表の公設第一秘書である大久保隆規氏は政治資金規正法違反の罪で逮捕、起訴された。保釈されたとの報道がないから、今も勾留され続けているのではないか。不当な長期勾留である。
小沢氏の政治資金管理団体は西松建設と関係のある「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」の二つの政治団体から受け入れた企業献金を、二つの政治団体からの献金であると収支報告書に記載した。政治資金規正法の規定に則った適法処理であると考えられる。しかし、会計責任者の大久保氏の行為が「虚偽記載」だとされて摘発された。
まったく同じ事務処理をした、森喜朗元首相、二階俊博経産相、尾身幸次元財務相をはじめ、多数の自民党議員の政治資金管理団体に対しては、これまでのところ、まったく捜査が進展していないようだ。数十万円の金品を窃盗した容疑で拘束された元財務相職員の高橋洋一氏は逮捕されず、書類送検されたことが報道されたが、その後、検察庁がどのように対応したのかが報道されていない。
大麻所持で摘発された大相撲力士の若麒麟は逮捕され、起訴されて執行猶予つきの有罪判決を受けた。同様に大麻所持で摘発された中村雅俊氏の長男中村俊太氏は、現行犯逮捕されたが起訴猶予処分で釈放された。

千葉県知事に当選した森田健作氏は、自民党籍を持ちながら選挙に際して、「完全無所属」であることを強調し、自民党と関わりのない候補であることを強調して当選した。
公職選挙法第235条は「当選を得る目的をもつて政党その他の団体への所属に関し虚偽の事項を公にした者」を処罰することを定め、第251条はその場合に「当選人の当選は無効になる」ことを規定している。千葉県の多数の有権者が、森田健作候補が公表し、強調した「完全無所属」について、自民党と関わりのない候補者であると認識して森田氏に投票したと考えられる。
公職選挙法第235条を「一般人の普通の注意と読み方を基準として解釈した意味内容」で捉える限り、森田氏の行為は同条文に抵触すると考えられる。千葉県の有権者が中心になって結成した「森田健作氏を告発する会」は、4月15日に、森田健作氏こと鈴木栄治氏を千葉地方検察庁に刑事告発した。また、森田健作氏が代表を務める自民党政党支部が、政治資金規正法で禁止されていた外国人持ち株比率が50%を超える企業からの企業献金を、2005、2006年に受けていたことが明らかになった。

日本国憲法は、罪刑法定主義(第31条)、法の下の平等(第14条)を定めているが、現実の法の運用において、広範な「裁量権」が警察および検察に付与されていることが、これらの原理、原則との関係で問題になる。警察、検察は巨大な「天下り利権」を保持しているが、この「天下り利権」が警察・検察の巨大な「裁量権」と密接に関わっていることが推察される。また、政治的な敵対勢力に対して、警察、検察権力が不正に、また、不当に利用されることも考えられる。
法律の定め以上に重要と考えられるのが、「法律の運用」である。とりわけ刑事事件における身体の拘束などの強制力行使、あるいは、刑事事件としての立件の判断などにおいては、「デュープロセス」の厳格な運用と、「法の下の平等」の確保が不可欠である。(中略)警察、検察行政は人間の運命を変える爆発的な力を有している。その運用が不透明であることは許されない。

人の運命を左右できる恣意的な権力には、もう一つある。マスコミの持つ「編集権」だ。

一度でもマスコミの取材を受けたことのある人なら、誰もが感じるところだと思うが、マスコミ界では、デスクの描いたシナリオに沿って、あるいは記者の独断で、彼らに都合の良い部分だけが取り上げられ、それ以外の発言は全てカットされるのが常態となっている。
彼らはそれを、「編集権」と称している。だが、被取材者が本当に伝えたい部分がカットされ、編集者に都合のいい部分だけを取り上げるのが「編集権」の実態である以上、それは「歪曲権」と呼ばれるべきものだろう。そして、読者には被取材者の真意が伝わらず、ある「断片」だけが伝えられて真意とは異なるメッセージを受け取ることになるとしたら、そのような編集者あるいは記者による歪曲も又、立派な捏造である。
『るいネット』「朝日の捏造・・・3 朝日のシナリオに沿わない社長の証言は全面的にカット・・・」

報道機関は、その報道を規制する法律が殆ど存在しない等、ほぼ無制限とも云える「報道の自由」を保障されてきた。しかし、それは「強大な国家権力や資本権力と対峙する必要から与えられたものである」という大前提を忘れてはならない。そのようにして与えられた、ほぼ無制限とも云える「報道の自由」を武器にして、報道機関は強大な世論形成力を獲得してきたが、近年、報道機関はしばしば国家権力や資本権力のような強大な力を持っていない一企業や一市民を標的として、その強大な世論形成力を行使し、攻撃するようになってきた。
『るいネット』「『報道の自由』を盾に、社会秩序を根底から破壊してゆく者たち。」

この投稿がなされた時点(2007年5月22日)から、事態は一歩進んでいると言わざるをえない。
このように「編集権」とは元々、報道機関が国家権力や資本権力と対抗することを大義名分にして付与された「報道の自由」が(報道機関に都合よく)拡大解釈されたものだが、昨今のマスコミのスタンスは国家権力と対抗するどころか、国家権力に加担していると言わざるを得ない。警察・検察の「裁量権」とマスコミの「報道の自由⇒編集権」という二大恣意的権力が一体となって、猛威を振るっている。今や日本はファシズム下にあるのではないか。
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2009-04-26 | Posted in 12.現代意識潮流No Comments » 

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